おはようございます。今にも降り出しそうなお天気ですね。今朝は、数日前、トーハクの常設展で見た、下村観山の鵜図屏風のことをちょっと紹介したいと思います。
まず、屏風全体をご覧ください。
鵜図屏風
これは、画友、菱田春草の夭折(37才)を悲しんで観山が描いたもので、お別れの会にも会場で飾られたという。左隻の海の彼方に立ち去ってゆく鵜を春草に見立て、右隻の岸壁で鳴きながら見送る鵜が観山だ。左隻に大きな空間をとる構図は観山の名作”弱法師(よろぼし)”と同様。ぼくも親友を30代で見送った経験があるからよくわかる。心に沁みる絵だ。
立ち去る春草鵜
泣き叫んで、見送る観山鵜
。。。。。
さて、一転こちらは、同じ鳥類の絵でも、心を荒立てる絵(笑)。曽我二直庵の”花鳥図屏風”。画題は平和だが、内情は鷹が鷺を襲うという残酷な場面。悲鳴をあげる鷺が痛々しい。恐怖で逃げ惑う鷺の姿も別の画面で描かれている。江戸初期の画家で、曽我直庵の後継者。鷹を描かせたら右に出るものはいないそうだ。たしかに。
師匠筋の曽我直庵の龍虎図屏風、鶏図屏風(重文)も展示されている。
龍虎図屏風
さて、こちらは悲しい別れもなく、激しい闘争もなく、ただただ平和な風景。今村紫紅の”熱国の巻”。絵は平和でも、紫紅の心は闘争的であった。”日本画がこんなに固まってしまってはダメだ、僕が壊すから君たちが建設してくれ”と常々仲間に語っていたその実践がこの作品であるという。インドや東南アジアに取材。
ほんとの心の平安はわたしらにまかせておきなされ。
愛染明王坐像(重文)
河鍋暁斎 龍頭観音像
相手に応じ三十三の姿に変身して、あまねく衆生を救う観音さま。暁斎は好んで描いたそうだ。
次回記事は一転、クレオパトラ