チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

サボテンの寄せ植え

2021年11月20日 03時54分23秒 | クリスマス

晴、10度、80%

 小学校の修学旅行で宮崎に行きました。その時土産物屋に売られていたサボテンを買いました。小さな色とりどりの造花がついたトゲトゲのあるサボテンでした。造花もサボテンも物珍しかった時代です。そのサボテンを帰りのバスの中におき忘れてしまいました。以来、私はサボテンに縁がないように思います。一番の理由は水を遣り過ぎることです。水遣りのコツがつかめません。サボテンをたくさん育てている友人は「水なんてあげなくていいのよ。」とおっしゃいます。でもねえ、生き物ですからつい水を与えます。帰国後、サボテンの水栽培をしました。どんどん大きくなって徒長してある朝、ガラスの容器から自ら落ちてボロボロになりました。「やっぱりダメだわ。」

 なのにまたしてもサボテンを買ってしまいました。糸島から小さなトラックに野菜をのせて売りに来るお兄さんがいます。週に1回、珍しい野菜が手に入ることがあります。先日は野菜に混じって、3つだけサボテンの寄せ植えが売られていました。クリスマスアレンジされています。頭の中は「欲しいなあ」「いやまた枯らしてしまう」この二つが行き来しています。お値段もとっても安い、ぐっと我慢して近くのお店を回りました。帰り道、まだ誰にも買われずにサボテンがこちらを見ていました。3つの中で一番可愛いのを「これください」とお兄さんの手に100円玉を4つのせました。

 家に帰ってサボテンの種類を調べます。初心者向けのサボテンばかりです。「よしよし」とにかく水遣りはしないぞと心に決めています。可愛いので目に付くところに置いています。寝る時はベットサイドのテーブルに運びます。赤い茎のサボテンは小さな小さな白い花をつけています。クリスマスが終わったら別の入れ物に移し替えましょう。今度は上手に育ってくれるかしら。

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ココアの季節

2021年11月19日 03時55分31秒 | 日々のこと

晴、9度、74% 

 「ココア」が欲しい季節になりました。手のひらで熱々のコップを握り、ゆっくりと口に運びます。飲み終わるとお腹の中から温かくなります。嬉しい「ココア」です。

 おそらく自分で初めて火を点けて作ったものは「ココア」だったと記憶しています。ガスの火を点けるのは子供には勇気がいることでした。母が作っているのを見よう見まねです。一人でお留守番していた時だったと思います。母は「ココア」の作り方を博多の「ばんぢろ」という珈琲屋のご主人に習ったそうです。「ばんぢろ」のお店の前を通りますが、子供の私は珈琲屋には連れて行ってもらえませんでした。そのうち母は珈琲を飲まなくなりました。「ばんぢろ」は移転を重ねていましたが、いつの頃からか街中から姿を消しました。老舗の珈琲屋でした。帰国して聞いたところお店は閉店したのだそうです。

 秋に入る頃、「ばんぢろ」が19年ぶりに当初の店近くに再オープンしたと聞きました。まだ暑さの残る頃、映画の帰りに立ち寄りました。生憎お休みでした。表のメニューを読むと、珈琲ばかりか紅茶も充実しています。もちろんありました、「ココア」。私の「ココア」のルーツです。店主は変わっても「ばんぢろ」には「ココア」があります。

 私が使う「ココア」はずっと「バンホーテン」、ここ数十年はオランダ元詰めの「バンホーテン」を使っています。コクや香りが日本のものとは違います。 子供の頃の「ココア」は溶けにくくダマを作りました。最近のは熱にかけるとよく溶けます。それでも目を離さずかき回します。沸騰直前まで火を入れます。吹きこぼしたことが幾度もありました。でも、熱々が好きです。水は使わず、ミルクとお砂糖を加えて作る「ココア」です。

 来週は寒さが一段と進むそうです。「ばんぢろ」にもう一度足を運ぼうと思います。どんな味の「ココア」でしょうか。どんなカップに入って私の前に運ばれてくるのでしょうか。「ばんぢろ」に行くのはこの60数歳で初めてのことです。

