気ままに

大船での気ままな生活日誌

稀勢の里、殊勲賞

2006-09-26 09:25:38 | Weblog
大相撲九月場所が終わりました。結局、横綱を目指した白鵬が、期待はずれの成績で、朝青龍が18回目の優勝を早々決めるという、盛り上がりに欠けた場所になってしまいました。でも私にとっては、小結・稀勢の里が千秋楽に、不戦勝ではありましたけれど、見事に勝ち越しをして、初の殊勲賞をとったことが、なによりも嬉しく思いました。

初日に白鵬を接戦の末、突き落としで破ります。この一番で白鵬はおかしくなり、横綱の夢が露と消えます。6日目には、これまで全勝の朝青龍を堂々と寄り倒します。この日は、5大関が立て続けに敗れるという異様な雰囲気の中での結びの一番でした。まだ一度も勝ったことがない、神様みたいな横綱に思い切りぶつかります、得意の右上手でがっちり引きます、寄っていくと小手投げを打たれますが、ぐっと残し、右の上手投げを打ちながら寄り倒しました。稀勢の里、快心の一番です。座布団が舞います。稀勢の里が生涯一番嬉しかった日に違いありません。この2番が評価され、殊勲賞の栄誉に輝きました。

私は、しこ名が萩原と言う時代から稀勢の里のフアンです。十両に上がる前から、将来を嘱望されており、同期の琴欧州、豊の島と、張り合い、切磋琢磨していました。とくに琴欧州に対しては、先に大関になられた悔しさから、ライバル心は煮えたぎっています。

私が稀勢関を応援する理由のひとつに、彼の相撲に対する、一途な思いが伝わってくるからです。いつも真っ向勝負です。今場所は、一度だけ、ちょっと、立ち会いに変化する相撲をしてしまいました。ばちがあったって(笑)、数日後、これも正攻法で有名な安馬に変わられて負けました。安馬も取り組み後、反省していましたが、咄嗟に出てしまうことがあるのでしょう。また、勝っても、有頂天にならず、平常心でいるところも見上げたものです。これは、師匠の鳴戸親方の教育のたまものです。

師匠の元横綱、隆の里関は、糖尿病を患うなど、苦労しながら横綱の職責を全うし、おしん横綱ともいわれていました。そういう師匠ですから、常々「勝っても有頂天になるな、惻隠(そくいん)の情を覚えないといけない」と教えているそうです。苦労人だから、いえる言葉です。

実は、私は稀勢の里関の出身地、茨城県牛久市に、一年半前まで、勤めの関係で、20数年間住んでいました。それも、彼を応援している、大きな理由のひとつです。おしん横綱二世の誕生のために今後も応援したいと思います。

写真は、今場所13日目の国技館に入場してくる稀勢の里関の写真です。この日は残念ながら、岩木山に寄り切られ、勝ち越しはなりませんでした。私もしょんぼりと、両国をあとにしました。

来場所は10勝以上して、是非、関脇昇進を果たしてください。

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余話

そう言えば、神奈川県出身のお相撲さんは、今幕内にいませんね。昔、若羽黒とか隆三杉がいましたが。そのうち、鎌倉出身で四股名が、鎌倉山、大船出身で粟船山(あわふねやま;大船の地名の由来になった、常楽寺の山です)なんていうお相撲さんが出てきてくれれば、いいですね。すぐフアンになります。懸賞もすごいでしょうね、鎌倉山ローストビーフが先頭で、鎌倉ハム、鎌倉ビール、大船軒、大船ルミネとか続き、鳩さぶれは、毎回、黄色の旗を10本たてて回る・・・

そんな日は、どう贔屓めにみても、来そうもないですね。





コメント
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