気ままに

大船での気ままな生活日誌

観山の鵜図屏風 東博にて

2015-08-28 09:00:06 | Weblog

おはようございます。今にも降り出しそうなお天気ですね。今朝は、数日前、トーハクの常設展で見た、下村観山の鵜図屏風のことをちょっと紹介したいと思います。

まず、屏風全体をご覧ください。

鵜図屏風
 

これは、画友、菱田春草の夭折(37才)を悲しんで観山が描いたもので、お別れの会にも会場で飾られたという。左隻の海の彼方に立ち去ってゆく鵜を春草に見立て、右隻の岸壁で鳴きながら見送る鵜が観山だ。左隻に大きな空間をとる構図は観山の名作”弱法師(よろぼし)”と同様。ぼくも親友を30代で見送った経験があるからよくわかる。心に沁みる絵だ。

立ち去る春草鵜

泣き叫んで、見送る観山鵜 

。。。。。

さて、一転こちらは、同じ鳥類の絵でも、心を荒立てる絵(笑)。曽我二直庵の”花鳥図屏風”。画題は平和だが、内情は鷹が鷺を襲うという残酷な場面。悲鳴をあげる鷺が痛々しい。恐怖で逃げ惑う鷺の姿も別の画面で描かれている。江戸初期の画家で、曽我直庵の後継者。鷹を描かせたら右に出るものはいないそうだ。たしかに。

師匠筋の曽我直庵の龍虎図屏風、鶏図屏風(重文)も展示されている。

龍虎図屏風

さて、こちらは悲しい別れもなく、激しい闘争もなく、ただただ平和な風景。今村紫紅の”熱国の巻”。絵は平和でも、紫紅の心は闘争的であった。”日本画がこんなに固まってしまってはダメだ、僕が壊すから君たちが建設してくれ”と常々仲間に語っていたその実践がこの作品であるという。インドや東南アジアに取材。

ほんとの心の平安はわたしらにまかせておきなされ。

愛染明王坐像(重文)

河鍋暁斎 龍頭観音像

相手に応じ三十三の姿に変身して、あまねく衆生を救う観音さま。暁斎は好んで描いたそうだ。

次回記事は一転、クレオパトラ

 

コメント
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