箱根の山百合を見に行ったとき、ポーラ美術館に寄り、セザンヌ展とコレクション展をみてきた。まるで山百合をいっぱいみてきたような、いい気持ちになって帰ってきた。この美術館のコレクションは素晴らしく、もう、何度も訪ねているから、再会の作品が多い。
セザンヌ展ではポーラ美術館所蔵の9点のほか、ブリヂストン、西洋美、国立近美などからも、総数12点のセザンヌ作品を迎えていたが、ぼくが訪ねたときは、それらは、すべて引きあげたあとだった。大涌谷が影響しているのかも。でも、9点だけでも、OK。もともと、ここのは、セザンヌの若い時から晩年まで、それにジャンルも人物画、静物画、水浴図、風景画とバランスのとれたコレクションなので、ノープロブレム。
故郷のプロヴァンスで画家としてスタートしたセザンヌが、パリに現れ、最新の美術を目の当たりにし、印象派などの画家たちと交流を重ね、自分の画風も進化させていく。以下の章立てで、セザンヌと交流した、あるいは影響を受けたり、与えたりした画家たちの作品が並ぶ。
第1章 画家になるための挑戦:前衛の先駆者たち
1861年、プロヴァンスらパリに来て、まず大きな目標となったのが、クールベとマネ。クールベからは、パレット・ナイフを使用した厚塗りの技法を、マネからは、色彩を対比しながら平坦に絵画を描く方法を学ぶ。マネにはライバル心を抱いていたようだ。
第2章 オワーズ川のほとりで:印象派の中のセザンヌ
そして、ピサロとの交流。オワーズ川のほとりで共同制作をした。二人は互いに尊敬し、影響し合う仲だったようだ。ここで、彼らから革新的印象派技法を学ぶ。
4人の水浴の女(セザンヌ)
第3章 印象派を超えて:独創性をめぐる冒険
だが、次第に印象派から距離をとり、活動の拠点をプロヴァンス地方へと移す。天性の”構成感覚”を生かした表現を追究する。形や色彩、配置によって全体のバランスを図る手法を確立してゆく。ここでは、彼の静物画がいかに、”現実離れ”したものであるかをビデオで明らかにしていた。それぞれの対象物の視点がばらばらで、実際には、果物も瓶もテーブルから転げ落ちる実験が映す出されていた(笑)。福田美蘭のセザンヌを茶化した絵を思い出して、クククッと笑ってしまった。
ラム酒の瓶のある静物(セザンヌ)
プロヴァンスの風景(セザンヌ)
福田美蘭の作品 美大受験の予備校時代に絵に添削されたことを思い出し、セザンヌの静物画に直しの文字を入れて作品にした。”台の設定が不安定”、とか総評”視点がばらばらです”これには大爆笑だった。
第4章 見出されたセザンヌ:南仏にやってきたパリ
1895年にセザンヌの大きな初の個展が開かれた。第3回印象派展以来、セザンヌの作品はほとんど公開されたことがなかったので、大きな驚きをもって迎えられた。”近代絵画の父”という評価のもととなった展覧会だったらしい。
第5章セザンヌ・レジェンド:後世への遺産
セザンヌの影響を受けた画家の作品が並ぶ。ピカソやブラックによるキュビスム、自由な色彩表現のマティス。ここでのセザンヌ作品は”アルルカン”。世界に4点しかない”アルルカン”の一つで、後世への影響を見る上で重要な作品とのこと。ピカソの作品かと思った。
アルルカン(セザンヌ)
さて、コレクション展にも名画がざくざく。この三美人さえみられれば、もうあとは何もいらない!
岡田三郎助の”あやめの衣”
藤島武二 女の横顔
加えて、ランチはセザンヌ展にあわせた期間限定メニュー”プロヴァンスからの贈りもの”
もちろん、フランスの赤ワインもいただき、おん目もお腹も満足したポーラ美術館でした。
さて、今日は、朝早くから、日比谷公園の朝顔展へ。そのあとは、三菱一号館で暁斎展かな。前期の最終日だしね。昨日は、初日の国芳展を横浜で見てきた。暁斎は子供時代、国芳の門下生だったらしい。