雨、12度、95%
義父の命日でした。92歳まで生きました。亡くなって8年が経ちました。義母もこの一月にはお墓で義父の横に並びました。
昨日は義父へのお供物に「お芋の天ぷら」を揚げました。義父の好物でした。そして私の父の好物でもあります。義父と父は誕生日が同じです。義父は父より一年あとに生まれています。そして亡くなったのも同じ二月です。大きく違うのは父は47歳で逝きました。生まれ育った場所も違うのにこの二人食べ物の好みが似ていました。戦争に行った年代です。義父は中国大陸、父は南方です。食糧難も経験しています。「お芋の天ぷら」を揚げながら、二人の父のことを思い出していました。
お酒が好き、甘いものもよく食べました。厚揚げ、豆類、酒の当てはお刺身、お肉も好きな義父と父でした。そしてよく食べました。父の食べ物の好みを受け継いだ私は、義父とも気が合いました。
油の中で泡を立てて揚がる「お芋の天ぷら」熱々を揚げながら口に入れました。切ったお芋の数だけ揚げるつもりです。揚げたお芋をカゴに盛り、残りは私のおやつです。「お芋の天ぷら」に布巾を被せて、庭のラベンダーの大枝を切り供花にします。朝から霧雨です。義父義母が眠る霊園は小高いところにあります。山間は遠くから見ても霞んでいました。霞の中を車で上がります。晴れていれば福岡市の沿岸部がすっぽり見えるのに昨日は何も見えません。花とお芋のカゴを抱えてお墓に急ぎます。先月、義母の納骨のとき供えた花がまだ薄ら色が残っていました。
「お芋の天ぷら」は猪の餌になってはいけないので、持ち帰ります。 寒くなると出る「猪注意」の標識です。
家に帰ると、「お芋の天ぷら」の匂いがします。雨を見ながら、パクパク。よく食べました。義父と父、この二月は父二人に思いを馳せます。大正の男性、二人とも関白でした。そうそう、昭和生まれの主人も関白です。今の男性はふにょふにょに思えます。雨の午後、「お芋の天ぷら」が取り留めない思いを呼び起こしました。
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