
菩提寺から、”寅年ご開帳”の案内があったので、お墓参りを兼ねて行ってきた。川崎、横浜市内で薬師如来を本尊とする”稲毛七薬師”で寅年にだけ、すなわち、十二年に一度の開帳が行われるのだ。江戸時代からの風習だそうである。次の十二年後といえば、たぶん、もうこの世にはいないだろうから(笑)、是非にと天気の良い日をねらっていたのだ。
ここのお寺には、以前は国宝だったが、のちに重要文化財に格下げされた、薬師三尊像があり、いつもは、収蔵庫に納められ、めったに直接、拝むことができないのだが、この期間だけ、扉を開けてくださるのだ。お墓参りを済ませ、まず、その収蔵庫に行った。お祝いの垂れ幕が下がっていて、ぼくは、おそるおそる石段を上がり、薬師汝来両脇士像を拝観した。

やさしいお顔の、いずれも木造の、薬師如来像と両脇の仏像さん、十二神将立像を拝むことができた。ただ、ぼくははじめてではない。何年か前か忘れてしまったが、川崎市内のミュージアムで、そろって展示されたことがあるのだ。ここは保管庫だから、”お堂でみる薬師如来さま”というわけにはいかないが、”寺院でみる薬師如来さま”としては初めてである。こんな、やさしいお顔である。藤原時代にはやった作風だという。これはそこで買った絵ハガキの写真だが。
こんなに穏やかなお顔。

そしてぼくが驚いたのは、仏像さんだけではなく、西脇順三郎さんの書があったこと。境内に彼が、ある随筆でこのお寺を訪ねたときのことを刻した石碑があるのだが、その元となる自書が右端の壁に飾ってあったのだ。国宝なみの扱いというわけだ。

薬師如来は本来、この収蔵庫前の薬師堂におられた。そこにつるされていた赤い提灯に”女房・鉄砲・仏法/笑う門には福来る”とあった。女房・鉄砲・仏法、どうゆう関係があるのだろうか。うちの女房は鉄砲にも仏法にもあまり関係がなさそうなのだが。・・・と思ってうちに帰って調べたら、世の中の安泰を保つものは女房、鉄砲、仏法の三つだという。女房はその場の雰囲気を和らげ、鉄砲は無法者を取り締まり、仏法は人の心を正しく導くとのこと。房、砲、法と語呂合わせもしているとのこと。うちの女房は、ガガガの女房で、静かな雰囲気をこわすほうなのだが。




父母の眠るお墓の前の、花にらがよく咲いていた。母の好きだった、アザレアも蕾を膨らましていた。来週末の一周忌には、もう咲いているだろうか。
