気ままに

大船での気ままな生活日誌

城下町、飫肥(おび) (南九州の旅#5)

2015-06-13 14:59:01 | Weblog

港町油津から、内陸部へ8キロも入ると、そこは城下町、飫肥(おび)。天正15年(1587年)に、秀吉からこの地を封ぜられた伊東祐兵が城下の整備をし、それ以降、明治の廃藩置県まで、十四代にわたり伊東氏が藩主を務める。5万7千石の城下町で、武家屋敷、町人町、寺町などの街並みが残され、昭和52年(1977)に九州・沖縄地方では初めての「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された。

この旅行では、城跡、武家屋敷、飫肥城歴史資料館などを見学した。

大手門

お城の石垣は飫肥石(凝灰岩)でつくられ、細工しやすく、ブロックのように切り出すことができたそうだ。

石垣のひとつ

飫肥藩主伊東家の屋敷、豫章館(よしょうかん)。上級武家屋敷の典型。

室内

庭園

武家屋敷通り

小村寿太郎生家。小村は下級武士階級だったが、この武家屋敷通りに移築され保存されている。

資料館

ここに小村寿太郎関連の資料が多く、展示されている。奥の絵はポーツマス条約の締結を描いたもの。

小村寿太郎。小村は晩年を葉山で過ごし、そこで亡くなる。

小村寿太郎が尊敬した小倉処平。藩校の師。小倉は西郷隆盛を師と仰ぎ、西南戦争に参加、31歳の若さで戦死した。

飫肥、油津は寅さんのロケ地であったが、朝ドラの”わかば”の舞台でもあった。

”わかば”は、2004年9月~2005年3月まで放送された。朝ドラ第71作目。阪神・淡路大震災で建築家の父親を亡くした震災遺児若葉(原田夏希)は、宮崎で焼酎製造業を営む母の実家に身を寄せて育つ。大学ではガーデニングの勉強をして、造園家となる。お母さん役は田中裕子。

この飫肥杉も、きっと出てきたことでしょう。

いよいよ、次回は薩摩に入るでごわす。

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港町、油津 (南九州の旅 #4)

2015-06-13 09:55:55 | Weblog

今度の南九州の旅コースに、油津(あぶらつ)と飫肥(おび)という見知らぬ町の散策が組まれていた。見知らぬといっても、生まれも育ちも関東のぼくだからであって、九州で生まれ育った家内は行ったことはないけど、いい町だそうよと言っていた。それに、山田洋次監督の寅さんシリーズ第45作”寅次郎の青春”の舞台にもなったところだと聞いて、ふたつの町の訪問を楽しみにしていた。

ぼくは寅さんシリーズの大部分を観ているので、たぶん、これもみているはずだが、すっかり忘れている。ネットで調べると、”寅さんシリーズのロケ地を歩く”という恰好の記事が見つかった。第45作では、以下のように要約されている。

旅する寅さんは宮崎県の油津に足をとめ、堀川橋のそばで理髪店を経営する蝶子(風吹ジユン)と知り合い、イソウロウ生活を始めていた。一方、寅さんの故郷・柴又では、東京のレコード店に就職した泉(後藤久美子)が、週末には満男(吉岡秀隆)の家に遊びに来て、さながら家族のょうに過ごしていた。泉は、宮崎で結婚する高校時代の友人の披露宴に出席するという。

友人の結婚式に出席した泉は、飫肥城址で寅さんと再会する。折しもそこに蝶子が通りかかり、あわてた寅さんはころんで足をくじく。寅さんのけがは、泉からくるまやに伝えられる。満男は様子を見に行くことを口実に、泉に会いに宮崎へ飛ぶ。寅さんのけがもほぼ回復し満男と泉が帰ることになるが、寅さんも一緒に帰ると言いだした。すると、蝶子が怒りだした。蝶子は寅さんが好きだったのだ。だが、寅さんは蝶子を残して柴又に帰って行った(以上、原文のまま)。
45-post.jpg (73678 バイト)

油津に着くと、運河の前で現地のガイドさんが待っていた。早速、目の前の運河の話から。江戸時代、この地域の名産である飫肥(おび)杉を輸送するために掘られたという。このお蔭で、材木の製材、売買の関係者が各地から集まり、また、彼らのための旅館や茶屋もでき、大変な賑わいだったという。一方、昭和8年から15年にまぐろ漁が最盛期となり、各地から500隻の漁船があつまたっという。まぐろ漁港としても名高かった。そんな風情を残す港町だった。

堀川運河に架かる飫肥杉で再建された屋根付きの木橋

さあ、油津の街歩きにでかけましょう。

運河に架かる石造アーチの堀川橋。往時、運河の右側に旅館、茶屋などが拡がっていたという。寅さんのロケはこの周辺で行われた。

堀川橋の向こう側。寅さんが居候する理髪店、蝶子の家などに使われた家並み。

おっ!この木造船は?まぐろ漁に行ったチョロ船の復元です。こんな小さな船でまぐろを。乗せられなくて、引っ張ってきたらしい。主材はもちろん、飫肥杉です。

帆船となって出航する。赤レンガ館(資料館)内の写真から。

港町として栄えたしるし。煉瓦街。

金物屋さん

まぐろ通りの名前も残る

油津港


広重にも描かれた六十餘州名所圖會日向油津ノ湊飫肥大島
クリックすると新しいウィンドウで開きます

次回は城下町、飫肥(おび)の予定です。


 

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