気ままに

大船での気ままな生活日誌

画鬼暁斎/幕末明治スター絵師と弟子コンドル

2015-08-16 06:33:49 | Weblog

おはようございます。旅先、京都からのスマホ投稿です。昨夕は貴船の川床料理を楽しみました。とても涼しかったですよ。今晩は五山送り火です。今朝の記事は京都とは関係のないものですが、展覧会感想文です。

国芳展感想のあとは暁斎展。暁斎は7才のとき、武者絵で一世を風靡していた国芳に弟子入りした。子供の頃からの絵好きで、かぞえで3歳のとき、はじめて写生し、その対象はカエルだったそうである。しかし、国芳の侠気と品行を心配した父が、間もなく狩野派の絵師に鞍替えさせた。こんなエピソードも残っている。9歳のとき、増水した神田川で男の生首をみつけると、一心に写生をしたそうである。以上は、別冊太陽”河鍋暁斎”の加美山史子の文章からの引用であるが、まさに画鬼暁斎は双葉より芳しだったのである。

三菱一号館で開催されている”画鬼暁斎”を前期終了日(8月2日)にみてきた。サブテーマ”幕末明治のスター絵師と弟子コンドル”とあるように、著名な建築家、コンドルとの二人展である。おまけに会場が、コンドル設計の建物というのだから、草葉の陰でのコンドルの喜びようは尋常ではないだろう。

暁斎とコンドルの出会い

明治14年、第2回内国勧業博覧会の会場に、29歳のコンドルがパビリオンともいうべき”上野博物館”の本館を 設計した。ここに暁斎は4点の作品を出展し、”枯木寒鴉図”が絵画部門で最高賞を受賞している。このとき、この上野博物館を含む上野公園一帯を”東京名所之内/上野山内一覧之図”として描いている。そのどちらも、展示されている。さらに、後期には、コンドルの”上野博物館遠景之図”が展示される。この年、コンドルは、50歳の暁斎に弟子入りする。

枯木寒鴉図

東京名所之内/上野山内一覧之図

コンドル/近代建築の父 ここでは、東大建築科所蔵のコンドル博士の像、博士が設計した鹿鳴館の階段一部、壁紙見本、三菱一号館など、そして、いくつかの建築物の立面図、断面図等が展示されている。

コンドルの日本研究 ここでは、建築学以外のコンドルの貴重な研究書が紹介される。和花、生け花、庭園などに関する著書。それらには暁斎や芳年の挿絵つきのもある。そして、コンドルの手帖やスケッチブックも。本人が描いた霊照女・拾得図屏風、梅花図、鯉の図も。さすが、暁斎の弟子だけあって、上手なこと。名建築家は画家でもあった。

暁斎とコンドルの研究 ふたりの親密な交流を示す、暁斎絵日記が並ぶ。明治18年8月1 日の日記には、上野駅で待ち合わせ、日光方面へ旅立つ姿が描かれている。このとき宿で絵を描く暁斎の姿を描いたコンドルの写生画もある。

コンドル旧蔵の暁斎作品として、二曲一隻の屏風絵”大和美人図屏風”がある。これは、暁斎がコンドルに贈るため、およそ6ヶ月もの間精力を集中して描き上げたいう力作で、コンドルは生涯大切にしていた。また、コンドルは“Paintings & Studies by Kawanabé Kyôsai”著わし、それにより、西洋での暁斎の知名度は著しく上昇した。

大和美人図屏風



そして、画鬼暁斎の様々なジャンルでの作品群が次々と紹介される。まるで、国芳の再来みたい。やっぱり、一番尊敬していたのは国芳だったのでは。ちらしにジャンルごとの絵がまとめてあったので、それを利用させてもらいます。

美人画・戯画

暁斎楽画第九号 地獄太夫 がいこつの遊戯ヲゆめに見る図

極楽大夫図

美人観蛙戯図、風流蛙大合戦之図


芸能

三番叟、パリス劇場表掛かりの場

妖怪

九尾之狐図屏風鳥獣戯画 猫又と鯉


道釈人物画

毘沙門天之図

英国人が愛した暁斎作品(メトロポリタン美術館所蔵、暁斎が58歳で亡くなる2年ほど前の作品)

金魚と遊ぶ小童図、鹿に猿図、蛙を捕まえる猫図

うずくまる猿図、英国人画帖下絵

コンドル博士

コンドル設計の三菱一号館

コメント
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