気ままに

大船での気ままな生活日誌

琳派芸術/転生する美の世界展

2011-02-26 07:55:44 | Weblog

酒井抱一生誕250年記念、”琳派芸術/転生する美の世界展”が、出光美術館で開催されている。前期展も観たが、そちらは、”煌めく金の世界”で光悦、宗達、光琳が中心だったが、今回は江戸琳派の、酒井抱一、鈴木基一が中心だ。

酒井抱一は、今の神田小川町の付近の酒井雅楽頭家別邸で生まれ、育ったのは大手門前の酒井家上屋敷である。現在改築中のパレスホテルの辺りである。姫路城主になった兄の仮養子になり、兄の後を継ぎ、お殿さまになるはずだったが、兄に嫡子が生まれ、それはかなわなくなった。その代わり、生来の文化的素養を開花させ、歴史に残る絵師になった。

絵画ばかりでなく、狂歌や俳諧にも通じていた。20代後半、尻焼猿人(爆)の狂歌名で”吾妻曲狂歌本”(蔦重版)を出している。28歳のときは蔦重の秘蔵子、喜多川歌麿の狂歌絵本”画本虫撰”に自身の狂歌を寄せている。俳諧では、芭蕉の弟子、基角に私淑していたらしい。絵画は、浮世絵師、歌川豊春に学んでいる。だから、はじめは美人画を描いていた。”美人蛍図”なんかとてもいい。以上は、”もっと知りたい酒井抱一(玉虫敏子著)”からの引用だ。

この本には出光美術館所蔵の絵画(すなわち、この展覧会にも展示されている)がいくつも紹介されている。今回は、図録を買わなかったので、以下の写真は、ここからのものである。

姫路藩邸を出た抱一は、30歳から隅田川河畔に住みつき(晩年は下谷根岸の里)、絵画は美人画から草花絵に移っていく。37歳で出家し、抱一上人になる。その風貌は、鏑木清方の描いた肖像画で知られる(下写真)。”燕子花図屏風”は41歳のときの作である。光琳にも同名の名作があるが(去年、根津美術館で観た)、それとは、大部、趣を異にする。燕子花といえば、”八橋図屏風”も展示されていた。これも光琳に同名の作がある。これとの比較の解説のパネルがあったが、並べてみると、だいぶ違っている。抱一は文化12年(1815)に光琳百年忌を行い、同時に展覧会を開催するなど、琳派の光琳の後継を意識しているのだ。

本展覧会、第一章”琳派の系譜”に、宗達、光琳も描いた”風神雷神図屏風”が、抱一作として登場する。いつだったか、東博での”大琳派展”で、三作勢揃いしたことがあった。”模写”とはいえ、それぞれ微妙に違う。風神雷神が少し、おとなしい顔になっている。この部屋に、抱一の一番弟子、鈴木基一の”三十六歌仙図”が挨拶がわりに出てくるが、これも琳派が好んで用いるモチーフのひとつだ。基一の作品は、そのあと第二、四章(基一の美)でも、展示されている。彼の作品の多くは米国で所蔵され、国内ではなかなか観られないらしい。

 

そして、第二章、”薄明の世界”。ここに、ちらし絵に採用された、抱一の”紅白梅図屏風”が登場する。今回の目玉だ。銀箔に銀泥を塗った地に紅白梅が描かれ、月光に照らされた紅梅白梅の様子が描かれている。光琳の金地の紅白梅にはみられない何かが伝わってくる。基一の芒野図屏風もここに出てくる。芒の穂が印象的な、銀地墨画の二曲一隻の屏風だ。変なたとえだが、金閣寺もいいが、銀閣寺もいい、というところだろうか。

どの展示室にも、前期展同様、乾山の工芸品がずらりと並び、とてもぜいたくな気分にさせてくれる展覧会だった。

今年は、畠山美術館等でも、酒井抱一展をやっているらしい。また、訪ねてみよう。

紅白梅図屏風

 

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