気ままに

大船での気ままな生活日誌

中国宮廷の女性たち/麗しき日々への想い/北京芸術博物館所蔵名品展

2015-06-19 19:10:48 | Weblog

 ブンカムラから5,6分も歩くと、松濤美術館。ここで、”中国宮廷の女性たち/麗しき日々への想い/北京芸術博物館所蔵名品展”が開催されている。ふらりと入ったが、いいものをみせてもらったという感じで出てきた。

北京藝術博物館は北京市内の古刹万寿寺内にある博物館で、1994年の開館だそうだ。収蔵品は8万件もあるそうだが、とくに清朝宮廷で用いられた服飾品、繍画や壁掛など観賞用の染織作品、さらに清朝宮廷の女性たちが用いた種々の腕輪や首飾など女性用宝飾品に優品が揃っているとのこと。それらが、ここ松濤に集合している。


はじめは、うつくしい刺繍がほどこされた垂れ幕、織物が並ぶ。そして、婦人用のポーチ、扇子袋、靴、女性用衣類、簪などがつづく。さらに、西大后が描いたという梅花図、牡丹図、松図などの書画が5点並ぶ。そして、明末から清時代の画家が描いた作品もそれにつづき、作者不詳だが、清時代に描かれた、
ちらしにも使用された”清代公主像”もこのコーナーに。もうひとつ目立つ人物像が”清贈一品夫人汪母王夫人像”

清代公主像

じっと、こちらをみている。年末展覧会美女ベストテン入りを狙う美女だ。

そして、清代末期の陶磁器の数々が展覧会をさらに華やかに。

粉彩荷花杯&粉彩開光海屋添籌図如意

粉彩過枝花卉紋碟&紅楼夢人物紋剔紅天球瓶

次回も面白そう。

鍋島松濤公園の水車がこっとんこっとん廻っていた。

鍋島家は、紀伊徳川家の下屋敷の払い下げを受け、明治9年に茶園を開いて「松濤」の銘で茶を売り出しました。茶園が廃止されてからは、湧水地を中心とする一画が児童遊園として公開され、昭和7年に東京市に寄贈された後、渋谷区に移管されました。
現在では、遊具や池の周りにベンチが配置され、桜が咲く時期には多くの人が花見に訪れます。(渋谷区・松濤公園)

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平賀敬・太郎二代展

2015-06-19 08:57:58 | Weblog

 ブンカムラミュージアムでボッティチェリ展をみて、帰ろうしたら、見覚えのある絵のポスターが目に入った。そのギャラリーで、彼の美術展が開催されていたのだ。画家の名前は平賀敬。平賀敬美術館が箱根湯本にあり、それを偶然、見つけて入ったことがあるのだ。2011年10月がはじめで、その後、何度か訪ねている。最初の訪問記はこちら。そこにも書いているが、彼の絵は、明るい色彩、ちょっぴりエロチックで、どことなくおかしい(ユーモア)、マンガ的、そんな画風である。モンパルナスで10年ほどいて、そのあとは大磯で活動した。

もう少し、そのときの駄文を附け加えておこう。ぼくと同じ、落語フアンでもあり、志ん生が大好きで、パリでもよくテープを聞いていたという。志ん生の吉原の廓噺しを題材とした絵もいくつかあるとのこと。それと子供のころ(戦後)娼婦に可愛がられたこともあり、彼女らに親近感をもち、彼の絵によく”出演”させている。一方、世の中、つまらねえ、とも思っていたそうで、坂口安吾のフアンでもあったから、彼の絵は、志ん生と安吾をかきまぜて、平賀のエレキテル(笑)でびびっと描き上げたというところだろうか。笑いと涙が共存するような、不思議な雰囲気をもつ絵である。

軽妙洒脱!現代の戯作者、「平賀派」の世界、と、このギャラリーは紹介している。”平賀派”とあるのは、彼の御子息も画家で、今回、二代展としているからである。平賀太郎の紹介はこのギャラリーの文章を引用しよう。

平賀太郎は、父が12年滞在し活躍したパリ一番の歓楽街ピガールの中、毎日のように入れ替わり立ち替わり敬を訪れる人々の渦中で育ちました。一癖も二癖もある父の友人らを好奇の目で見つめ、観察し続けるうちに猛スピードで今日まで至ったように思えると、太郎は言います。自身が暮らす街と人々を主題とし、そこでの出会いを独自に再構成された美しいモノトーンの世界へとおとし込む。一つの「街」そのものを相手にするかのようなその作風には、父と同じく豊かな物語性がたゆたいます。

