棟方志功といえば、”わだばゴッホになる”。ぼくはこの言葉は、人物評論の達人、草柳大蔵がはやらせたものとばかり、今ままで思っていた。勘違いだった。久しぶりに”新々実力者の条件”の棟方志功のページをめくってみた。タイトルは、”わだばゴッホになる”ではなく、”画壇の化け物、棟方志功”だった。それに、ゴッホについてはあまり触れられていない。
志功に師匠の名を上げてもらうと、”梅原龍三郎、河井寛次郎、川上澄生、それから赤ん坊もカエルもナマズもみな先生です”と答えている。そして、絵描きになるまでに、三つのオドロキを経験する、一つ目、二つ目は無名の(ぼくには)画家の絵をみたり、描いているところ、そして、三つ目にやっとゴッホが出てくる。青森中学の先生からゴッホの”ひまわり”の原色版をもらったことだ。”目玉がブッとんじゃった。ひまわりだ、ゴッホだ。それにロートレック、ベートーベン、あとにはなんにもないよ、僕には”と草柳に話している。
さて、その棟方志功の展覧会が、静岡市立美術館開館記念展シリーズの第三弾として開催されている。志功の作品はいろいろなところで見て来たが(もちろん、地元の、鎌倉山の志功美術館でも)、これほどの大量のまた、さまざまな時期の作品を観たのは初めてだった。本当に、”目玉がブッとんじゃった”展覧会だった。
はじめに、わだばゴッホになる、と始めた油彩画が、あいさつがわりに出てくる。大正13年作の”八甲田山麓図”だ。そして、川上澄生の影響を色濃く受けていることが分かる、星座の花嫁版画集がつづく。鎌倉で観たものだな、と思っていたら、やはり棟方板画美術館蔵のものだった。ついでながら、志功は版画とはいわず、板画という。そして作品には、〇〇の柵と題するが、巡礼の人々が寺に札を納めていくように、祈りの気持ちで作品を納めていく意味合いがあるのだそうだ。”星座の花嫁”は10柵あるが、そのうち3柵が展示されている。
そして、志功が柳宗悦に見こまれた作品、”大和(やまと)し美(うるわ)し”、22柵のうち5柵が展示されている。これには面白い逸話がある(草柳の著作から)。昭和11年、彼はこの作品を国画展に出品したが、浜田庄司が来るとしょんぼりしている。あまりに長く、壁面の関係で展示できないと言われたという。よし、私が二段で並べるように交渉してやろう、といっているところに宗悦が来た。そして”これはすごい、二段どころか一段でいけ”と声を放った。志功が、宗悦、河井、浜田、芹澤介、富本憲吉らのグループに迎い入れられた瞬間であった。
そしてその後は、よくビデオ画像などでみるように、板にへばりつき、無我夢中で彫刻している姿で、志功独特の作品を次々とつくっていくのだ。それらが、展示室にずらりと並んでいるのだから、圧倒されてしまう。二菩薩釈迦十大弟子(六曲一双屏風)、倉敷国際ホテルのための制作した全長26メートルに及ぶ”大世界の柵”そして、佐藤一英の詩をテーマにした、両端の真黒遍・童が浄化されつつ、人間、行者、羅灌、菩薩、仏となり、中央に、鬼門仏が自分の体を割り、悪霊を通すという図になっている”東北経鬼門譜”(パネル装11面)などの大作には度肝を抜かれてしまう。
一方、志功の描く女人もまたいい。ふくよかな愛らしい顔をしている。弁財天さまも、観世音菩薩さま、あおもり妃さまも、漱石の”行人”の挿絵の女人もいい。みな同じような顔をしているが(笑)。裸体画も、谷崎の”鍵”の挿絵やその他にも、多く出てくるが、あまりエロチズムは感じない(笑)。また、豪快に、一気加勢に書かれたような、飛び散るような書もいい。故郷、津軽のねぶた祭りにも志功の作品が入りこんでいるが、これらの色彩豊かな絵もお祭り気分にさせてくれる。(ぼくも青森ねぶたを観に行ったが、いろんなとこで、志功が顔を出す)。いろいろな顔のみえる志功展である。
本展の第三部のテーマに、”旅と文学”とあるように、旅も好んだ。多くの海道シリーズも描き、それらも展示もされていて、楽しませてくれる。最晩年の志功は、芭蕉の”奥の細道”の足跡を辿る旅に出て、終着の大垣まですべてを回った。”旅に病んで夢は枯野をかけめぐる” 同じ思いが、世を去るとき、旅好きの志功の頭をかけめぐったに違いない。
静岡で偶然、出会った、素晴らしい展覧会であった。
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大和し美し(一部)
二菩薩釈迦十大弟子
漱石”行人”挿絵
弁財天妃の柵
続西海道棟方板画;1月 宮崎 磐戸神楽の柵