こんばんわ。
横浜市栄区テレビセミナー”真田丸”も、今日で4回目。これまでの講師の方々のお話もおもしろかったが、今日は、とびきりだった。なにせ、講師がプロの講談師なのだから、面白くないわけがない。
講師は、大阪講談協会会長の旭堂南稜さん。大阪府立大の修士(農学)を出られた後、講談師になられ、大名跡、旭堂南稜を襲名し真打に。その後、大阪芸術大で、寄席芸人初の博士号をとられたいう異色の講談師だ。テーマは、真田幸村と大阪の陣。
はじめは、史実に従っての”真面目な”講義だったが、途中から、がらりと変わり、講談調に。講釈師見てきたようなウソを言い(爆)。実は、家康は大阪夏の陣で亡くなっているという講談。始まってすぐ、ピンときた。2011年9月に岸和田のだんじり祭りのあと、堺の南宗寺(なんしゅうじ)を訪ねたが、そこに何と家康の墓を見付けたのだ。その解説が以下のようだった。今回の講談は、まさにそれを骨子にしているノダ。
大坂夏の陣の時、真田幸村の奇襲を受けて輿にのって逃げ出した家康。しかし大坂方の猛将・後藤又兵衛は怪しいと睨んで槍でついた。家康はそのまま南宗寺で絶命。しかし死去はふせられ、家康の影武者が活躍。家康の遺体はひそかに日光東照宮へ運ばれ葬られたという。こんな伝説がまことしやかにささやかれる南宗寺。二代将軍・秀忠、三代将軍・家光が相次いで寺を参詣したのも、実は家康の死が起因しているとの説が伝えられています。それを裏付けるように、境内には徳川家康の墓があり、瓦には徳川家の「葵」の紋が。歴史の意外なミステリーに興味をそそられます。
もちろん、講談だから、さらに面白おかしく脚色している。大阪の平野地区で陣をとっていた家康が急にビッグベン(大便)を催し、近くの庄屋の便所を借りているときに、幸村が樋尻口の地蔵堂に仕掛けた地雷が爆発し、ビックリして尻拭いせず(爆)、飛び出してくる。そのあと逃げ回るが、次々と幸村の伏勢に襲われる。しかし、前述のように、最終的には南宗寺で絶命し、そこに埋められた。さらに、幸村も実は生き残り、薩摩に落ち延びたという話。そして、講談のあと、この話は荒唐無稽なものではなく、それを裏付ける証拠がたくさんありますと、様々な史蹟が紹介される。
二時間の講義だったが、このセミナでは珍しく、一度も居眠りをしなかった(笑)、とても、楽しいセミナだった。

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2011年に訪ねた堺の南宗寺。ここには千利休の墓があり、同じ墓地内に表千家、裏千家、武者小路千家の家元の墓もある。茶人では知らぬ人はいないお寺。

家康の墓

ついでに、だんじり祭り。この一と月あとに、岸和田を舞台にした朝ドラのカーネーションがはじまった。

コシノ洋裁店

だんじりまつり。 ほとんどのだんじり(山車)に真田幸村の像が彫られていると先生は言う。勇猛果敢な武将は、だんじり祭りにぴったりなのだ。

また、だんじりに行きたくなってしもうた。