気ままに

大船での気ままな生活日誌

日曜美術館30年展(完)

2006-09-20 10:31:16 | Weblog
第1章の「夢の美術案内」ビデオコーナーで早速、釘付けになりました。あの作家が、この画家をこういう理由で好きだったのか、なるほど、わかる、えっ そうなのと、一回り10分間ほどのビデオを、食い入るように、繰り返し見てしまいました。昭和50年代の放送ですから、当然ですが、皆さんみな、お若いです。亡くなられ方も多くいらっしゃいます。5人分をまとめて10分の、さわりだけですが、本当に貴重な映像です。

司馬遼太郎さんは、前衛彫刻家の八木一夫さんがお好きで、作品としては「ザムザ氏の散歩」が一番だといいます。前田青とんさんの「洞窟の頼朝」とか片岡球子さんの武将の顔シリーズなら、なるほどと思うのですが、意外でした。司馬さんは、言います。八木さんは、一見悪意の固まりのような人、あるいは、非常に透明度の高い精神をもつと言い換えてもいいかもしれない、全く飾りのない人だ。こういう人の作品をみていると、私のような、借り物で仕事をしている者には、いつも、お前裸になれと、言われているような気がするんですよ。

野坂昭如さんは、鏑木清方さんです。清方さんは、美人画家だけど、その範囲にとどまらない昭和を代表する文化人だ、昭和の時代の変わり目を生き、その時代をありのままに描いた、これほどの人はいない、心寂しいときは、この人の絵をみると元気になれる、と激賞していました。小町通りの鏑木清方美術館には時々散歩の途中、寄りますが、また近い内に覗いてみたくなりました。

白州正子さんは黒田清輝さんでした。自宅の食堂の鎧戸の前に清輝さんの作品「読書」が飾ってあって、鎧戸からの光の加減がちょうどよく絵に合っていて、それを食事のたびに見ていたそうです。さすが名家ですね、こんな名画がいつも見られるのですから。うちなんか、せいぜいカレンダーの名画です。子供のときから、こういう、いいものを見ているから、後年、美的感覚がとぎすまされるのでしょうね。

手塚治虫さんは鳥獣戯画でした。これは、やっぱり、納得と言ったところですね。漫画の原点だそうです。現代でも通用する、とてつもない作品だそうです。天才は天才を知るですね。

池波正太郎さんはルノワールです。ルノワールといえば、若い女のヌードだが、ヌードがいいというわけではなく、その裸体の表現している生命力というか、活力ですね、あれは、ルノワールが絵を描いていた時代でないと、出てこない、と語っていました。また、家族と一緒に、わいわい騒ぎながら、仕事を進めているところが自分と似ていて好きだ、とも言います。最近、池波さんの「食卓の情景」を再読していますが、池波さんの家庭の様子が描かれていて面白いです。わいわい、とは言っても、はじめのころは、嫁と舅の関係で苦労され、そのうち、楽しい関係になったようです。確かに、家庭が面白くなければ、能率よく、いい仕事はできませんね。

ビデオ放送には入っていませんでしたが、展示の方で拝見した、住井すえさんの小川芋銭さんの推薦文に興味を覚えました。どちらの方も、牛久にお住まいだった方です。私も、そこで20数年間住んでいましたので、お二人の方は存じておりました。住井さんは、牛久沼のほとりに住んでおられ、晩年はときどき講演もされ、お聴きしたこともあります。芋銭さんは、墨絵のようなカッパの絵をよくお描きになり、かっぱの芋銭として名が通っています。住井さんが激賞した絵は、カッパの絵ではなく、トウモロコシの色づけの絵で、葉が風にそよぎ、穂から花粉が飛んでいるような、風情を描いた「夕風」という作品でした。命を宿そうとする、とうもろこしの、葉のそよぎが、何ともいえず、いい、言われたそうです。ちなみにトウモロコシの花粉はどの植物より遠くに飛ぶそうです。命を真正面から見続けてこられた、住井さんらしい感想です。

アトリエ訪問のビデオも楽しいものが多くありました。浜田庄司さんが陶器の模様をつくるときに、流しかけという、肝心要な作業を行います。15秒ほどで終わってしまいます。そのときの浜田さんの言葉が面白かったです。よく、聞かれるんですよ、15秒で、なんで、そんなに高価なんですかって。そのときは、こう答えるんです。皿をつくるのに、60年と15秒かかってんです、と。

とても楽しい美術散歩でした。1500回、続くはずです。

(完)


















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