気ままに

大船での気ままな生活日誌

宝戒寺 梅見頃

2011-02-18 18:34:45 | Weblog

立春に宝戒寺を訪れたとき、枝垂れ梅をはじめとする境内の梅は、ほぼ五分咲きぐらいだった。福寿草も咲き始めていた。今日、鎌倉市川喜多映画記念館で、高峰秀子追悼記念映画”二十四の瞳”を観たあと(さすが名画だ、すごくよかった)、近くの宝戒寺を訪れた。もう、梅が満開になっているだろうと思ったからだ。もう夕暮れ近くだったので、門を半分閉ざしていたが、ちょっと覗かせてもらった。枝垂れ梅は、咲きはじめの遅かった枝の梅花も開いていたが、いつもより、花のつきが悪く、全体的に、見栄えはもうひとつだった。でも、他の紅梅、白梅は見事に咲きそろい、十分、楽しませてくれた。それに、福寿草が、すべて出揃ったという感じで、大きなコロニーを形成していた。高峰秀子先生と大人になった教え子たちが再会する、感動的なラストシーンを思い出しながら、梅を見、福寿草を見た。境内にはもう、誰もいなかった。

 

今夜は月も見頃でした。満月!雲が多くてやっと20:20に撮れました。
ふれふれ(2020)。応援のエールです。まけないでがんばってね。

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登呂遺跡

2011-02-18 09:53:17 | Weblog

先日の静岡小旅行で登呂遺跡も見学してきた。中学生のとき、遠足で来て、その後、成人して一度、訪ねたくらいだ。久しぶりの再会だった。随分、こぎれいになった印象だった。公園になっていて、そこに、竪穴式住居、高床式倉庫、祭殿などがいくつも復元されている。そして、その端にりっぱな建物の登呂博物館がある。

博物館では様々な展示物がある。登呂遺跡発見の経緯も詳しく紹介されている。戦時中に軍事施設を建設する際、その存在が知られ、戦後、本格的に発掘調査が行われたそうだ。そのとき水田跡や前述の住居などの遺構、土器、木製品類、装身具までみつかり、弥生時代のムラであることが判明した。当時の新聞記事などの複写も展示されていて、戦後復興が始まったばかりの日本人の喜ぶ顔が目に浮かぶようだった。

当時のムラの様子がパネルで紹介されていた。家屋の向こうには広々とした水田が広がり、皆で田植えをしている。富士山もみえる、うつくしい景色である。実際、天気が良ければ、この博物館の屋上から富士山がみえるらしい。その日は、雨で残念であった。そして、当時の食事の内容も紹介されていたが、二種の焼き魚、貝のお料理、と我が家の夕食より豪華だ(汗)。これにお刺身とお酒をつけてもらえば、弥生時代に戻ってもいいです。女性は装具もつけていたらしい。うちの”昭和・平成時代”の女房なんか、肩がこるからと言って、首飾りもつけたことがない(爆)。

みんな一緒に水田や浜辺で働いて、おいしいご飯を食べて、暇があるときに”陶芸教室”で土器をつくり、”弥生カルチャー教室”で布を織り、きれいな石をみつけてきて装身具をつくり、真っ暗な夜はゆっくり休む。平均寿命も3,40歳だから、老老介護で疲れ果てることもない。現代より、きっと幸せな生活をおくっていたことだろう。

でも、稲作は環境破壊のはじまりでもあるわけだから、もしかしたら、それ以前の縄文時代、石器時代の方が、生物学的にはまっとうな生活形態であったのかもしれない。

 

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