気ままに

大船での気ままな生活日誌

鈴虫が鳴いてる

2006-09-28 21:24:12 | Weblog
夕方、大船駅の笠間口近くの中華料理屋さん「千馬」で、食事を済ませての帰り道です。洋食レストラン「みかさ」の近くにきたとき、突然、鈴虫の鳴き声に気づきました。あれ、鈴虫だ、今年初めて聴く、と言いましたら、ワイフは、何、言っているのよ、もう1週間前から聴いているわよ、と冷たく突き放されました。

ちょっと前までは、セミの鳴き声でいっぱいだったのに、もう鈴虫なんですね。秋は、初秋から中秋に移っていたんですね。家の近くの砂押川の近くに来ましたら、一層、その鈴の音は大きくなってきました。時々、違う虫の音色も混じり、自然の奏でる音楽のようです。

遠回りして、川沿いをゆっくり歩きました。最近、部屋で、BGM風に聴いている、カーペンターズのカレンの哀調を帯びた歌声のようにも聴こえました。思いがけず、中秋の風情を満喫しました。

ふと、最近読んだ、藤原正彦さんの「国家の品格」の中にあった、文章を思い出しました。藤原さんの自宅に招いた、米国の大学教授が庭の虫の鳴き声を聞いて、何んだ、あのノイズは、と言ったそうです。日本人と欧米人の感性が違う例として示したのです。もののあわれという情緒は、日本人特有のようですね。

良かった、日本人に生まれて。

(写真は今日、訪れた瑞泉寺の境内に咲いていた秋明菊です)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常楽寺と悲話

2006-09-28 11:52:13 | Weblog
昨日のことです。午前中の雨天が、うそのように、午後3時頃に晴れてきましたので、ついつい外に出てしまいました。私は行き先不明の散歩が大好きです。マンションを出て、女子大の横の提供公園をまっすぐ進み、大船中央病院のところに出ます。立ち止まり、そうだ、久しぶりに常楽寺に行こう、と決めました。ところが、しばらく歩いているうちに、うっかり、曲がらなければならない道を通りすぎてしまいました。じゃあ、多聞院方面に変更だと、そのまま、住宅街の坂道を上がって行くと、見覚えのある公園が見えてきました。ここからも常楽寺に入れることを思い出し、「変更取り消し」にしました。

大船むくどり公園という名の小さな公園に入ると、犬が飛びついてきました。犬好きの私は、屈んで、指をなめさせていました。すると、すみません、よごれたでしょうと、75~78才ぐらいでしょうか、男の人が近寄ってきました。木曾義高のお墓は、ここでしたよね、と尋ねますと、はい、そこですと指をさします。この公園は、常楽寺の裏山の粟船山のてっぺんにあたり、ここに、木曾義仲の長男、義高のお墓があるのです。

お墓の前で、この下にある常楽寺のご近所に昔からお住いの、その方としばらく話をしました。去年は、とくに土日などは、このお墓を見学に来る人で、いっぱいでしたよ、NHKの大河ドラマの義経の関係です、番組の中で、このお墓も紹介されたんですよ、皆さん、言うんですよ、こんな、小さなお墓だとは思わなかった、と。

私は、大船に来てすぐの頃、散歩中、このお墓を偶然見つけ、大変びっくりしましたことを覚えています。義高と大姫の悲しい物語は、ある程度知っていましたから、その義高のお墓が、こんな身近にあることに驚くと共に、見学に来られた皆さんと同じような感想をもちました。

木曾清水冠者義高公の墓と彫られてありました。手を合わせてから、午前中の雨でぬかるんだ小径を、下の常楽寺に向かって、そろりそろりと、下っていきます。途中に、また小さなお墓があります。姫宮の墓とかかれています。このお寺の開基、北条泰時(貞永式目で有名ですね)の娘さんのお墓ですが、大姫の墓と言われていたこともあるようです。まだ、幼い大姫は、「おむこさん」で一緒に仲良く暮らしていた、義高が頼朝の命で殺されてから、ノイローゼになり、その後も、ずっと病気がちでした、頼朝や政子の薦める縁談に目もくれず、20才の若さでこの世を去りました。この悲しい二人の運命に同情し、せめて死後は近くにおいてやりたいという、土地の人のやさしい気持ちが、そうさせたのでしょうね。

茅葺きの山門の額に「粟船山」の大きな字がみえます。あわふね、と読み、大船の地名の由来にもなっています。中に入ると、石畳が続く先に、仏殿が見えます。比較的最近、修復工事をしています。プロジェクトチームによる、その修復過程の報告書を鎌倉図書館で読んだことがあります。仏殿には、阿弥陀如来像などが安置されています。現在、国宝館に保管されている、国指定重要文化財の銅鐘は、仏殿の右側にあったそうです。左側には、落ち着いた感じで、茅葺きの文殊堂があります。明治のはじめに、英勝寺から移したものだそうです。裏に回ると、北条泰時のお墓があります。お参りして、池のある庭園の方に回ります。

私の愛読書のひとつに「かまくら子ども風土記」があります。子ども用だなんて、馬鹿にしてはいけません。とても分かりやすく書かれ、それでいて、内容は落としていません。ただ、この本は、普通の本屋さんには売っていません。鎌倉市役所でしか買えません。その本に、この池の伝説がでていますので、紹介しますね。

この池は「色天無熱池」と仏教的な名前がついていますが、「おたたきの池」という別名があります。その名前の由来の伝説です。常楽寺の、後に建長寺を開かれる、蘭渓道隆のもとに多くの僧が勉強に来ていました、この中に江ノ島の弁天さまがいました、弁天さまは、道隆の給仕として宋から来ていた、乙護童子(おとごどうじ)にいたずらをして、童子を美しい女性に変えてしまいます、童子はそれに気づかず、いつもどおり、道隆のお世話を一生懸命します。そのうち、土地の人が、道隆が美女を寵愛していると、うわさするようになります、童子は、師のため、そして自分の潔白のため、白い大蛇となって大銀杏の木に七回り半、巻き付き、その尾で池の底をたたいたというのです。それで、今でも、この池を「おたたきの池」というのです。

家を出るとき、ワイフから、大船ルミネで日影茶屋のあぶずり餅を買ってきてね、と言われていたので、駅に向かいました。そのお菓子は、自分が大好きな、京都の阿闇梨(あじゃり)餅にそっくりなんだそうです。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする