おはようございます。京都旅日誌第2弾です。五山送り火ツアーに高山寺見学が入っていたことも、うれしいことの一つだった。この5月にトーハクで”鳥獣戯画と高山寺の至宝展”を観ているので近々、訪ねたいと思っていた。明恵上人のお寺、ほんとに、久し振りの訪問だった。
周山街道を進み、神護寺を経て、栂ノ尾の高山寺へ。駐車場から曲がりくねった石段を登って行くと、まず現れるのが、展覧会でも紹介されていた国宝・石水院。明恵上人が禅堂とした庵室で後鳥羽天皇の御学問所を移築したものであり、寝殿造風の鎌倉初期住宅の簡素な趣があり、上人在住時代の唯一の建造物である。と案内板が教えてくれる。
板敷の中央に、展覧会にも来ておられた、可愛らしい善財童子が手を合わせて、迎えてくれた。
善財童子の向こうの部屋に入ると、ななんと、明恵上人像(樹上坐禅像)の掛け軸が。国宝だから、会えるとは思わなかった。もちろん複製だが、石水院で観る明恵上人像は格別。そして、その隣には、やはり展覧会で人気者だった、運慶作の木彫の子犬も。撮影もOKだという。自宅でくつろぐ子犬が一番。夢のような光景。
明恵上人像(樹上坐禅像)
運慶作・犬 上人が愛した子犬を写したという作品。
そして隣室には鳥獣戯画も!
上人が母のように慕った仏眼仏母像は小型の複製画。
川端康成が一日、ここで過ごし、前庭を眺めていたという。この年、”古都”を上梓した。また、明恵上人を尊敬していて、ノーベル賞受賞講演”美しい日本の私”でも上人の歌を引用した。雲を出でて我にともなう冬の月/風や身にしむ雪やつめたき
石水院のはす向かいに、日本最古の茶園がある。栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を明恵につたえ、山内に植え、育てた。現在も茶摘みの行事があるとのこと。
さらに石段を登ると、開山堂。上人が、晩年を過ごし、入寂した禅堂院の跡地に立つ。明恵上人坐像が安置され、御影堂信仰の対象となった。建物は室町時代に兵火をうけて焼亡し、江戸時代に再建されたものである。現在、法要はこの開山堂で営まれることが多い。1月8日に明恵上人生誕会、1月19日に明恵上人命日忌法要、11月8日に献茶式が行われる。
明恵上人御廟
そして、さらに登ると、金堂。 かつての本堂の位置に立つ。桁行3間、梁間3間の一重入母屋造、銅板葺。承久元年(1219)に完成した本堂は、東西に阿弥陀堂、羅漢(らかん)堂、経蔵、塔、鐘楼、鎮守を従えた檜皮葺(ひわだぶき)5間4面の堂宇で、運慶作の丈六盧舍那仏(るしゃなぶつ)などが置かれたという。その本堂は室町時代に焼失し、現在の金堂は江戸時代寛永年間(1624~44)に御室仁和寺真光院から古御堂を移築したものである。釈如来像を本尊とする。
表参道の石段
”夢の明恵上人”じゃないけれど、まるで夢をみているような素晴らしいひとときだった。