
ぼくのガガガの女房は、熊本城のすぐ下の下町で生まれ育った。小柳るみ子のヒット曲じゃないけど、彼女にとっては熊本は”私の城下町”なのだ。ぼくにとっても思い出の町で、今と違って当時はちょとは美人でスタイルもよかった(汗)奥さんを嫁さんにもらいたいと、典型的な肥後もっこすのがんこ親父さんに緊張して挨拶に行ったときのことが、ちょっと前の出来事だったように思う。なんとか許しを得て(汗)、夫婦になり、その後、何度も熊本に訪れているが、この桜の季節に来たことは一度もない。現役中は、仕事柄、この季節は一番忙しい時期で、訪問することは不可能だったのだ。
今回、本当に、はじめて、熊本城の桜を、それも、とっても、ついていて、満開の桜を愛でることができた。とてもうれしかった。彼女の中学校の同窓会があり、今回、ぼくも一緒についてきたのだ。実家には、もう、あの肥後もっこすのお父さんも、逆ににとても心穏やかだったお母さんも他界し、さびしくなったが、義弟家族が迎えてくれた。
35年も前の、はじめて観た熊本城に比べると、大きな違いはないが、お殿さまが住んでいた本丸御殿というのが、2年ほど前に再建され、これが人気となり、もう300万人が訪れたという。そのテレビニュースで、300万人目のご家族が紹介されていた。もし、不倫関係のカップルが、たまたまこれに当たってしまったら、困るだろうな、と思って、ごくりと球磨焼酎を飲んだ(汗)。ぼくも301万人目ぐらいの観客となって、翌日に入った。さすが、これだけの人を呼べるはずだと、思った。建物もさることながら、とくに、当時の残された資料をもとに制作したという障壁画がすばらしかった。
お城の敷地内に、県立美術館もあり、最近、これに付設して細川家の永青文庫展示室が出来た。目白の永青文庫は、なんだか倉庫のような美術館だが、こちらは、小さいながら居心地の良い、近代的美術館だった。
また、桜だけではなく、樹齢1000年を越すという、7,8本の大楠の自生地(国指定天然記念物)にも驚かされた。これまで、案内板もなく、ぼくも今回、はじめて気づいたのだ。
さまざまなこと思い出す桜かな(芭蕉)の一日だった。
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3月27日の熊本城の桜


本丸御殿一番の部屋。 将軍の間としたいところを遠慮して”昭君の間”としたという。右端の白馬に乗っているのが王昭君。

王昭君。 ”王昭君”漢を脅かす匈奴へ”貢物”として故地へ嫁ぐことになった。足立美術館で安田靫彦の作品をみた。

これは松の間だったか?

とにかく華やかな障壁画、襖絵の数々にはおどろいた。

大楠の自生地

案内図は、北鎌倉に美術館をもつ葉祥明さんによる。彼もお城の下で生まれ育った。

永青文庫展は、またのちほど紹介しようと思う。
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これから、三鷹の小学校のクラス会に行くが、ついでに、国立や井の頭公園の花見も、ガガガの女房と行ってきます。みなさんも、今日はお花見でしょ。