はじめボールペン描きをしていたが、鉛筆が一番、真実を表せるということで、現在は鉛筆描きが多いそうだ。描写力がすごい。
楽しい展覧会だった。

平賀敬

平賀太郎

ブンカムラギャラリー

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ボッティチェリとルネサンス/フィレンツェの富と美

2015-06-19 08:21:58 | Weblog

おはようございます。関東では1日雨というところが多いようですね。でも、紫陽花見物には雨がよく似合う、と鎌倉は相変わらず、混み合うことでしょう。さて、今朝は、先日、明治神宮の花菖蒲を観に行った帰りに寄った渋谷の美術展のこと。できれば、ブンカムラ、ギャラリー、松濤美術館と三つ行っているので、一気に今日中に仕上げたいところ(汗)。まずは、ブンカムラ。

昨年の都美で開催されたウフィツィ美術館展で、ボッティチェリの作品がたしか5点以上は来ていて驚いたが、今、Bunkamuraミュージアムで開催されている”ボッティチェリとルネサンス展”では17点もきている。この半年の間に20以上のボッティチェリがみられるなんて、信じられない!サブタイトルに”フィレンツェの富と美”とあるように、サンドロ・ボッティチェリ(SandroBotticelli,1445年~1510年)らフィレンツェの画家たちの作品をサポートし続けた、金融業で富を得たメディチ家の盛衰にも目を向けている。

序章 富の源泉:フィオリーノ金貨
1237年にフィレンツエはトスカーナ侯国から独立し、52年にはフィオリーノ金貨を造る。近代の経済の礎を築いたという貨幣。これも展示されている。表面にはフィレンツエの花、百合が刻まれている。

第1章 ボッティチェリの時代のフィレンツェ
ボッティチェリの《ケルビムを伴う聖母子》の額縁に貨幣の鋳造や銀行業、商人の活動を監督した両替商組合の象徴である金貨の文様があしらわれている。この時代のフィレンツェでは芸術と金融、商業活動は密に関わっていた。ここでは絵画だけでなく、当時の経済活動の資料や商人の仕事道具が展示されている。

ボッティチェリ ”ケルビムを伴う聖母子”


第2章 旅と交易:拡大する世界
フィレンツェの銀行の支店が欧州各地に開設され、旅行も容易になり、交易は活発化し、フィレンツェにはヨーロッパ、中東からの商品も行き交いようになる。ここでは、航海図、旅の道具、商品を輸送する船旅の様子を伝える絵画などを紹介される。

第3章 富めるフィレンツェ
13世紀以降、ヨーロッパではたびたび奢侈禁止令が発せられ、金融、商業で富めるフィレンツェでも例外ではなかった。ここでは、禁止の対象となった壮麗な婚礼や葬儀の様子を表した作品、フラ・アンジェリコ 《聖母マリアの結婚》等が展示されている。

第4章 フィレンツェにおける愛と結婚
商人や銀行家の寝室は、結婚生活・出産・死が展開されるプライベートな空間だった。寝室の調度のうちカッソーネ(長持)と呼ばれる婚礼家具や宗教画、出産盆(出産祝いを載せる盆)には、夫婦の社会的役割を示す図像が選ばれ、フィレンツェ・ルネサンスの社会が依って立つ価値観や美徳が示される。

第5章 銀行家と芸術家
ルネサンス期のフィレンツェの名作の数々はメディチ家をはじめとする銀行家一族の注文によって制作された。メディチ家から絶大な信頼を得ていたボッティチェリは、彼らの要望を満たす作品を生み出す理想的な画家だった。

この章で、いよいよボッティチェリが大量に登場!

サンドロ・ボッティチェリ《受胎告知》 ウフィツィ美術館所蔵の至宝、横幅5メートルにも及ぶ大フレスコ画。


サンドロ・ボッティチェリ《聖母子と二人の天使》

サンドロ・ボッティチェリ ”ヴィーナス” 名作”ヴィーナスの誕生”から抜け出してきた!年末展覧会美女ベスト10入り濃厚(汗)。

サンドロ・ボッティチェリ 受胎告知(第2章)&キリストの降誕


第6章 メディチ家の凋落とボッティチェリの変容
メディチ銀行の衰退とともにフィレンツェは危機の時代を迎える。この頃、台頭した修道士サヴォナローラが行った「虚栄の焼却」では贅沢品や宗教上好ましくない芸術作品が燃やされる。ボッティチェリの晩年の作品はそうした時代の空気を反映している。

たくさんのボッティチェリをありがとう!

 

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