先月、ブリュッセルの元祖・小便小僧をみて以来、いつかみた浜松町駅の小便小僧に再会したいと、ずっと、思っていた。でも、それをみたのは、三十年も昔のことだから、もしかしたら、このせちがない世の中、取り壊されているかもしれないという危惧もあった。昨日、上野に出かける東海道線の車中で、このことに、はたと気付いた。そうだ、今日こそ、と新橋で降りた。ひとつ戻って浜松町駅。
たしかホームのはずれに在ったはず。まず東京方面のホームの端に目をやる。ない。上りホーム側にもない。むむむ、少し不安になる。品川方面の上下線ホームは駅の連絡階段で遮られてみえない。まず階段の向こう、下りホームの品川寄りに行ってみる。ない!上りホームに目をやっても、それらしき像はみられない。むむむ、どうしたことだ。ますます不安になる。念のため上りホーム側に行って確認してみよう、と階段を渡る。
上りホームの品川寄りの端まで行ってみる。何にもない。さっきみた、向いホームにもないのを再確認。ふーとため息が出る。やっぱり、モンスター乗客かだれかが、あれをみると、おしっこがしたくなって困る、なんて投書なんぞして、またアホ駅長がその抗議をまともに受け取って、取り壊されたのかと、がっくりした。念のため、混み合うホームを東京方面の端まで歩いた。上下線のホームの両端にはやっぱりなかった。とぼとぼと戻る途中、な、なななんと、向こう側のホームに小便小僧が。それも女性に抱きつかれている(爆)。それは、駅舎の大きな柱のそばに立っていたのだ。ちょうど、それが目隠しになって、ぼくの視界を遮っていたのだ。それに、ホームの最先端ではなかった。ようやく、巡り逢えた。ぼくは、喜びいさんで、階段を昇り、降り、そして、小便小僧の前に来た。もうさっきの女性はいなく、1対1で向い合うことができた。小便小僧は勢いよく小便をしていた。うらやましい(汗)。そして、ここのは、ブリュッセルの小僧のようにまっ裸ではなく、お祭りの衣装を着ていた。お祭り小僧になっていた。まるで、祭り好きのぼくが来るのを知っていたかのようだ。ありがとう、小便小僧。
でも、本当に礼を言わなければならない人は、この人だろう。像の裏面に、歯科医 小林光、昭和2027年(ミスでした)寄贈とあった。えっ、ということは、小便小僧、お前はおれと同い年(で、これも間違いになります;笑)か。また親近感が増したのでした。
もしかしたら、江ノ電沿線にも小便小僧がいるかもしれない、という情報を手に入れた。この前、鎌倉の古本屋さんで買った、詩人、田村隆一のエッセー”僕が愛した路地”の中に、小便小僧の写真があったのだ。ただ、昭和55年前後のことで、今もあるのかどうか知らない。どうも鎌倉高校駅から七里ガ浜駅の間くらいらしいのだが。こんど、”小便小僧通り”(田村さんがな名付けた)を歩いて探してみようと思う。また、楽しみが増えた(汗)
江ノ電の小便小僧
ついでに、あとがきにあった、田村隆一の詩