今年の、三春の滝桜見物も、JR郡山駅からの(2時間に一本程度)電車に合わせて待っている三春駅前発のバスを利用した。入園料込みで往復、1000円だが、乗り降り自由で、途中で降りて、町の中に何十本もある、お寺や民家の枝垂れ桜を見物することができる。それに、ここは元城下町であったので、落ち着いた町の風情も楽しむことができる。
郊外の滝桜を観たあと、バスが町中に入ったとたん、はやくも車窓から常楽院桜がみえてきた。
町の中心、役場前で降りて、前回も行ったことのある、舞鶴城(跡)に登る道沿いの民家の枝垂れ桜を観に行った。4,5本の枝垂れが見事に咲き誇っていた。そこの奥さんが、これは全部、うちのものなんですよ、と自慢げに話してお茶を入れてくれた。だいたい真ん中のが早く咲き、全部そろって満開になるのは、珍しいことだと言っていた。桜の写真は、道路を隔てた、向こう側の丘から全景を撮るといい。
これは川端にあった桜だ。
これは、本屋さんのうしろの桜。とにかく町の至るところに枝垂れ桜があるのだ。はじめて、ふたりで来たときにはびっくりした。
歩いている途中、”本日の桜情報”なるポスターをみつけた。こんなふうに、どこかの町に一本でももっていけば、それだけで名所になるような、花魁クラス(たとえが悪いかな)の桜があちこちに何気なくあるのだ。
城下町の面影もある。これは三春小学校の門である。寛政年間の建物で、藩校のような教育施設だったものだということだ。大阪でもりっぱな幼稚園をみたが、三春の小学生は幸せものだ。校庭にも、いっぱい桜が咲いていた。
懐かしいような洋風建物は医院だった。そこの裏庭にも桜がいっぱい咲いていた。
路地裏に入ると、さびれゆくさまが、うるわしい廃墟の建物があった。廃墟といってもバカにできない。長崎の無人の軍艦島(廃墟の炭鉱施設)は観光名所になっているらしい。
三春駅前も桜がいっぱいだった。
あ、そうそう水墨画の雪村は、晩年この地に庵を結び、ここで生涯を終えたそうだ。雪村庵桜もあるらしい。今度、訪ねてみよう。
郊外の滝桜を観たあと、バスが町中に入ったとたん、はやくも車窓から常楽院桜がみえてきた。
町の中心、役場前で降りて、前回も行ったことのある、舞鶴城(跡)に登る道沿いの民家の枝垂れ桜を観に行った。4,5本の枝垂れが見事に咲き誇っていた。そこの奥さんが、これは全部、うちのものなんですよ、と自慢げに話してお茶を入れてくれた。だいたい真ん中のが早く咲き、全部そろって満開になるのは、珍しいことだと言っていた。桜の写真は、道路を隔てた、向こう側の丘から全景を撮るといい。
これは川端にあった桜だ。
これは、本屋さんのうしろの桜。とにかく町の至るところに枝垂れ桜があるのだ。はじめて、ふたりで来たときにはびっくりした。
歩いている途中、”本日の桜情報”なるポスターをみつけた。こんなふうに、どこかの町に一本でももっていけば、それだけで名所になるような、花魁クラス(たとえが悪いかな)の桜があちこちに何気なくあるのだ。
城下町の面影もある。これは三春小学校の門である。寛政年間の建物で、藩校のような教育施設だったものだということだ。大阪でもりっぱな幼稚園をみたが、三春の小学生は幸せものだ。校庭にも、いっぱい桜が咲いていた。
懐かしいような洋風建物は医院だった。そこの裏庭にも桜がいっぱい咲いていた。
路地裏に入ると、さびれゆくさまが、うるわしい廃墟の建物があった。廃墟といってもバカにできない。長崎の無人の軍艦島(廃墟の炭鉱施設)は観光名所になっているらしい。
三春駅前も桜がいっぱいだった。
あ、そうそう水墨画の雪村は、晩年この地に庵を結び、ここで生涯を終えたそうだ。雪村庵桜もあるらしい。今度、訪ねてみよう。
