京都大原三千院、といえば、ぼくらの世代では、昭和41年に、デューク・エイセスの歌でヒットしたこの曲、”女ひとり”ですね。
♪京都大原三千院 恋に疲れた女が一人 結城に潮瀬の 素描(すがき)の帯が 池の水面に 揺れていた 京都大原 三千院 恋に疲れ女が一人♪そうそう、恋に疲れた女は、ぼくらが今回訪ねた、京都栂尾(とがのお) 高山寺にも行っていますね。♪京都栂尾(とがのお) 高山寺 恋に疲れた女が一人 大島紬につづれの帯が 影を落とした石畳 京都栂尾高山寺 恋に疲れ女が一人♪
作詞は永 六輔で作曲はいずみたく 。その歌碑を参道でみつけて、
ぼくらは三千院の御殿門をくぐる。
玄関を入り、ぼくらは履物をビニール袋に入れ、客殿などの社殿を見学しながら、途中で聚碧園など庭園を見学しながら、宸殿に入る。宸殿は三千院の最も重要な法要である御懴法講の道場として、大正15年に建てられたもの。現在も、毎年5月30日、門主が導師を勤め、山門(延暦寺)と魚山(大原寺)の僧侶が式衆として出席し、御懴法講が厳かに行われるとのこと。雅楽と声明がとけあった御懴法講は、一般の見学者も聞けるそうで、一度、聞いてみたいものだ。
勅使玄関
客殿前の聚碧園
宸殿前の、苔の美しい有清園。紅葉も素晴らしい。その頃、訪ねたことがある。
靴を履き、有清園に出る。振り向くと、お地蔵さんの向こうに宸殿がみえる。
向かいには往生極楽院(重文)。三千院の歴史の源とも言える簡素な御堂。平安時代に恵心僧都(源信)が父母のために、姉安養尼とともに建立したものと伝えられる。堂内には、阿弥陀三尊、そして、有名な船底天井及び壁画は、金胎曼荼羅・二十五菩薩・飛天雲中供養菩薩・宝相華などの極彩色(当時)の絵で包まれ、極楽浄土を表している。創建当時の極彩色の船底天井及び壁画が復元され、円融蔵(宝物館)に展示されている。
阿弥陀三尊像(国宝)
復元された船底天井及び壁画(円融蔵にて)
そして、朱雀門。往生極楽院の南側にある。極楽院を本堂としていた頃の正門にあたる。藤原期の様式とも言われるが、江戸時代に再建。
弁財天
観音堂 堂内には身の丈三メートルの金色の観音像が祀られている。
ここでも、庭園内の、あちこちに秋海棠が咲き始めていた。
京都お盆の旅シリーズもいよいよ最終盤となります。お待ちかね(笑)、ご馳走編に入ります。