気ままに

大船での気ままな生活日誌

会田誠展:天才でごめんなさい

2013-01-24 10:46:35 | Weblog

22日、BS日テレの”ぶらぶら美術館・博物館”で「会田誠展:天才でごめんなさい」が紹介されていた。コメンテイターは、会田誠作品を日本美術史との関係で読み解いてきたという山下裕二氏で、これがとても面白かった。早速、翌日に、「現代美術界の“取り扱い注意”作家・初の大個展」を観に行った。

会場に入ると、いきなり”切腹女子高生”が迎えてくれる(笑)。こんなので驚いてはいけない。そのあと、気の弱い人なら目を覆いたい(でも指の隙間からのぞきたいような)場面がいくつも出てくる。極め付きはの部屋(笑)。エログロ作品がとぐろ巻いて待っている。

でも会田誠の作品は実に多様だ。エロ、グロはその一部で、明るく清らかな作品もあれば、子供が描いたような絵まである。一方、つい吹き出してしまうオブジェ”考えない人”みたいのもあるし、戦争や震災・原発をモチーフにした作品では、ぼくらが”考える人”にならなければならない。

だから、これらをまとめて、トータルとして会田誠が好きという人もいれば、あるいは嫌いという人もいるだろう。また、特定の作品が気に入ったという人もまた、たくさんいると思う。ぼくは特定の作品組かな。気に入ったいくつかの作品を紹介しよう。

まず、”ジャンブル・オブ・100フラワーズ”。 バーンズコレクションで観たマチスの”ダンス”を彷彿とさせる絵で、まず、これが気に入った。写真は、前述のテレビ番組からのものです。この作品だけでなく画面に美少女がよく出てくる。




そして、”滝の絵”。山下先生の説では、この絵は国宝那智の滝図を下敷きにしているという。なるほど、滝の上には神山が。水着の女学生たちは修行しているというより、楽しそうに水浴びしてるようだが(笑)。滝の水の流れの描写がすばらしい。大勢の中、三人だけがこちらに視線を向けていた。つなげると斜めの線になった。


現代の”松林図屏風(等伯)”か、”電信柱、カラス、その他”。屏風の下には惨事が起きているらしい。電信柱が曲がり、カラスがセーラ服の切れ端や指先をくわえている。




日韓の女学生が国旗をもち対峙している。風神雷神図の構図だという。


ゼロ戦がニューヨーク上空を旋回している図。俯瞰の洛中洛外図や螺鈿の技法(ゼロ戦が光っている)をまねている。


墨絵風のうつくしい山の風景。”灰色の山”


と、思いきや、近寄ると、サラリーマンの死骸の山だった。何を意味するか。それはそれぞれ考えればヨカ。


子供時代のポスターを思い出して考えたという。あの頃、これは偽善だと感じて描いていたそうだ。


昨日もブログにちらりと出した”考えない人”。これだけは、写真撮影OKです。
顔はおにぎり仮面ですし、金色は、う●こです(爆)。こういうユーモアというかナンセンス風のも結構あり、楽しめます。オブジェの盆栽の幹、枝が女体になっていたり(爆)。僕も時々、そうゆう木の幹をみつけ、写真に撮っているので、同類項と思いました(汗)。


そうそう、ぼくの大好きな東山魁夷の”道”をベースにした”あぜ道”も面白かった。髪の分け目があぜ道につづいている(爆)。左の絵は、はじめの”切腹女子高生”です。


考えてみれば、北斎も歌麿も国芳も芳年も、画題は多岐にわたり、その中にはエロ・グロ・ナンセンスの作品もよくみかける。うん、そうか、会田誠は現代の浮世絵師ナノダ。










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六本木ヒルズの”考えない人”

2013-01-23 18:51:30 | Weblog
六本木ヒルズの”考えない人”
ほらね。



この人の作。"会田誠/天才でごめんなさい”展 in 森美術館


昼間から赤ちょうちんでごめんなさい in 森ビル展望室


両タワーもみえるぜよ。昭和の大横綱と平成の大横綱。




天才でごめんなさい、137億光年の宇宙の果てまで旅行してきました。


稀勢の里も”考えない人”に。円空さんのご加護で、よけいなことを考えない、天才になったかもしれない。7連勝。


いつも考えない人の楽しい一日でした。
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海老蔵 勧進帳の弁慶

