仙石原のすすきを観て、ぼくはバスに乗って強羅へ。そして登山鉄道に乗り換え、箱根湯本へ出た。そのまま、小田原に向う予定だったが、ふと、温泉町を歩いてみようかなという気になった。少しだけ思い出のある町なのだ。母さんが生きているときに、毎年1回、親子4人で家族旅行した。それぞれの配偶者はわざといれない実の親子だけという旅行である。それは、なかなかいいアイデアだった。妹ふたりも気をつかわずにいいと、この旅行を楽しみにしていた。湯本にも泊ったことがあった。河鹿荘という早川沿いの旅館で、母はまだ70代で元気で、随分ここを気に入っていたことを思い出したのだ。
湯本のおみやげ屋さんや食堂の立ち並ぶ大通りを抜け、温泉旅館街となる横道に入った。その口に”小田原馬車鉄道・電気鉄道湯本駅跡”の石碑が建っている。明治21年、国府津、湯本間に馬車鉄道が開通した。その後、明治33年(1900)に、東京の都電より早く、電気鉄道となった。その元・湯本駅のすぐそばに、その旅館がある。日帰り温泉でもあれば入っていこうと思ったが、そうはいかなかった。
旅館のそばに早川が流れていて、橋を渡るとすぐに、”はつはな”という蕎麦の名店がある。店名は”貞女初花物語”からきている。父の仇をうつため箱根路に差しかかった頃、夫、勝五郎は病に倒れる、夫の眠ったあと、初花は向こう山の滝に打たれ、箱根権現様にも参り、薬としても名高い自然薯を掘って、夫に食べさせた。すっかり元気になり、仇討ちも成功したという。で、”はつはな”の売り物は自然薯蕎麦である。
はつはなの向いに、”月のうさぎ”というお菓子屋さんがある。栗がまるごと入った饅頭が売り物のようで、駅に近いお店の方は随分混み合っていた。ここが本店らしい。店先におまんじゅうが展示されていて、”今日は十三夜、箱根でお月見しましょ”の文章が添えられていた。そうか、十三夜か、とうしろを向くと、こうこうと川向こうにお月さまが輝いていた。月のうさぎもよくみえた。そういえば、母さんと来たときも、ちょうど今頃で、お月さまも出ていたっけ。
そして、近くの美術館でしばらく時間を過ごし、本当は小田原で夕食のつもりだったが、母さんと入ったことのある、少し離れた”はつはな”新館にした。板わさとおしんこをつまみに、お月見酒をいただき、自然薯蕎麦でしめた。
思いがけず、箱根湯本で十三夜の月見酒ができ、また母さんを偲ぶことができ、幸せな一日だった。
河鹿荘
はつはな本店
月のうさぎ
はつはな新館(ここで月見酒)
箱根の十三夜