気ままに

大船での気ままな生活日誌

湯島通れば思い出す

2011-02-08 22:43:39 | Weblog

上野の東博見学を終えたあと、何気なく向かった先は、湯島天神。昨日の荏柄天神訪問のことが、頭の片隅に残っていたせいかもしれない。不忍池の端を歩き、天神さまに向かう。本当に久しぶりだ。退職後はじめてかもしれない。現役時代、何度か寄ったことのある居酒屋シンスケの横を通り、湯島天神の女坂の昇り口に出た。見上げると、早咲きの白梅が咲いていた。まだ多くの木はつぼみの状態だった。

本殿の境内に入ると、屋台がたくさん並び、梅まつりの季節になったことを教えてくれる。そして、荏柄天神以上に、たくさんの合格祈願の絵馬が幾重にも重なって吊りさがっていた。本殿にお参りして、庭園の方に出ておどろいた。梅林だったところが、池を中心とした現代的日本庭園に変わっていた。まるで、どこかの御屋敷の庭園のようだった。二年ほど前から、造りはじめ、ほぼ出来きあがったところだと、そこに居た庭園師の方が教えてくれた。池は以前からあったような気がしたが、梅林の印象が強い。ぼくは、以前の方が、湯島天神に合っているように思う。

甘酒は相変わらず、同じ場所で売っていた。ちょっと、身体を温めながら、周囲の梅の花を眺めていた。半々と言う感じだった、咲いてるのとそうでないのが。

宝物館に入ってみた。一階には、お神輿が10基くらいあり、とくに本殿の神輿と、その横の記念神輿はすばらしかった。三社祭りの一宮、二宮、三宮の神輿に負けないくらいの、豪華さだった。これだけでわくわくしてしまった。そして、二階には、名だたる日本画家による、優美な梅の花の絵。大観、春草、土牛、深水、青邨、古径、杉山寧など。そして、広重の湯島天神を描いた浮世絵、すべて、ぼくの好きな雪景色の作品だった。東博でも広重の雪景色をたくさん観てきたが、ここで、また観れるとは思わなかった。わずか300円で、得した気持ちになった。

帰りぎわ、屋台の影に”新派”の石碑が建っているのを見つけた。新橋演舞場が改築されたとき、そこにあったものが、縁の深い当地に移されたと書いてあった。そういえば、庭園内に、鏡花の筆塚があった。湯島通れば思い出す、お蔦、力の心意気・・鏡花の”婦系図”は、よく新派で演じられた。先日、新聞か何かで読んだ、嵐山光三郎のエッセイを思い出した。彼は鏡花が大好きで、仲間と三越劇場で新派の、波乃 久里子主演の”日本橋”を観に行き、その中の芸者さんだったかが、(”日本橋”の装丁と挿絵を担当した)小村雪岱の美人にそっくりだったと書いていた。ぼくも雪岱美人が大好きだから、是非観にいこうと思ったら、残念ながら、もう一月で終了していた。

男坂を下りた、その端に小さな、石仏が建っていた。この辺りは戦災に会わなかったが、この石仏さんのおかげだと現在まで、ご近所の方に敬われているそうだ。通りがかりの80代後半のお年寄りが話してくれた。杖をつきながら、道路の煙草の吸殻などを毎夕、ひろって掃除しているとのことだ。ぼくもひとつ拾ってあげて、ビニール袋に入れてあげた。うちの母も、亡くなる少し前まで、そうしていましたよ、と言ったら、にこりと優しい笑顔を向けてくれた。お元気でね、と言って別れた。不覚にも目がしらがあつくなってしまった。

・・・・・

湯島の白梅

 

石仏

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荏柄天神社は日本三大天神?

2011-02-08 10:12:04 | Weblog

荏柄天神社の本殿の前の紅白の梅が咲きそろった頃だな、と春のような陽気の昨日、出掛けてみた。鎌倉一早く咲くといわれている寒紅梅は、だいぶ前から咲いていたが、白梅はなかなか開かなかった。それが、この日は両横綱の土俵入りのように華やかな姿をみせてくれていた。

さすが受験シーズンだけあって、合格祈願の絵馬が、はちきれんばかりに本殿の前と横の壁につるされていた。そしておみくじも、大銀杏の前に隙間のないくらいに結ばれていた。吉と出た人はうれしさいっぱい結んだろうが、凶と出た人はどういう気持ちで結んだのだろうか(笑)。吉と出るまで、買い続けたかもしれない。

さて、案内板によると、荏柄天神社は北野天満宮、大宰府天満宮と並ぶ三大天神であると明記している。ぼくは先月、初天神が行われていた、京都の北野天満宮に行ったばかりだし、2年ほど前、九博を観ながら、大宰府天満宮にも寄った。両社とも、日本を代表する天満宮だということはすぐわかる、実感できる。しかし、わが荏柄天神社はそれらに比べると、百分の一くらいの規模だし、三大天神というのは、どうかなと、かねがね思っていた。

念のため、ウィキペディアで調べてみた。すると、こうゆうことになっていた。
日本三大天神(にほんさんだいてんじん)とは、日本の代表的な3ヶ所の天満宮の総称である。別名日本三天神とも言われる。大宰府天満宮北野天満宮防府天満宮の3ヶ所をもって日本三天神と称する。 異説として防府天満宮を外して、大阪天満宮小平潟天満宮等を入れる場合もある。

ななななんと、わが荏柄天神社には一言も触れていないではないか。ぼくは、防府天満宮も大阪天満宮も行ったことはないので、その規模は知らないが、どちらも、京都の天神さん並の規模ではないかと想像される。

でも、三大〇〇は、日本三景以外は、たいてい、一、二番は固定しているが、三番目は、みなわが街のものがそうだと主張することが多い。だから、荏柄天神社は三番目でいいのだ(笑)。そして、改めて、案内板の写真を点検してみた。文章はこうである。

古くは荏柄山天満宮とも称し、福岡の大宰府天満宮、京都の北野天満宮と並び、日本三天神のひとつに数えられてきました。

えっ? よく読むと、”古くは・・・数えられてきました。” 過去形である。鎌倉時代までは三大天神・・なのかもしれない。現在もそうである、とは書いてない。うーん、どちらにもとれる。玉虫色表現だ。

どちらでもいいですよ、荏柄天神さん(最近、関西の人のマネをして、神社を〇〇さんと呼ぶことにしている)。鎌倉一であることは間違いありませんよ。

 

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