おはようございます。
先日、葉山の近美で、原田直次郎展と同時開催の”明治の美術/コレクション展”を観てきたが、会期はあと二日だけになっている。ぼくも感想文をクローズするまでにはあげておきたい(笑)。
カマキンがなくなって、こういったコレクション展は今後、葉山でやるようになるのかなと思いながらみていた。原田直次郎展のあと、つづき物をみる感じでコレクション展をみることができた。
コレクション展とはいっても、第1章のチャールズ・ワーグマンや五姓田義松らの芸術では、神奈川歴博所蔵のものがほとんど。歴博で五姓田義松展を最近、みているから、再見のものばかり。しかし、それらは名品ばかりなのがうれしい。義松が死ぬ間際の母を描いた迫真の名作”老婆図”も来ていたし、”五姓田一家の図”や、あの貴婦人と一角獣のタベストリーのある”グルューニ美術館にて”など10点も。もう一度、葉山で見られるとは思わなかった。父親の芳柳の作品も5点。高橋由一の能面図も。そして明治美術を語るには欠かせないワーグマンも。以下、ちらしのまとめを載せておきますので、ご覧ください。左がワーグマンの”街道”、右の二つが、義松の老婆図と井田磐楠像。

第二章・工部美術学校を経て明治美術界へこの時代以降は当館のコレクション展となる。1876年に設立された工部美術学校は6年ほどで廃校になったが、1889年、東京美術学校が設立される。しかし、そこには西洋画科がなく、対抗して明治美術会が設立される。山本芳翠、浅井忠、松岡壽らの力作が並ぶ。
ちらしのまとめ。左が、本多錦吉郎(中禅寺湖夜景)。右上が浅井忠(河合辰太郎肖像)、右下が松岡壽(工部大学校風景)

第三章 新帰朝者と浪漫派 明治美術会の画家たちが活躍する一方、フランス、イタリアなどに留学していた画家たちが帰国し、西洋画の普及に努める。その代表格が黒田清輝で、藤島武二と共に白馬会を結成。美校に新設された西洋画科の教授となり、若手の指導に当たる。そして、明治後期には青木繁など象徴主義の影響を受けた浪漫派が現れる。
ちらしのまとめ。左は坂本繁二郎(棕呂の見える風景)、右が青木繁(真・善・美)

原田直次郎展を含め、明治の美術を一覧できる、楽しい展覧会であった。

黒田清輝は逗子に半年ほど住んだことがあり、”逗子五景”が展覧会のちらしを飾っている。
では、みなさん、今日も一日、お元気で!