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ろうそく

2021年11月18日 06時37分29秒 | 身の回りのもの

曇、11度、68%

 街はすでにクリスマスの飾り付けで華やかです。クリスマス前のこの雰囲気が好きです。家の飾り付けはまだ先ですが、家に帰るなり「ろうそく」の蓄えの点検をしました。

 アロマキャンドルも数売られていますが、匂いのきついものが多いと感じます。鮮やかな色の「ろうそく」より白に近い色が好きです。 左はイギリス菓子「トフィー」の甘い香り、右は「パパイヤ」のトロピカルフルーツの香りです。 アザミの花が四面に彫られた「ろうそく」はフローラルな香りです。アザミって香りがあったかな?我が家の定番の香りは「フランジパニ」、 ハワイのレイにも使われる花ですが香港、東南アジアでもよく見られる香り高い花です。

 父母は「和ろうそく」を使っていました。生産が少ないらしく大切に灯していました。赤い「和ろうそく」で煤がたくさん出ました。子供心に好きでない代物でした。日本の一般的な「ろうそく」は「カメヤマローソク」でしょうか。あの透明な白さはどうもいただけません。お仏壇の「ろうそく」の白さです。寒々しい色だと思います。柔らかな乳白色の「ろうそく」の色は火を灯すと火の揺らぎと共に心に沁みる色です。

  災害時の備えではなく、「ろうそく」を持っています。フランジパニの「ろうそく」は香港製、それ以外はヨーロッパの「ろうそく」です。燭台はアイアンの堅牢なものばかりです。アイアンに乳白色の「ろうそく」は火を点さなくても収まりがいいと思います。

 「カメヤマローソク」も最近は様々な形の「ろうそく」を作っていますが、残念なことにあの冷たい白ばかりです。

 今年も十分「ろうそく」があります。ひと月先には家のそこかしこに「ろうそく」が灯ります。

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モモと13年間使った夜具を解いて作り替えました。

2021年11月17日 03時53分34秒 | 日々のこと

晴、10度、75%

 モモさんが逝って4年半が経ちます。モモと私が13年間、一緒に寝ていたベットカバー、キルトカバーは洗って取ってありました。季節の変わり目には出して来て、匂いを嗅ぎながら日干しします。もうモモの匂いはしません。逝く日の朝まで寝ていた寝具たちです。ココが来て寝具は新しく替えました。

 仕舞ってある納戸のケースの蓋をとった途端、作り変えようと思い立ったのは昨日のことです。前触れもない気持ちでした。13年使ったベットカバーはモモがベットを地面がわりに掘るのでボロボロ、キルトで抑えられていますが中綿が出て来ます。使えるのは四方のしっかりした部分だけです。

  亡くなる3日前の写真です。キルトカバーは袋状、表と裏の柄が異なります。色は褪せて来ていますが、しっかりした木綿はまだ使えます。表裏を切り分けることから始めました。オレンジ色は心も明るくしてくれます。枕カバーを模様違いで作ることにしました。枕を2つ使っていますので、4枚の枕カバーは十分に取れました。

 ブルーと白の市松模様のベットカバーは中途半端な布しか残りませんでした。あと一息大きければ膝掛けが出来るのにと簡単に縫い合わせて小座布団に仕立てました。キルトですから厚みがあります。デッキのベンチに敷くつもりです。2組出来ました。

  近くで見たら布はへたっています。作り変えることで毎日使ってモモをいつまでも身近に感じます。私が縫っている横でココが布切れを匂っていました。モモの匂いかな?

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「民藝の100年」 東京国立近代美術館

2021年11月16日 03時54分41秒 | 美術展

晴、10度、80%

 この秋、東京の美術展で雑誌でも大きく取り上げられているのが「民藝の100年」です。東京駒場の「日本民藝館」の所蔵品を広い会場で余すとこなく見せてくれるというものです。「日本民藝館」はこじんまりとしたスペースですのでその時その時で展示物が入れ替わります。今回の上京の目的は「川瀬巴水」の木版画でした。時間的に余裕があるので「民藝の100年」のチケットも予約しました。

 私の住むこの家は父母から譲り受けたものです。古い日本家屋、玄関を開けて一歩入れば、家具も重々しい「松本民芸家具」ばかり。食器といえば土もので重苦しいと子供心に感じていました。磁器のご飯茶碗やお湯呑みが一つもありませんでした。そんなこの家が嫌いでした。白い生地の磁器のお茶碗でご飯を食べてみたいと、ホームドラマを見ては思っていました。

