豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

小津安二郎「秋刀魚の味」、幾たびか

2022年12月22日 | 映画
 
 おととい(12月19日)の夜、テレビのチャンネルを回していたら、偶然BS松竹東急(BS260ch)で小津安二郎の「秋刀魚の味」をやっていた。12月12日が小津の誕生日にして、命日だから、その日に放映されものの再放送だったのかも。

 見つけた時にはもう終わりに近かったけれど、久しぶりだったので最後まで見た。
 ちょうど娘(岩下志麻)が結婚式場に出かけるあたりからで、次のシーンは式が終わって笠智衆が友人の中村伸郎の家で、北竜二と3人で酒を飲み、帰りがけに岸田今日子がマダムのスナックに立ち寄って軍艦マーチを聞きながらまた酒を飲み、そして娘のいない家に帰るという、あのラストシーンである(上の写真はエンド・マーク。小津の映画監督人生最後の画面でもある。わが家の照明が映りこんでしまったのはご愛敬)。
 ぼくの持っているDVD(小学館+松竹)よりも画像がきれいだった(今年テレビを買い替えたからかも)。きれいすぎて、昭和の雰囲気をそいでいるようにも思ったが、あのような強い色彩のほうが昭和的かもしれない。

 中学校の同級生たちが60歳近くなって、集まって酒を飲み、娘の縁談を語り合う、などという映画は20、30歳代の時に見たら絶対に共感できなかっただろう。しかし自分が笠や中村たちよりも上の年代になって見ると(役の上で彼らは50歳代半ばである)、なかなか悪くない映画だと思える。「秋刀魚の味」という題名はいまだに意味が分からないが。
 ぼくには、笠、中村、北たちのような交流はないが、今年の初めに、今春限りで医師をやめ開業医を廃業して福岡に移住するという高校時代の級友を送る4人だけの送別会があり、一期一会のつもりで出かけてきた。12月に入ってその友人が上京するというので、また4人で会ってきた。
 何のしがらみ(“Human Bondage”!)もない集まりで、楽しいというか気楽な時間を過ごした。年寄りはこういう風に時間を過ごすのだというマナーを小津の「秋刀魚の味」から学んでいたのかもしれない。

   

 今月初めには吉田喜重の死亡が報じられた。
 吉田の『小津安二郎の反映画』(岩波現代文庫)は、ぼくが読んだ小津論の中で一番難しかったが、舩橋淳という人が朝日新聞に書いた追悼文を読んで(2022年12月19日付、上の写真)、吉田の小津に対する評価が多少は理解できた。
 「反映画」というのが、「青春を賛美する青春映画」や「男女の愛憎劇を強調するメロドラマ映画」を否定する「反青春映画」、「反メロドラマ」のことで、それが吉田のいう「反映画」の意味らしい。実はぼくは吉田の映画を一本も見たことがないのだが、大島渚の「青春残酷物語」を思い出した。

 吉田によれば、小津の映画も「反映画」ということなのか。論者は「無時間性」こそ吉田と小津とが「肌を接し合う点であった」と結んでいる。残念ながらぼくには「無時間性」の本当の意味は分からないけれど、「時間を超えた」とか「時代を超えた」という意味なら、2022年のぼくは「秋刀魚の味」を見ながら、1960年の笠たちと気分を共有することはできる。
 「秋刀魚の味」は、「青春映画」でも「メロドラマ」でもない。岩下と吉田輝雄の交情などあっさりしすぎている。あえて言えば「老人映画」だが、若いだけが青春ではないという意味では、「反青春映画」といえるだろうか。「秋刀魚の味」は老人が主人公の青春映画、すなわち「反青春映画」といえよう。

 吉田に言わせれば、「遠く過ぎ去った中学時代のことをさほど覚えてもいないにもかかわらず、それを懐かしく感じるのは、すでに死に絶えて停止している時間であるからにすぎない。いま生きている現在といった時間が刻々と移ろいゆくあまり、それがなんであるか知りえず、そうした不確定であることの不安より逃げようとして、すでに死に絶えて動かぬ過去の時間に身を寄せて、心地よく懐かしむ」のが同窓会に期待される夢であり、終わってみればしらじらしい気持になるのが同窓会の宿命である、ということになるらしい(302頁)。
 ずいぶん辛辣な言葉である。「同窓会」一般はそういうものかもしれないが、「秋刀魚の味」の元教師、東野英治郎を招いての笠たちの酒宴や、ぼくたち4人のミニ・クラス会には当てはまらない言葉である。r少なくともぼくは「すでに死に絶えて動かぬ過去の時間に身を寄せて」いるつもりはない。
 そもそも笠たちの酒宴や、ぼくらの集まりは「同窓会」ではない。吉田にはよほど不愉快な同窓会体験があったのだろう。

 数十年来、年中行事のように続けてきた年賀状の交換をやめると宣言するはがきやメールがこのところ相ついだ。何のために出しているかを考えて見ると、年賀状のあて名を書き、一言だけ添え書きをしつつ過去を回顧するというノスタルジックな気持ちもあるけれど、最近では、「今年も何とか生きています」という安否確認の通知の意味合いのほうが強くなっているように思う。
 ぼくはもうしばらくは出したいと思っている。

 2022年12月21日 記

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