上野の東博見学を終えたあと、何気なく向かった先は、湯島天神。昨日の荏柄天神訪問のことが、頭の片隅に残っていたせいかもしれない。不忍池の端を歩き、天神さまに向かう。本当に久しぶりだ。退職後はじめてかもしれない。現役時代、何度か寄ったことのある居酒屋シンスケの横を通り、湯島天神の女坂の昇り口に出た。見上げると、早咲きの白梅が咲いていた。まだ多くの木はつぼみの状態だった。
本殿の境内に入ると、屋台がたくさん並び、梅まつりの季節になったことを教えてくれる。そして、荏柄天神以上に、たくさんの合格祈願の絵馬が幾重にも重なって吊りさがっていた。本殿にお参りして、庭園の方に出ておどろいた。梅林だったところが、池を中心とした現代的日本庭園に変わっていた。まるで、どこかの御屋敷の庭園のようだった。二年ほど前から、造りはじめ、ほぼ出来きあがったところだと、そこに居た庭園師の方が教えてくれた。池は以前からあったような気がしたが、梅林の印象が強い。ぼくは、以前の方が、湯島天神に合っているように思う。
甘酒は相変わらず、同じ場所で売っていた。ちょっと、身体を温めながら、周囲の梅の花を眺めていた。半々と言う感じだった、咲いてるのとそうでないのが。
宝物館に入ってみた。一階には、お神輿が10基くらいあり、とくに本殿の神輿と、その横の記念神輿はすばらしかった。三社祭りの一宮、二宮、三宮の神輿に負けないくらいの、豪華さだった。これだけでわくわくしてしまった。そして、二階には、名だたる日本画家による、優美な梅の花の絵。大観、春草、土牛、深水、青邨、古径、杉山寧など。そして、広重の湯島天神を描いた浮世絵、すべて、ぼくの好きな雪景色の作品だった。東博でも広重の雪景色をたくさん観てきたが、ここで、また観れるとは思わなかった。わずか300円で、得した気持ちになった。
帰りぎわ、屋台の影に”新派”の石碑が建っているのを見つけた。新橋演舞場が改築されたとき、そこにあったものが、縁の深い当地に移されたと書いてあった。そういえば、庭園内に、鏡花の筆塚があった。湯島通れば思い出す、お蔦、力の心意気・・鏡花の”婦系図”は、よく新派で演じられた。先日、新聞か何かで読んだ、嵐山光三郎のエッセイを思い出した。彼は鏡花が大好きで、仲間と三越劇場で新派の、波乃 久里子主演の”日本橋”を観に行き、その中の芸者さんだったかが、(”日本橋”の装丁と挿絵を担当した)小村雪岱の美人にそっくりだったと書いていた。ぼくも雪岱美人が大好きだから、是非観にいこうと思ったら、残念ながら、もう一月で終了していた。
男坂を下りた、その端に小さな、石仏が建っていた。この辺りは戦災に会わなかったが、この石仏さんのおかげだと現在まで、ご近所の方に敬われているそうだ。通りがかりの80代後半のお年寄りが話してくれた。杖をつきながら、道路の煙草の吸殻などを毎夕、ひろって掃除しているとのことだ。ぼくもひとつ拾ってあげて、ビニール袋に入れてあげた。うちの母も、亡くなる少し前まで、そうしていましたよ、と言ったら、にこりと優しい笑顔を向けてくれた。お元気でね、と言って別れた。不覚にも目がしらがあつくなってしまった。
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湯島の白梅
石仏