虚子に学ぶ、でなくて虚子を学ぶです。秋の女子大市民講座が始まったのです。そして、ぼくが参加している俳句コースは、大輪先生の”虚子とその門流”。その第1回目のレポートです。
まず、虚子は大悪人でした。ええっ。何故かというと、自分でこういう句をつくっています。・・・”初空や大悪人虚子の頭上に”・・・・虚子は結構、周囲からの反発が多かったとのこと。で、自分のことを大悪人と。でも、先生が言うには、子規の”ホトトギス”を乗っ取った、と思われてるのが悪口の最大の原因だけど、実はそうではなく、”ホトトギス”はもともと虚子のもので(買い取った)、子規が口出しばかりして、目立っていたにすぎないらしい(笑)。
ホトトギスに漱石の”猫”が連載され、売れ行きが急増。当時は俳諧の地位も低く、虚子も小説家になろうと俳句から4年ほど離れた。しかし、ものにならず、復帰。39歳で”春風や闘志いだきて丘にたつ” 子規門下で、速水御舟のように(笑)、同じ所に留まらず、自由律の句へと進化を続ける河東碧梧桐に対抗する気持ちが句に現れた。
31歳で”行水の女にほれる烏かな”など面白い句もつくった。漱石の”猫”にも出てくる句らしい。子規の”写生”に対し、”写生というものは何でも目で見たものをスケッチすればよいと考えている人がいますが、そんな軽はずみなものではありません”と虚子の言葉。さらに”しかし平凡な人はどこまでも客観写生に終始してそれで終わるがよろしい。客観写生という事は、やがてその人の安心立命の助けともなる”と、平凡な人にも優しい(爆)。”主感客観自由自在”が最高の境地だとのこと。”気まま”ということかな(爆)。
去年の暮、京都の落柿舎で虚子の句碑をみた。生前最後の自筆句碑だ。 これも今回のテキストに出ていた句。先生が、虚子には珍しく、字余りの句、それも相当な字余りでめずらしい、でもそれが、この句には絶妙に合うと言う。なるほど、そういえば。自由自在の句かな。でも、34歳の作で、小説家になろうかどうかと迷っていた時期だから、俳句を逸脱したい気持ちが自然と出て、字余りになったのではないだろうか(珍説)。
凡そ天下に去来ほどの小さき墓に参りけり

今年は、新潟は信濃川の萬代橋脇のホテル前で、虚子の句碑をみた。
”千二百七十歩なり露の橋” 大正13年9月、ここのホテルで句会が開かれたとき詠まれたそうである。この句は今回のテキストに入っていなかった。これがうまい句なのか、素人にはわからないが、50歳の円熟期の句だから、へたなはずはない。まさに自由自在の句といえるだろう。

テキストでは、その時期の(51歳)の作、ぼくでも知っている名句が載っていた。これはさすがだ、といふといへどもはなかなか出てくるものではない、と先生も褒めていた。ぼくも好きな句だ。
白牡丹といふといへども紅ほのか
こんな牡丹の写真があったはずと探したら、今年、5月2日、母さんの祥月命日にお寺で撮った牡丹が出てきた。母さんもこんな牡丹が好きだったけ。
