気ままに

大船での気ままな生活日誌

寅年ご開帳

2010-04-08 22:16:23 | Weblog


菩提寺から、”寅年ご開帳”の案内があったので、お墓参りを兼ねて行ってきた。川崎、横浜市内で薬師如来を本尊とする”稲毛七薬師”で寅年にだけ、すなわち、十二年に一度の開帳が行われるのだ。江戸時代からの風習だそうである。次の十二年後といえば、たぶん、もうこの世にはいないだろうから(笑)、是非にと天気の良い日をねらっていたのだ。

ここのお寺には、以前は国宝だったが、のちに重要文化財に格下げされた、薬師三尊像があり、いつもは、収蔵庫に納められ、めったに直接、拝むことができないのだが、この期間だけ、扉を開けてくださるのだ。お墓参りを済ませ、まず、その収蔵庫に行った。お祝いの垂れ幕が下がっていて、ぼくは、おそるおそる石段を上がり、薬師汝来両脇士像を拝観した。


やさしいお顔の、いずれも木造の、薬師如来像と両脇の仏像さん、十二神将立像を拝むことができた。ただ、ぼくははじめてではない。何年か前か忘れてしまったが、川崎市内のミュージアムで、そろって展示されたことがあるのだ。ここは保管庫だから、”お堂でみる薬師如来さま”というわけにはいかないが、”寺院でみる薬師如来さま”としては初めてである。こんな、やさしいお顔である。藤原時代にはやった作風だという。これはそこで買った絵ハガキの写真だが。

こんなに穏やかなお顔。


そしてぼくが驚いたのは、仏像さんだけではなく、西脇順三郎さんの書があったこと。境内に彼が、ある随筆でこのお寺を訪ねたときのことを刻した石碑があるのだが、その元となる自書が右端の壁に飾ってあったのだ。国宝なみの扱いというわけだ。



薬師如来は本来、この収蔵庫前の薬師堂におられた。そこにつるされていた赤い提灯に”女房・鉄砲・仏法/笑う門には福来る”とあった。女房・鉄砲・仏法、どうゆう関係があるのだろうか。うちの女房は鉄砲にも仏法にもあまり関係がなさそうなのだが。・・・と思ってうちに帰って調べたら、世の中の安泰を保つものは女房、鉄砲、仏法の三つだという。女房はその場の雰囲気を和らげ、鉄砲は無法者を取り締まり、仏法は人の心を正しく導くとのこと。房、砲、法と語呂合わせもしているとのこと。うちの女房は、ガガガの女房で、静かな雰囲気をこわすほうなのだが。 (女房の気持ち)(ぼくの気持)



父母の眠るお墓の前の、花にらがよく咲いていた。母の好きだった、アザレアも蕾を膨らましていた。来週末の一周忌には、もう咲いているだろうか。




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極上の朝散歩 桜と富士と鶯と

2010-04-08 09:53:01 | Weblog
今朝は朝から、快晴。こんな日は、ロング朝散歩コースをと。年に何度もない、極上の朝散歩だった。

砂押川の桜並木を歩き、鎌倉街道を横切り、大きなマンションの横道を抜けて、さらに、長い石段を登り、山の上の住宅地へ。そこには、”桜の園”があるのだ。毎年、必ず、観にゆく。山(丘)の上だから、大長寺の裏山の山桜も見渡せるし、そしてその山の傾斜部分は風致保存地区になっているので、自生している山桜やキブシなども目の前に観ることができる。

(大長寺の裏山の山桜)

(目前の山桜)

(キブシと桜)

(おろちの桜みたいな桜)

(桜公園の青空に映える桜)


そして、ぼくは山を降り、いつも行く大長寺に向かった。富士山がみえそうな日だと思ったからだ。お寺の境内の桜も満開だった。お日さまのひかりをいっぱいに受け、とても美人にみえた。そこから、うしろを振り向くと、思ったとおり、富士山が青空の中に笑顔をみせてくれていた。ぼくはうれしくなり、お参りをしてから、裏山に登った。山路のうす紫色の花をいっぱいつけた、ほとけのざを踏まないように、気をつけて、ゆっくりと歩き、富士山が一番きれいにみえるビューポイントに辿りついた。そして、顔をあげると、まばゆいばかりにうつくしい富士山が姿をみせてくていた。そして、なんと、富士山は、桜の花に囲まれていた。その上、鶯が初鳴きの頃より、大分じょうずになった鳴き声を絶え間なく聞かせてくれた。

この世にも天国がある、そう思わせてくれた極上の朝散歩だった。









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