おはようございます。夏目漱石のあとは川端康成で。
若冲展のあと、東京ステーションギャラリーで川端康成コレクション/伝統とモダニズム展をみてきた。康成のこの種の展覧会は何度かみていて、再見のものが多い。一方、初見のびっくりぽんのもあった。それは、康成の初恋の人とのラブレター11通。そのうち、10通は伊藤初代さんからのものだが、1通は康成からのラブレター。これらが、最近、鎌倉市の旧川端康成邸から発見され、そのすべて公開されているのだ。
初代さんからの手紙は当然として、何故、康成からの手紙が康成邸に残っていたか、それは投函されていなかったから。まず、この初恋物語を要約しておこう。
康成は幼くして父母をなくした天涯孤独の境遇にあったが、初代さんも母を亡くし、実家に戻されて、13歳頃から本郷のカフェで女給をしていた。そこで、東大生だった康成に見初められた。しかし、そのカフェはまもなく閉じられ、初代は岐阜のお寺に預けられ、離ればなれになる。そのときのラブレターだ。川端は求婚し、婚約までして、幸せの絶頂期にあったが、それは一か月と、もたなかった。彼女から婚約破棄の手紙をもらう。”突然、非常なことが起こり、あなたと一緒になれない”という内容だった。非常のこととは何か、それは現在も分からないらしい。
康成の未投函の手紙は、しばらく連絡が取れなくなった初代を心配する内容で、”毎日、毎日、心配で心配で寝られない”とか、”恋しくって恋しくって早く會わないと僕は何も手につかない”とかの、正直な気持ちがつづられている。つい引き込まれて、大部分の手紙を読んでしまった(汗)。こうした経験が、のちの文学作品に生かされているのは言うまでもない。
さて、本論に入らなければ、いつまでたっても終わらない。第1章川端コレクション/モダニズムへの憧憬でお馴染みの絵画が登場する。村上肥出夫からはじまり、草間弥生のまだ若いときの作品が二点ある。展覧会でピンときて買ったそうだ。そのうちのひとつ、”不知火”はまだ水玉模様ではなく、こんなふうな絵↓。先日、米誌タイムは、”世界で最も影響力のある100人”に、弥生さまを選んでいる。康成は半世紀以上も前に認めているのだからすごい(笑)。写真は以前のブログ記事から。
古賀春江はとくに気に入っていたようで、”煙火”等11点もある。そして、ルノワールの”女性像”、ピカソの”ヴェールの女”、ロダンの”女の手”と”ビクトルユゴー”とつづき、東山魁夷が14点も。魁夷も康成を尊敬し、病気見舞いやノーベル賞のときに贈った作品もある。さらに猪熊弦一朗、劉生、熊谷守とあり、かなり幅広い。
康成は、知識でも理屈でもなく、ただひきこまれるものを自分の手元におきたいだけ、みたいな意味のことを述べている。また、私は美術品は好きだが、観るだけで十分で、評論文みたいなものは書きたくないとも述べている。
北山初雪 (東山魁夷)
第2章 川端文学/文壇デビューで、冒頭のラブレターが出てくるのだが、横光利一や菊池寛等の書簡の展示もある。
第3章 川端コレクション/伝統美への憧憬 このコーナーでは、いかにも康成といった蒐集品で溢れている。土偶や埴輪からはじまり、仏頭、そして近代工芸の黒田辰秋の作品もたくさん。過去のすべての工芸品の中に置いても、少しもひけはとらないと最大級の賛辞を送っている。そして、二つの国宝もここに。作家風情でこんな名品を手に入られるとは幸せと語っている。
凍雲篩雪図(浦上玉堂)雪に埋もれた大自然の寂寥感を表現している。
十便図(池大雅)/十宣図(与謝蕪村) 画帖
第4章 川端文学/雪国以降では、ノーベル賞関連の品々、芹沢けい介、古径、魁夷らの装幀本、愛用の文具、灰皿(富本憲吉作)、食器、酒器(魯山人作)、三島由紀夫らの書簡が並ぶ。
川端康成の幅広く、かつ深淵な美意識の世界に、改めておどろいた展覧会だった。
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!