雨、24度、80%
母の遺品は身につける物は全部捨てました。好みが違います。家の調度品は手入れが行き届かず粗末に扱う人でしたので使える物で私が気に入った物を残しました。松本家具は三面鏡以外全部残しました。4年かけて匂いや染み付いた汚れがなくなりました。大きな壺類も残しましたが、食器や小物は欠けが多くこれもほとんど捨てました。
残した数少ない小物の一つが「土鈴」です。「カズラ」の絵の描かれた高さが10センチほどの「土鈴」です。素焼きの鈴の中には素焼きの玉が入っているのか、素朴な音がします。遠くまで通るような音ではありません。 持ち手の部分が傾いでいる様子が雰囲気を作っています。秋になり飾り棚に出して来ました。
母は「鈴」が好きな人でした。「鈴」とは言わず「ベル」と言っていました。戦後、学校の寄宿舎で朝晩の食事の知らせを「鈴」を持って知らせたのがよほど気に入っていたのか、「ディナーベル」とそれを呼んでいました。ガラスの「ディナーベル」が私が小さい頃にはありました。澄んだ高い音の出る「ディナーベル」でした。それを鳴らして母は夕飯の合図を送ります。然程大きくないこの家での話です。大きな声で「ごはんですよ」と言えばよさそうなものをと今思い出しては笑います。その「ディナーベル」を割ったのも母でした。
そんなことを思い出して食器棚を見ると、私が求めたスペインの「土鈴」があります。 陶器です。母の「土鈴」に比べれば高い音がします。母の「土鈴」は閉じていますが、私の「ベル」はスカートの下から音が出て来ます。形こそ違いますが同じような物に目が行くところは母に似ています。
母の「土鈴」は母の好みを現しています。いい物を持っていたのに手入れを怠った母でした。秋の匂いは逝ってしまった人のことを思い出させます。