一昨日、近くの鎌倉芸術館で上映された”マリアカラス 最後の恋”をふたりで観てきました。オペラ界の女神(ディーバ)、マリアカラスと世界の海運王アリストテレス・オナシスの結びつきを描いた伝記映画です。なかなか面白かったです。監督はジョルジョ・カピターニ、主演女優はマライカラス似のルイーザ・ラニエリです。
去年、紫陽花の時期に箱根に行ったとき、ガラスの森美術館で、マリアカラスのステージ・ジュエル展が開かれていて、観てきました。50点ものスワロフスキー製のジュエルが光輝いていましたが、彼女の”波乱の”人生のことも紹介されていました。また、ついこないだ、大船フラワーセンターのバラ園でマリアカラス(品種名)をみてきました。濃いピンク色の花ですが、早咲きのグループらしく、もう盛りはすぎていて2輪ほどしか咲いていませんでした。以上が、映画をみる前の、ボクのマリアカラスについての予備知識です(笑)。
はじめのシーンが痛快でした。デブの(当時は100キロあったそうです、のちに30キロ減量しました)マリアカラスがオーディションを受けたときのことです。歌う前に審査員たちが、ステージ映えがしないなと言っているのを聞いて激怒したマリアカラスは会場を出てしまいます。推薦者がやっと連れ戻し、歌い始めた”椿姫”のろうろうとしたすばらしい歌声に、呆然とする審査員たち、立ち上がって拍手までしてしまいます。ボクら観客も、遠山の金さんが”この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねえぜ”とたんかをきったときに感じるような爽快感で映画がスタートする。
中程のシーン。マリアカラスの前で自分の少年時代の悲惨な思い出を語るオナシス。もう誰にも文句を言わせないエライ人になろうと決心したと。こんなことは誰にも話したことはないんだよ、と殺し文句。同じようにつらい過去を背負い、オペラ界のトップに登り詰めたマリアカラス、この気持ちがよくわかる、一気にオナシスに心が傾く。次々と事業を拡大していったように、女性関係の拡大(事業発展に絡めてだが)にもきりがない(ケネディ夫人にまで手にいれる)オナシスだが、マリアカラスだけは心から愛していたのではないかと思う、と思わせるラストシーンが待っている。
ここで話はちょっと変わりますが、天才論で有名な新藤隆夫さんが著書の中で述べていることなのですが、天才の多くは幼少年期に親を失うとか極度の貧困を経験している、そうゆう精神的危機を乗り越えようとする、心の底からわき上がる大きなエネルギーが天才をつくるのだそうです。マリアカラスもオナシスもそうですから、”英雄、英雄を知る”的な恋だったのでしょう。
結婚し、楽しい時期もありましたが、生まれてくる子は死産、そのあと事業拡大のため政治的な力が必要とケネディ大統領の義妹に近づくオナシス。そんなこんなで、マリアカラスの心は次第に離れてゆく。
ラストシーン。オナシスは大病にかかる、奨められたニューヨークの病院には行かず、マリアのいるパリの病院に向かう。そして、その途中、彼女のマンションに立ち寄る、居留守をつかっているのが、玄関の鏡にうつる彼女の姿でわかるオナシス。しぼりだすような声で”許してくれ、私が悪かった”と言って立ち去る。車に乗り込むオナシスを窓からみているマリアカラス。許すわ、とそっとつぶやく。聞こえたかのようにオナシスがちらりと窓を見上げる。
・・・・・
劇場でのマリアカラスの、カルメンなどの歌声もすばらしかったです。生前の録音のものかと思いましたが、現役のオペラ歌手のものでした。舞台衣装のジュエルは、多分、ボクらが箱根でみたと同じスワロフスキー製のものだったと思います。
関連写真は、バラのマリアカラスが”適任”ですが、撮っていませんでしたので、そのとき開催されていた山紫陽花展の花をいくつか載せることにしました。まるでマリアカラスのジュエルのように、きらきら輝いていました。
去年、紫陽花の時期に箱根に行ったとき、ガラスの森美術館で、マリアカラスのステージ・ジュエル展が開かれていて、観てきました。50点ものスワロフスキー製のジュエルが光輝いていましたが、彼女の”波乱の”人生のことも紹介されていました。また、ついこないだ、大船フラワーセンターのバラ園でマリアカラス(品種名)をみてきました。濃いピンク色の花ですが、早咲きのグループらしく、もう盛りはすぎていて2輪ほどしか咲いていませんでした。以上が、映画をみる前の、ボクのマリアカラスについての予備知識です(笑)。
はじめのシーンが痛快でした。デブの(当時は100キロあったそうです、のちに30キロ減量しました)マリアカラスがオーディションを受けたときのことです。歌う前に審査員たちが、ステージ映えがしないなと言っているのを聞いて激怒したマリアカラスは会場を出てしまいます。推薦者がやっと連れ戻し、歌い始めた”椿姫”のろうろうとしたすばらしい歌声に、呆然とする審査員たち、立ち上がって拍手までしてしまいます。ボクら観客も、遠山の金さんが”この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねえぜ”とたんかをきったときに感じるような爽快感で映画がスタートする。
中程のシーン。マリアカラスの前で自分の少年時代の悲惨な思い出を語るオナシス。もう誰にも文句を言わせないエライ人になろうと決心したと。こんなことは誰にも話したことはないんだよ、と殺し文句。同じようにつらい過去を背負い、オペラ界のトップに登り詰めたマリアカラス、この気持ちがよくわかる、一気にオナシスに心が傾く。次々と事業を拡大していったように、女性関係の拡大(事業発展に絡めてだが)にもきりがない(ケネディ夫人にまで手にいれる)オナシスだが、マリアカラスだけは心から愛していたのではないかと思う、と思わせるラストシーンが待っている。
ここで話はちょっと変わりますが、天才論で有名な新藤隆夫さんが著書の中で述べていることなのですが、天才の多くは幼少年期に親を失うとか極度の貧困を経験している、そうゆう精神的危機を乗り越えようとする、心の底からわき上がる大きなエネルギーが天才をつくるのだそうです。マリアカラスもオナシスもそうですから、”英雄、英雄を知る”的な恋だったのでしょう。
結婚し、楽しい時期もありましたが、生まれてくる子は死産、そのあと事業拡大のため政治的な力が必要とケネディ大統領の義妹に近づくオナシス。そんなこんなで、マリアカラスの心は次第に離れてゆく。
ラストシーン。オナシスは大病にかかる、奨められたニューヨークの病院には行かず、マリアのいるパリの病院に向かう。そして、その途中、彼女のマンションに立ち寄る、居留守をつかっているのが、玄関の鏡にうつる彼女の姿でわかるオナシス。しぼりだすような声で”許してくれ、私が悪かった”と言って立ち去る。車に乗り込むオナシスを窓からみているマリアカラス。許すわ、とそっとつぶやく。聞こえたかのようにオナシスがちらりと窓を見上げる。
・・・・・
劇場でのマリアカラスの、カルメンなどの歌声もすばらしかったです。生前の録音のものかと思いましたが、現役のオペラ歌手のものでした。舞台衣装のジュエルは、多分、ボクらが箱根でみたと同じスワロフスキー製のものだったと思います。
関連写真は、バラのマリアカラスが”適任”ですが、撮っていませんでしたので、そのとき開催されていた山紫陽花展の花をいくつか載せることにしました。まるでマリアカラスのジュエルのように、きらきら輝いていました。