2013-01-23 09:53:48 | Weblog
また、浅草に海老蔵を観に行った。先日の一部の幡随院長兵衛も良かったけれど、二部の”勧進帳”の弁慶も、とても良かった。この役は21歳の新之助時代に浅草新春歌舞伎ではじめて演じたそうだ。14年振りの浅草での大役、弁慶ということで、非常に感慨深いものです、と口上で述べていた。

ぼくの歌舞伎鑑賞歴はまだ日が浅いから、もちろん海老蔵の弁慶は、はじめて観る。有名な安宅の関での、海老蔵弁慶と橋之助富樫のやりとりを楽しみにしていた。白紙の巻物を勧進帳と偽ってろうろうと読む弁慶、義経に似ていると強力を呼び止める富樫、弁慶が義経を金剛杖でたたく、よしわかった、関を通れと富樫、よく知られた物語が小気味よく展開していく。海老蔵いいぞ!橋之助いいぞ!と拍手しながら、心の中で叫ぶ、”成田屋!”。あと10年もたったら口に出して言ってみたい(汗)。富樫がさきほどのご無礼を侘びたいと、酒を弁慶にすすめる。弁慶の飲みっぷりのいいこと、大盃をぐいぐいと空ける。さすが海老蔵!(汗)。そして延年の舞をまう。義経一行が足早に立去る。幕が閉じる。花道には弁慶ひとりが残る。心の中で、富樫の情けに泣き、義経を杖でたたいたことを侘び、なんとか関越えを果たした安堵感、そんな心の動きを見事な所作で表現する。いいぞ、成田屋!

はじめの演目の”毛谷村”もとても面白かった。六助(愛之助)と弾正(亀鶴)が試合を行っている。腕は六助が上だが、事前に弾正から老母を養うため試合に負けてくれと頼まれている。願いの通り負けてあげる。しかし、その老母とは偽で、試合のあとに殺してしまう。その老母の息子役が海老蔵で、六助に仇をとってくれと頼む。いかにも頼りなさそうな男を演じて、客席から喝采を浴びる。さすが海老蔵。孝太郎のお園も良かった。はじめ父の仇と、六助に斬りかかるが、それが人違いで、六助が許嫁と知るや、君子豹変(爆)。男勝りが、突然、女らしく、しおらしくなる場面にはみな爆笑。

海老蔵の口上では、正月公演で”にらみ”を受けると、幸せになるという伝えがあるそうで、”ひとつにらんでご覧にいれまする”とじろりと客席中、睨みをきかせてくれた。代々、海老蔵のにらみはサイコウだ、切手にもなっている。

新春浅草歌舞伎の一部、二部を制覇し、幸せな気分だった。

海老蔵のにらみ(切手)





さあ、新歌舞伎座のこけら落とし公演も、近づいてきました。演目には勘三郎に捧げる祭りも。菊五郎の弁天小僧菊之助も。





三月は海老蔵で。




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稀勢の里6連勝で勝ち越し 円空仏のご加護か

2013-01-22 18:38:55 | Weblog
大相撲初場所10日目。稀勢の里が難敵、琴奨菊を破り、勝ち越しを決めた。ぼくが、円空仏、三十三観音さま10体に10勝をお願いして以来、6連勝だ。さらに、中日には、円空仏の撫で仏、賓頭盧(びんずる)尊者坐像さまにもお願いして、(脇の下をナデナデして稀勢の脇の甘さを直してもらった)念を入れた。まさに、この破竹の勢いは、円空仏のご加護によるものとしか考えられない。ありがとうございます、円空仏さま。

いよいよ、明日から終盤に入る。優勝を勝ち取るには、両横綱を食う以外に道はない。ここで、もう一発、円空仏さまのご加護を強くお願いしておこう。両横綱を食う、特別祈願のため、二つの顔をもった円空仏”両面宿儺像”をお呼びした。これで絶対、残り5連勝でいけるゾ!!!



稀勢の里、勝ち越しを決める。8勝2敗。




13日目の日馬富士戦には、国技館に応援にいくことになっている。もちろん”両面宿儺(すくな)像”の写真を懐にしのばせて、応援する。すくなくとも、すくいなげで勝つでしょう。

そして、14日目の白鵬戦にも勝ち、千秋楽は三者同点決勝で日本中が沸き立つ。そして稀勢の里、念願の初優勝!!!牛久市名誉市民即時決定!