三春の滝桜だけは、毎年拝みに行かなければと思っている。それほど神々しい。去年は母のこともあり、出掛けられなかった。今年は是非にと、花の咲き具合をネットで毎日のように調べていた。この寒さで、なかなかすすまなかったが、一昨日、五、六分咲きになり、天気予報も調べ、よし、この日しかないと、昨日、出掛けた。一気に満開になって、ぼくを待っていてくれた。午後2時頃到着したが、もうかなりの人が集まっていた。
ツアー客が、滝桜の前で記念写真を撮っていた。あとで地元の人に聞いた話だが、ツアーの大部分はもう来てしまっていて、蕾だけみて帰ったそうだ。 桜だけは、直前情報で訪ねないとだめだ。うちのガガガの女房も、友人と山形の置賜桜回廊ツアーに先日、出掛けたが、蕾だけだったとがっかりしていた。普段の行いが悪いから仕方がないことだ(爆)。
近づいて観る。ほとんど満開だった。
巨木だけど、花、それ自身は小さくかわいらしい。何万という花をつけているのだろう。すごい精力だ。
根回りが11メートルもあるという。千年の年輪を重ねた巨樹には、誰もが手を合わせたくなるだろう。根元に古い祠がある。さらに手前にもやや新しい祠もある(前の写真にぼんやり写っている)。神が宿っているのだ。まさにご神木だ。
このような傾斜地に根を張っているので、枝垂れの桜はまるで滝のように落ちてゆく。
人々は、まるで滝修行のように桜の滝に打たれている・・人は少なく、ただ写真を撮っている。
うしろから観てみた。菜の花は高見の見物をしていたが、滝桜はどこからみても、おうつくしい。裏表のないご神木だ。
花より団子の人も多かった。”玄米パンのほやほや”の呼び売りを思い出して、ぼくも食べてみたが、ワイフの郷、熊本のいきなり団子の方がおいしかった。
来年もお元気で花を咲かせてくださいね。
八幡様の大銀杏のこともあるし、世は常ならずだから、心配です。
お前が元気で来られるかどうかの方が心配だ。(ご神木の声)
(来春も拝観できるように、身体を鍛えているところ)
ツアー客が、滝桜の前で記念写真を撮っていた。あとで地元の人に聞いた話だが、ツアーの大部分はもう来てしまっていて、蕾だけみて帰ったそうだ。 桜だけは、直前情報で訪ねないとだめだ。うちのガガガの女房も、友人と山形の置賜桜回廊ツアーに先日、出掛けたが、蕾だけだったとがっかりしていた。普段の行いが悪いから仕方がないことだ(爆)。
近づいて観る。ほとんど満開だった。
巨木だけど、花、それ自身は小さくかわいらしい。何万という花をつけているのだろう。すごい精力だ。
根回りが11メートルもあるという。千年の年輪を重ねた巨樹には、誰もが手を合わせたくなるだろう。根元に古い祠がある。さらに手前にもやや新しい祠もある(前の写真にぼんやり写っている)。神が宿っているのだ。まさにご神木だ。
このような傾斜地に根を張っているので、枝垂れの桜はまるで滝のように落ちてゆく。
人々は、まるで滝修行のように桜の滝に打たれている・・人は少なく、ただ写真を撮っている。
うしろから観てみた。菜の花は高見の見物をしていたが、滝桜はどこからみても、おうつくしい。裏表のないご神木だ。
花より団子の人も多かった。”玄米パンのほやほや”の呼び売りを思い出して、ぼくも食べてみたが、ワイフの郷、熊本のいきなり団子の方がおいしかった。
来年もお元気で花を咲かせてくださいね。
八幡様の大銀杏のこともあるし、世は常ならずだから、心配です。
お前が元気で来られるかどうかの方が心配だ。(ご神木の声)
(来春も拝観できるように、身体を鍛えているところ)