ぼくは、旧東海道の全宿場町を歩き切ることを生涯の目標にしている(汗)。すでに、日本橋から箱根までの11の宿場町を制覇していて、そのたびにブログにも記録している。東京、神奈川は、まあ気が向いたときに日帰り出来るから、問題なく達成されたわけだが、静岡県から先は、そうはいかない。それが、先日の静岡小旅行で、はからずも、記念すべき静岡県内・宿場町制覇の第一歩を印すことになったのだ。先日のブログで紹介したように、川瀬巴水展を開催していた静岡市東海道広重美術館が、たまたま、宿場町、由井にあったのだ。
由井駅を降りると、目の前を東海道がはしっている。西方面には、いかにも、江戸時代では難所だった思われる山がみえる。あとで知ることになるのだが、それが広重も描いた”由井薩埵嶺”(ゆい さったとうげ)だ。宿場町は、こっちだよ、と桜海老が呼んでいる。”由井桜えび通り”の大きなアーチ状の看板。東海道の道幅も当時と変わらないように感じだ。
少し歩くと、何故、”桜えび通り”なのかが分かる。桜海老は駿河湾しか採れず、とくに由井漁港がその中心だそうだ。4月~6月が漁期だそうで、その頃、訪ねると、(ポスターをみると)桜色の海老を干している風景がみられようだ。もちろん、新鮮な生桜海老や干し海老も食べられる。
途中、せがい造り(深い軒先をつくるため主屋の柱から腕木を突き出して桁をのせ、この部分に天井を張る構法)と下り懸魚(げぎょ/桁の端を隠すためにとりつける)の家があった。さすが、宿場町だ。
宿場町というと、本陣、脇本陣そして旅籠や茶屋。由比宿は本陣1軒、脇本陣1軒(2軒あるところが多い)、旅籠32軒と比較的小さな宿場だったようだ。ここでは、本陣あとが復元され、公園になっている。離れ座敷”御幸亭”も当時の姿に再現されている。その敷地内に前述の広重美術館がある。そして、この本陣前に由井正雪の生家があり、現在も染物屋さんとして営業しており、”正雪紺屋”の看板を掲げている。
左から、本陣、御幸亭、脇本陣(うんどん屋;うどん屋ではありません)、由井正雪の生家
ただの亀ではありません。ここは、宿場の馬の水飲み場だったのです。
”由井 薩埵嶺”(ゆい さったとうげ)”
広重の絵(山の向こうから描いている。富士山もみえます)
”宿場町歩き”静岡県版第一報の巻でした。隣りの蒲原まで、3キロほどでしたので、本当は、その日にふたつは行きたかったのですが、足手まといがひとりいましたので(爆)次回に回しました。また、宿泊した静岡も”府中”という名の宿場町ですが、時間の関係で、これも、次の機会に残しておきました。ああ、また楽しみが増えてしまった、時間が足りない、どうしよう。