巾着田という地名は誰もが何故?と思う。若い世代は”巾着”という言葉の意味さえ知らないかもしれない。これは小物入れで、財布として使った時代もある。四半世紀も前のことだが、日系二世の米国の大学教授が財布のことを”きんちゃく”と呼んでいたのには笑ってしまった。きっと明治生まれの親からそう教わったのであろう。高麗川がこの辺りで湾曲し、ちょうど巾着のような地形を残した。それで、こういう地名になっている。ついでながら、巾着は腰につけることが多いので、権力者にくっついて、へらへらしている男(女でもいいですが)を腰ぎんちゃくという。
巾着田の彼岸花については、前回、記事にしたが、彼岸花は巾着の右下部だけで、その他のところには大規模なコスモス畑があったり、規模は小さいが、蕎麦の赤と白の可愛い花も咲いている。稲田を見守る案山子がいたり、小川にはタニシやメダカも観察できる。それに、西武秩父線の高麗駅から巾着田への道すがらの農村風景ものどかだ。また少し足を延ばせば高麗神社がある。高句麗の人々がここに定着してから、1300年になるという歴史の町でもある。
こすもす畑
蕎麦の花
赤と白 彼岸花
小川と稲田
道すがら
巾着田は彼岸花だけではなく、コスモスだけでもなく、この子も頑張っていた。