横浜開港資料館で広瀬始親写真展”横浜ノスタルジア/昭和30年頃の街角”が開催されている。横浜は大空襲で焼け野原になり、そして終戦後は米国の駐留軍が9万人も横浜に集結した。そんな背景もあり、横浜は戦後復興が遅れたといわれている。終戦10年後の横浜が、大正4年生まれで、現在もご健在の広瀬氏により鮮やかに切り取られた。
いきなりプロローグ/半世紀の変貌、の5枚の写真にくぎ付けになってしまった。今の横浜の写真も比較のために置かれている。みなとみらいのプロムナードになっている汽車道には半世紀前には蒸気機関車が走っている。背景にはもちろん高層ビルもない(鉄道橋を走る蒸気機関車)。そして、米軍住宅が建ち並ぶ山下公園、港の見える丘公園からの景色、そして三渓園の前でなんと潮干狩りをしている。
そして、それぞれのタイトルのもとに、約10点ずつ展示されている。印象に残ったものを上げながら紹介する。港にてでは、南米移民船を送る人々で大桟橋が埋め尽くされている”あめりか丸の出航”。山手・元町では、女学生たちの明日への希望が感じられる”フェリスの学び舎から”。チャイナタウンでは”雨上がりのチャイナタウン”。イセザキ界隈ではいくつも映画館があった”馬車道の映画館”。坂道では”神中坂の夏”、白いパラソルと白いワンピースの女性がまぶしい。商店街のぬくもりでは”横浜商店街をいく米兵”、戦争の足跡では、”福富町のかまぼこ兵舎”、”空地が拡がる関内”、まだ復興のきざしもない土地もあった。フェンスの内外/本牧界隈では、”本牧宮原のPX”、”本牧小港のチャプ屋外”、”本牧地区空撮写真”(米軍宿舎と横浜市民住居の差が歴然とする)など。
そして子供たち。ちょうどぼくらの子供時代。タイトルをあげるだけで、同世代の人はわかりますね。チャンバラ、ちんどん屋、フラフープ、駄菓子屋襲来、縄跳びなど。でも、紙芝居、べえごま、めんこ、びーだま、おはじきがなく残念だったけれど(笑)。懐かしさがよみがえってきた。さらに、横浜点描では、祭り、川と橋、四季の催しなど、さまざまな情景が撮られている。
半世紀後、横浜は見違えるような発展をした。さて、50年後はどんな姿になっているだろうか。