今朝の朝日新聞の文化欄に、ぼくもフアンの音楽評論家、吉田秀和さんの随筆が載っていた。吉田さんの”音楽展望”は昭和46年3月15日の朝日新聞夕刊から始まり、月1回の連載だった。それが、平成16年4月から約2年半、休むが、18年11月1日夕刊で”モーツアルトってだれ?”で復活する。ぼくもよく覚えている。その後、少なくとも、平成20年まで年4回のペースで連載されるようになる。”中原中也の目”なんかも面白かった。その後も、同じペースなのかどうか知らないが、今日、久しぶりに”音楽展望”が、夕刊ではなく、朝刊に載り、どんなニュースよりも、いち早く読んだ。”ああ相撲/勝ち負け、すべてではない”というタイトルだ。
吉田さんの相撲好きは、平成20年、鎌倉文学館で開かれた”吉田秀和展”ではじめて知った。そのとき買った図録を本棚から取り出して、今、みている。こんな文章があった。”(吉田さんは)昭和35年、大相撲春場所で柏戸や大鵬の取り組みをみて、相撲熱が復活。勝負のポイントを一言で言い表す解説者に感心、音楽評論もこうでありたいと思ったという”
今日の随筆をみて、吉田さんの相撲好きは尋常でないことを知った。小学校に上がる前に、相撲好きの大工棟梁の相撲談議を憶えておられるのだ。”相撲は勝ち負けがすべてではない、鍛えに鍛えて艶光りする肉体同士が全力を挙げてぶつかる時、そこに生まれる何か快いもの、美しく燃えるもの、瞬時にして相手をぐいぐい・・・そういった一切を味合うのが相撲の醍醐味”
こんな文章もあった。”憎らしいほど強かった北の湖が、貴公子然とした貴ノ花(先代)の挑戦を受ける。長い攻防の末、勝ち名乗りを受けたのは貴ノ花だった。そのときの満場の歓呼、歓喜の沸騰のすさまじさ。私はTVを前に、北の湖、よく負けた、とつぶやいた”。ぼくも、怪我をしていた貴乃花対武蔵丸の優勝決定戦。よく負けてくれた武蔵丸、とつぶやいたものだ(笑)。若貴兄弟対決のときもそうだった。そのときはよく貴、負けてくれた、だった。
”今、相撲は非難の大合唱の前に立ちすくみ、存亡の淵に立つ。救いは当事者の渾身の努力と世論の支持にしかない。あなたはまだ相撲を見たいと思っていますか”と結ぶ。
相撲好きなぼくは、マスコミの異常なヒステリックな大報道に対し、怒り、普段おとなしいぼくも(汗)、目には目を、歯には歯をと、”ヒステリック”な反論をしてしまうことが何度かあった。でもいくら反論しても、せいぜいぼくのブログをみてくださる方は千人程度だし、なんの影響力もない。
吉田秀和さんは、おだやかな文章で、多くの人の心を動かす力をもっている。こういう文章をかかなければと、反省しています(汗)。