 父母は口にはしませんでしたが柳宗悦が言い出した「民藝」と呼ばれるものを家に集めていたのです。本棚には「民藝」関係の本が並んでいました。民陶の大きな壺が家のここかしこに飾られていました。上京すれば銀座の「たくみ」という民藝を扱う店に必ず足を運んでいました。今更改めて「民藝」展示を見る必要もないほど身に染み付いた「民藝」です。

 「民藝の100年」を見て改めて身近のある「民藝」を認識します。この家の整理の時、残したのは家具と大きな焼き物だけでした。良いものとわかっていても欠けや傷みが激しいものは捨てました。「民藝の100年」を見ながら捨てたものの大きさを思い知ります。

 この家の家具はほとんど全て「松本家具」です。 受け継いだものもありますが、結婚して私たちが買った家具は「松本民藝家具」でした。結婚当初は磁器の焼き物を食器に数求めました。念願でした。染付、絵付けの軽いお茶碗やお皿です。それがどうしたことか40歳を越した頃から私もまた土ものの食器に目が向き始めました。手に持った時の温かみが違います。テーブルに置いた時の底深い迫力が違います。今の我が家の食卓は洋の東西の土もの、磁器が並びます。

 「民藝の100年」私にとっては展示物を見るというより、父母から私に流れて来た太い意思を改めて見直す機会となりました。美術館を出て小春日和の青い空を見上げました。ふっと「来てよかった。」と胸に湧き上がるものがありました。

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ミルクピッチャー

2021年11月15日 03時53分40秒 | 身の回りのもの

晴、11度、70%

 最近は紅茶にもコーヒーにもお砂糖やミルクを使う方が減ったように思います。砂糖入れには砂糖は入っていません。ティースプーンの出番も減りました。ティーセットのミルクピッチャーは小さな花を挿したりドレッシング入れとして使います。口のついた入れ物が好きです。器としても使えますが仕事する器です。

 3つのティーセットの砂糖入れとミルクピッチャーの出番を増やしてやりたいと使い道を考えていました。 ウェッジウッドの「カントリーウェア」は縮みキャベツのような肌触りです。もう作られていないシリーズです。 ブルーアンドホワイトの代表的なスポードの「ブルーイタリアン」2世紀以上に渡って作り続けられています。当時のイギリス人はイタリアに憧れていたかもしれません。イタリアの庭園風景です。 シンプルですっきりしたデザインはジノリのものです。生産数が少なかったからでしょうか、このシリーズのものの名前がわかりません。器の形は「クリパー」や「ピノキオ」と同じですが、絵付けが違います。持ち手に欠けが生じて私の下手な継が施されています。

 タンポポなどを入れるのにはちょうどの大きさのミルクピッチャーです。砂糖入れには不釣り合いですが頂き物の佃煮を入れたりします。この1年数ヶ月、お客様もめっきり減りました。客用に揃えたわけではありません。せっせと使ってやらねばと思います。ミルクピッチャーはガラスのものも伊万里の染付なども持っていますが、カップやポットと揃うのはこの3つだけです。そういえば3年前、主人がお連れした中国人のお客様はミルクもお砂糖も欲しいと言われました。あれ以来セット使いしないでいます。

 手に乗るミルクピッチャーを3つ、食器棚でなくガラスの飾り棚に入れました。好きで集めた食器たちとの付き合いは残された時間がだんだん少なくなって来ています。使ってこその食器たちですが、飾り棚に3つを寄せて眺めています。

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「川瀬巴水」

2021年11月14日 03時53分19秒 | 美術展

小雨、11度、64%

 十月に入ってから主人がどこか旅行に行くようにと度々言ってきました。神戸の友人に会いたい、松本から安曇野を訪れたいなどと思うのですが今一つ腰が上がらずにいました。大きな美術展はコロナでの閉館をおそれてかこの秋は数が少ないように思います。夏の終わりから気になっていた展示会が一つだけありました。「川瀬巴水」の版画展です。出品数が300近く、これだけを一堂に見れる機会はないと東京行きを決めました。

 「川瀬巴水」は大正時代から昭和初期に活躍した版画家です。旅した景色を得意とし、それまでの「浮世絵」と呼ばれる版画とは異にして「新版画」と呼ばれています。「川瀬巴水」を知ったきっかけは福岡の「西公園」をモチーフにした版画一枚からでした。大濠公園の北、海寄りの「西公園」の大正時代の景色でした。どこで見たのかもそれ以後「川瀬巴水」のことは忘れていました。