千秋楽は、その朝、円空仏、”秘仏歓喜天立像”を掲げる予定です。 

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稀勢の里 通算500勝

2013-01-22 09:19:39 | Weblog
稀勢の里が通算500勝目の勝星をあげたことを今朝の新聞で知った。その記念すべき取り組みは、残念ながら観ることができなかった。浅草新春歌舞伎に行っていて、ちょうどその時間帯は、弁慶役の海老蔵が、富樫の計らいで無事出立した義経らを追い、花道からゆっくりと立ち去る場面だった。

海老蔵が客席に睨みをきかせたときが、きっと稀勢の里が豊ノ島を寄り切った時ではなかったろうか(笑)。閉幕後、すぐにスマホで稀勢の勝利を確認したが、そんな記念すべき白星であるとは知らなかった。ぼくはその後、浅草で一杯飲んで、帰ったが、稀勢の里は、、二所ノ関一門の親方衆、関取、行司、呼び出しら約60人と共に、黒紋付きにはかまの正装で大鵬関の弔問に出掛けたそうだ。

おめでとう稀勢の里。これからも、大横綱大鵬を生んだ、二所ノ関一門の頭として、横綱を目指して、がんばってほしい。

浅草の青い灯、赤い灯






お昼は、神田で蕎麦。まつやにしようと思ったが、休みだった。やっぱり、いつもの神田やぶ。この辺りは戦災がなかったため、古い建物が多い。池波正太郎の食べある記によく出てくる。稀勢の里関のお祝いにご馳走を。建物だけですが。

まつや


やぶ


竹むら おしるこ屋さん


いせ源 あんこう鍋




ここのラーメン屋さんも候補だった


海老蔵歌舞伎は次回に。
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細川家に残る江戸の天文学

2013-01-21 09:20:03 | Weblog
この展覧会は、昨年末に終了したものだが、記録だけはしておこうと書きはじめている。それより先だって、滝田洋二郎監督の映画”天地明察”を観ている。こんなあらすじだった。

算哲(のちに渋川春海と改名;配役/岡田准一)は、もともと碁打ちの名家に生まれたが、ひょんなところから、幕府の命で、北極星の高度を測定し緯度を定める北極出地隊の一員となる。そして、それを終えたあと、さらに大命が下る。現在、朝廷が管理している(800年間使われてきた)唐由来の暦がどうも、少しくるってきているようだ、我が国独自の暦をつくれと言われる。朝廷側の激しい抵抗もあるが、妻えん(宮崎あおい)の内助の功や天才数学者、関孝和(なんと猿之助)の支援、そして水戸光圀(中井貴一)の後ろ盾もあり、とうとうやり遂げる。算哲の親友に、囲碁界の革命児・本因坊道策(横山裕)がいる。”初手天元(ど真ん中に初手を打つ、めったにやらない手)”ではじまる、両者の緊迫した対決もみられる。(ぼくのブログ記事から)

この映画を観た方はぜひおいでください、といった展示内容で、とても楽しめた。天文学に興味をもったお殿様は、第五代細川網利で、彼の収集品が主な展示品となっている。何と言っても目玉は、渋川春海作の、銅製の天球儀であろう。1,673年作で、中球の半球を赤道部分でつなぎ合わせ、星座を金銅および銀鋲で打ち、星座名を金および銅象嵌で示している。さらに板台表面には中国と日本の天文器具の歴史と本作を考案するに至った経緯が印刻されている。実際の制作者、津田友正の名も裏面に記されている。これほど大きな(径63cm)天球儀の例はなく、重要文化財に指定されている。

永青文庫に伝わる”妙應公御家譜続編”には、”天文ハ安井三哲(割注・俗渋川助左衛門(渋川春海のこと)御傳受年々星のめくり御覧被成二星五星二十八宿之行御書付置被遊候”とあり、細川網利(妙應公)が渋川春海から天文学を伝授され、星々の観察を行っていたことを示している。天球儀が細川家所蔵というのもうなづける。

第八代細川重賢も天文に興味をもち、皆既月食、月や星の観測を日記に記している。彼が重用した秋山玉山が著わした(星座の位置をわかりやすく示した)”二十八宿図”も展示されている。以前、大雄山参道二十八星宿灯をすべて見付け(汗)、ブログ記事にしている。(そこから引用)星宿とは、江戸時代の星座のこと。西洋式星座体系でいえば、黄道十二宮に代わり、中国や日本の星座体系では、二十八の星宿が天の赤道の方向に沿って大空を分割していた。月、惑星は星宿の中を行き来し、太陽は一年で二十八星宿を一巡りするというわけ。日月惑星が星空の中を行く道だったのだ。28の星宿は、東方青竜領域の角から始まり、北、西、南と移動し、28番目の軫で終わる。

