1968年に”猿の惑星”をみたときの、おどろき、感動は忘れられない。ケープ・ケネディから打ち上げられた宇宙船が漂流し、地球時間では2000年の歳月が流れていた。そして、ある惑星に不時着する。そこは英語をしゃべる猿が支配している惑星だった。ラストシーンが印象的だった。猿たちから逃げ延びた船長たちが目にした光景は荒廃したニューヨークの町並だった。なんと、ここは地球だったのだ。
そして、40年後、つくられた”猿の惑星/創世記”。なぜこんなに知能の高い猿が生まれ、人類が滅亡していったのか、”知能猿の創世記”が描かれている。”猿の惑星”世代のぼくとしては見逃せない映画だった。舞台はサンフランシスコ。アルツハイマー病治療薬の開発の実験動物として使われていた猿。ある試験薬が劇的に猿の知能を高めたが、その猿は暴力を起こし殺されてしまう。しかし妊娠していて、その子供は研究者に保護される。その子、シーザーは母の知能を受け継いでいた。研究者の”子供”として楽しい日々をすごし、”成人”する。しかし、ある事件から、研究所の実験動物舎に戻される。ここから、シーザーの知略の物語が始まる。試験薬を盗み出し、動物舎の猿たちに高い知能を獲得させ、さらに集団脱走をはかる。目指すは、シーザーが幼少の頃、連れてきてもらい気に入っている、あのセコイアの大木が生い茂る、ミュアー・ウッド(森)だ。途中、ゴールデンゲートブリッジを渡らなければならない。そこで人類対猿類の壮絶な戦いが始まる。つい猿軍を応援してしまう(汗)。そして、戦いに勝利し、猿軍はミュアー・ウッドに凱旋する。一方、人類は実験猿のウイルス(たぶん)に感染し、滅亡の一途をたどることとなるだろうと思わせる、示唆的な映像が最後に流れる。
猿の惑星世代としてはとても面白い映画だった。ただ、面白がってばかりはいられない。キャッチコピーにあるように”これは人類への警鐘”である。40年前も同様なことが言われた。ビタミンC発見でノーベル生理医学賞を受賞したセント・ジェルジの”狂ったサル”もその頃、出版された。”狂ったサル”とは、いうまでもなく人類のことである。セント・ジェルジは、核実験を繰り返すばかやろう国家を激しく非難した。さて、現代はどうであろうか。”狂ったサルは死ぬまで直らない”状況だといってもいいだろう。原発事故のその後の対応をみればわかることだ。