 300点近い版画、さほど大きくない会場ですが時間指定で入館することもあってか人が少なくゆっくりと見る事ができました。 東京の景色をシリーズとして評価を得たは「川瀬巴水」です。多色刷りの版画は幾枚もの版木を重ねて刷られます。下絵を描く人、版木を彫る人、刷る人と分業の上にできる版画です。絵画とも違う平面状の絵の表現、その緻密さに圧倒されます。北海道から九州まで各地の景色がありました。「西公園」にも再会しました。

 大正時代の日本、都内でも高い建物はありません。版画から伝わってくるのはそうした時代の時間の流れです。景色の中の人たちは穏やかに生きていると感じます。パンフレットの表紙絵左は代表作「芝増上寺」です。雪の中を傘を差し歩く女性の姿です。右は「馬込の月」、藁葺き屋根の上に月がかかっています。馬込は40年近く前もこうした田んぼが残っていました。版画の精巧さにも見惚れますが、それ以上に景色の美しさが残ります。日本の美しさです。日本の風景には「雨」「雪」「月」がよく似合います。

  写生帳です。大正の時代、写生帳を片手に日本を旅した版画家「川瀬巴水」旅の様子を思います。

 日本の風景の版画の余韻は三日経った今も私の心に残っています。

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バジルのジェノバソース

2021年11月13日 03時53分41秒 | 日々のこと

雨、11度、54%

 私が家を空けたのは一日半、その間福岡はずっと雨だったようです。昨日も時折激しい雨が降る不安定なお天気でした。予想していましたが、家の周りは落ち葉がいっぱい、風も強かったのでしょう。大量の落ち葉搔きから仕事が始まりました。

 夏のような暑さが11月に入るまで続きました。庭の「バジル」は種を枯らさずにいました。しかも葉っぱは緑緑しています。種が取れないと「ジェノバソース」が作れません。昨日の朝は冷え込みました。庭の「バジル」の葉がやや色褪せて見えました。これ以上待つことはできません。雨を含んだ庭土です。太くなったバジルを引っこ抜きました。枯れかけた花は乾燥させるため別の袋へ入れ、葉をむしります。

  庭にバジルの強い香りが広がります。30年以上作り続けてきた「ジェノバソース」去年はバジルの不作で一年途絶えています。お魚にお肉にもちろんパスタ、お米料理にも使います。市販のものよりオリーブオイルを少なくして冷凍庫で保存します。出来立ての「ジェノバソース」の味と数ヶ月寝かせた味とは違います。フッレシュナ味も全体が落ち着いた後の味も味わう事ができるのが家で作る楽しみです。

 松の実、オリーブオイル、にんにく、チーズを適当にブレンダーに放り込みます。 中の様子を見ながら分量加減します。

 「パクチー」「ケール」を使った「ジェノバソース」を作ってみました。「ケール」にはクルミを合わせました。「パクチー」にはオイルを癖のない「太白ごま油」に替えました。それぞれに美味しさはあるものの、食べ慣れた「バジルのジェノバソース」が一番です。

  「ジェノバソース」を使った料理を食べていると「あおむし」になった気がします。緑が凝縮されたこのソース、植物と太陽の恵みです。

 お外仕事の間中、ココもお庭の陽だまりで過ごしました。たくさん植わっていたバジルの跡がすっぽりと寂しくなりました。庭が冬の姿に向かっています。

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一緒にご飯、一緒にお風呂、一緒に寝ました、孫娘と。

2021年11月12日 03時53分37秒 | 孫娘

大雨、10度、60%、雷

 半年ぶりに孫娘に会いました。前回会った時はほんの数分、空港に私を見送りに来てくれた時です。週に数回、テレビ電話で話します。姿を見ているのに、会う度に大きくなったと実感します。小学2年生です。

 この子が生まれた時は香港にまだいました。帰国しても東京と福岡で別々に暮らしています。会うのは年に2回ほど、しかもコロナで旅行もままなりませんでした。孫娘は今だに私に遠慮、気兼ねがあります。この子世代の好きなことを私はあまり知りません。しかも会う時には必ず叱られます。「嘘泣きは良くない。」とかいう具合です。それでも喜んでくれるのは祖母として嬉しい。