重賢手製の茶杓には”銀河”という銘がついている(笑)。三島大社から頒布される暦にその模様が似てる三島茶碗、銀の月と七つの星の模様の軍扇なども展示されている。さらに、囲碁関係として、うつくしい碁盤・芒菊桐蒔絵碁笥も鑑賞できる。これは千利休が所持していたものだが、彼は、本因坊算砂(本因坊一世)とも親交があったそうだ。映画でに出てくる本因坊道策は本因坊四世である。

細川コレクション永青文庫内に新しくできた展示室での展覧会、とてもよかった。現在は、”武蔵と武士のダンディズム”が開催されている(1/25~3/24)。刀剣も出ているというし、是非、行かねば。今日は海老蔵です(汗)。

展示品の数々。













なお、ついでながら、算哲役をした岡田准一は、2014年の大河ドラマ、「軍師官兵衛」の主役だそうですね。天文好きの官兵衛になるのかな。

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初場所中日 稀勢の里6勝目

2013-01-20 22:53:20 | Weblog
大相撲初場所も、早くも中日。稀勢の里、4日目に2敗もして心配していたが、ぼくが円空さんにお願いして以来、4連勝。6勝2敗と、まずまずの成績で前半戦を終えた。

後半戦は、横綱、大関戦が控えるが、勝機が十分にある両横綱を倒せば、まだまだ優勝の可能性はある。さすれば、残りを全勝でいける!もう一度、(円空仏を)さすれば、ぼくの予想通り、13勝2敗で初優勝だ! きっと、二所一門が出身母体である大鵬関も天国から応援してくださるゾナもし。さすれば、もう無敵じゃ。今場所だけではなく、来場所も全勝をつづけ、一気に横綱昇進ダ!!!

さすれば、今年は、”巨人、稀勢の里、玉丼”が流行語大賞になるゾなもし。

初場所8日目 稀勢の里、松鳳山を寄り切り、6勝目。


円空仏 撫で仏の脇の下をさすれば、脇の甘さを直してもらえるだろう。


お月さまも中日を迎えていた。


大寒の日だったが、逗子の海は暖かだった。






太陽の季節ここに始まる 稀勢の里の季節ここに(初場所)始まる、にせねば







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円空展

2013-01-20 09:38:27 | Weblog
トーハクで、新春の特別展、”飛騨の円空/千光寺とその周辺の足跡”がいよいよ始まった。雪の翌々日、出掛けてきた。まず、お出迎えしてくれた円空仏は、賓頭盧(びんずる)尊者坐像。ちょっと首をかしげた微笑仏。てかてか光っている部分もあり、皆に慕われた”撫で仏”だったようだ。円空さん自身をモデルにしたとも伝えられているから、ご本人直々のお出迎えである。


まず、円空さんが自己紹介してくれる。わしはナ、美濃で生まれ、僧侶になって間もなく、北海道に渡ったんじゃ。そこで円空仏を彫りはじめ、その後、飛騨に戻り、周辺の山々で修業を重ね、63年の生涯で、約12万体もつくったんよ。でも、現存するのは、五千体ほどじゃがナ。その代表作をトーハクに連れて来たんじゃ。わしの仏像を通じて、あんたたちに生きる力を吹き込もうぞ。しかめっつらして観るのではなく、ゆっくりと、森の中を歩くように、みておくれナ。

ここで一番、印象に残る作品はどれかと問われれば、展示室中央におわします、2メートルの立木仁王(金剛力士)像(吽形)だろうか。立木によじ登って、ノミをふるったそうだが、今でも立木のよう。体の部分はほとんど、手を加えず、へその辺りは空洞になっている。ふふふ、腹のうちをいつも見せているということかな。顔は少し、丁寧に彫って仁王さまに。仁王立ちにした。素直に手を合わせたくなる。関係ないことだけど、八幡さまの倒木・大いちょうも、こういう木像に仕立てれば良かったのにと思う。


三十三観音立像がずらりと並んでいる。昭和30年代まで里人が病気になると、千光寺から無断で借りて、枕元に置いていたそうだ(笑)。円空仏は比較的精巧なものとそうでないものがあるが。こちらは簡略タイプであろ。50センチ程度の木を並べて、一気に彫っていった感じ。1日で彫ってしまったのではないか。


秘仏歓喜天立像が特別開帳されている。お寺でも7年に一度しか開帳しないとのこと。雌雄の象頭人身が抱き合う姿、インド密教伝来の仏さま。でも円空さんの歓喜天はエロチックさは感じない。”秘すれば花”にしておいた方が良かったかも(笑)。千手観音さまも見事だった。さすがに、お手は一本、一本別に作り、くっつけたようだ。よくみると小さなお地蔵さまも足元にいらっしゃる。

宇賀神像。なんじゃこれという形をしている。もしかして、なんて思ったものとはぜんぜん違った(笑)。古事記にも出てくる神様で、身体はとぐろを巻く蛇、そして頭は老人。穀霊神・福神として信仰されていた。神様といえば、女神さまがひとりもなかったような気がする。いつか三井記念館で拝観した、建部大社の女神坐像みたいな素朴な円空女神をみてみたかった。


そうそう、狛犬もいた。何故か、柿野人麻呂も。そして精巧な両面宿儺像。ちらしの写真をみていると、あれもこれも、一言、書いてみたいが、きりがないのでこの辺で止めにしよう。


日本ではむかしから、巨木はそのままで神様だ。だから、こうして幹の木目や節などをあらわにしてつくられた木像の、神さまや仏さまにはぼくらは素直に頭を下げてしまうのだ。展示場いっぱいに林立する円空仏に囲まれて、とても豊かな時間をすごさせてもらった。

(以上の写真は千光寺/円空仏写真集より)図録は重そうなので、こちらを買いました。















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大横綱大鵬 逝く

2013-01-19 21:36:25 | Weblog
歴史に残る、大横綱、大鵬関が逝った。2度の6連覇など32回の幕内優勝を飾り、いつも優勝している印象だった。”巨人、大鵬、卵焼き”の流行語が生まれるほどの、国民的大スターでもあった。あまり強すぎて、いつも対戦相手に声援を送っていたような気がする。ぼくらの世代の代表選手、大鵬関のご冥福をお祈りします。

大鵬関の軌跡








大鵬関の出身部屋、二所ノ関部屋は今場所を限りに消滅する。不思議な縁だ。
二所一門の鳴門部屋の稀勢の里、勝ち星をあげ、故大鵬関に供える。


ご冥福お祈りします。
円空仏。金剛力士立像。

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富士と菜の花 吾妻山

2013-01-19 21:14:41 | Weblog
今朝、素晴らしい富士山がマンションから見えたので、二宮の吾妻山に出掛けた。一週間ほど前にも、菜の花をみにいき、このブログでも報告したが、そのときは富士山が雲隠れしていた。次は、菜の花と富士山のツーショットを是非みたいと、機会を伺っていたのだ。今度はワイフも一緒に、9時には家を出た。東海道線で雲一つない富士を車窓で確認しつつ、二宮駅で降りた。そして、300石段を登り始める。前回と違って、ずいぶん”登山者”が多い。土曜日ということもあるのだろう。そして、頂上に。

大勢の人がカメラをある方向に向けている。その先には、本当に雲一つない富士山が。ぼくも何度もここに来ているが、これまでで、最高の富士山だった。地元の人も、こんな素晴らしい富士はめったにない、運がいいですね、とほめてくれた。まず、菜の花畑を手前にして富士山をみる。まだ、真冬というのに、菜の花が真っ盛りで、その向こうに、真っ白な富士がそびえているのだから、めったにない絶景だ、







丹沢の山々もいつになく、輝いていた。




まゆみ越しの富士山


空はどこまでも青かった。


小田原まで足を延ばし、ぼくのお気に入りの居酒屋でお昼をいただいた。これで、千円ちょっとのお刺身ランチ。ワイフは金目鯛ランチ。昨晩、ミニクラス会でたくさんいただいたばかりだが、お刺身さんがぜひ飲んで、お願い、と言うもんだから、つい大徳利でいただいてしまった(汗)。ワイフも、安くておいしい、とほめてくれた。店の名前は教えません。ヒントは、店名が富士山と関係があります。



とても素晴らしい富士山だった。とても、おいしいふじ丸だった。あっ、言っちゃった。



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