 一緒にご飯を食べました。お正月のお昼ご飯以来です。一緒にお風呂に入りました。嫌がるかなと思っていたのに、湯船に二人で浸かっていると、心も体もほぐれました。このお風呂にまだ数ヶ月のこの子を入れたことを思い出しました。片手でも支えられるほど小さかった命がこんなに大きく成長しています。掛け算の九九を諳んじてくれます。お風呂場の壁には九九の表や世界国旗の表示された地図が貼られています。お風呂場でもうるさいババです。「ちょんとお尻を洗った?」「まず、パンツから履きなさい。」

 たくさん持っているおもちゃを披露してくれます。私はおもちゃを買い与えた事がありません。このクリスマスは何か送ってあげようかなと心で思いました。好きなお話やおもちゃのことになると活気付いて、よく喋ってくれます。やはり女の子です。 

 一緒に大きなベットで寝ました。手を繋いでいましたが、起き出して家族がいる部屋に出て行きました。どうも私と一緒に寝るのが心許無いようです。しばらくすると戻ってきて横に滑り込んできました。言葉もかけずにただ手を握って眠りにつきました。私の方が疲れで先に寝入ったと思います。夜中、お布団を蹴飛ばす孫娘に数回お布団をかけ直しました。薄明かりに見える幼い寝顔を大事に胸に収めました。

 朝は気落ちよく起きてきました。朝ごはんを済ませて、時間があるのでひと遊びします。小さな人形をお絵かきしました。一緒に並んで机でお絵かきしました。普段の登校は一人だそうですが、途中まで見送りました。道の分かれ目でお別れです。他の子供たちもいるのにギュッと孫を抱きしめました。恥ずかしかったに違いありません。

 快晴、眩しいほどのお日様に向かって歩いて行きました。今度会えるのはいつになるでしょう。どんな娘になるのか、どんな人生を歩むのか、後ろ姿を見ながら孫娘を案じました。

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新蕎麦

2021年11月11日 03時56分00秒 | お外の食事
晴、11度、42%、東京

 新蕎麦の解禁が今年は遅かったそうです。お蕎麦屋さんの表に「新蕎麦」と書かれた紙が目に付くようになりました。「新蕎麦」の美味しさを知ったのは帰国してからのことです。今年もとあの香りを思い出します。

 昨日から東京に来ています。お昼は「新蕎麦」と決めていました。福岡と東京のお蕎麦の大きく違うところはつゆです。掛け蕎麦のつゆ、東京は濃口醤油と甘味を強く感じます。福岡は薄口醤油を使うので色も澄んでいます。東京に10年近くも住んだのに、どうしても馴染めなかったのが蕎麦、うどんのつゆでした。

 「新蕎麦」はざるでいただきます。付けつゆの東京風味の濃さを久しぶりに食べてみたくなりました。繁華街、お蕎麦屋さんは脇道にあるはずと一軒格子戸の店を見つけました。戸を開けると既に満員。店員さんに「新蕎麦」の有無を確認します。この店、表に貼り紙がなかったのです。「ありますよ」の言葉と一緒に相席に案内されました。お品書きを読むのは楽しい。天ぷら蕎麦だけは避けようと決めていました。天ぷらの香りが「新蕎麦」の香りを邪魔します。頼んだのは「しらす蕎麦」です。

 店の中で
 蕎麦が打たれています。透明なパーティションの真向かいの女性は、三種類の割合の違う蕎麦の食べ比べを召し上がっています。気付くと小さなお銚子が一本。まだお昼です。私と同年輩の女性です。髪はセットされ爪も手入れされています。仕事の出来る営業マンのように見受けます。などなど、店を観察してるとやって来ました、「しらす蕎麦」。
 ざるでないのにガックリですが、早速箸をつけました。付けつゆはほとんど使いません。「新蕎麦」はいい茹で加減です。やや固め、噛み締めると蕎麦の香が口に広がります。最後に付けつゆにたっぷり蕎麦湯を注いで頂きました。美味しかった。まだお腹は物足りませんが、次に向かう時間が迫っています。

 向かいの女性のようにお昼間から日本酒とお蕎麦、余裕を感じます。こんな人に出会うのも都会ならではです。この時期ならではの季節の物、関東風のつゆもまた美味しいと堪能しました。



  

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