気ままに

大船での気ままな生活日誌

古代ギリシャ展/時空を超えた旅(1)

2016-06-27 10:55:14 | Weblog

おはようございます。今朝は、トーハクの古代ギリシャ展の感想を。

古代ギリシャ展の半分、みてから、事前登録が必要な記念講演会を一時間半ほど聞いた。講師は、この展覧会の監修をされた東北大の芳賀京子先生で、”ギリシャ美術を巡る旅/神々と人間の出会うところ”という演題。歯切れの良い語り口で、おもしろく聞かせていただいた。

この展覧会は、わかりにくいという人が多いです、と第一声。とにかく、副題が”時空を越えた旅”とあるように、BC7000年紀からはじまって、紀元後までと期間が長い、加えて、(地図を示しながら)、ギリシャ本土、クレタ島、キュクラデス諸島など、場所もあちこちに飛ぶ。なかなか、すとんと落ちないかもしれないが、英文表記の副題をみると、”不死なるもの(神)と出会う旅”になっている。古代ギリシャは、日本と同様、多神教ですので、多様な神さまと出会ってください、という言葉にすとんと落ちた(笑)。

では、先生のお話を思い浮かべながら、旅をしてみましょう。図録は購入していないので、パンフレットからの写真だけといたしまする。ぼくの記録用として、貼りつけておこう。

第1章 古代ギリシャ世界のはじまり (BC7000-BC2000)キュクラデス諸島、クレタ島

BC7000年紀の新石器時代にはじまり、BC3200年紀頃からの青銅器時代へ入る。主に、エーゲ海のキュクラデス諸島で花開いたキュクラデス文明が紹介される。独特な大理石小像が印象的。写真↓は、スペドス型女性像。バイオリン型女性像なども。男性像は少ない。これらは、神々への祭祀や葬祭のためにつくられたと考えられている。用途不明なフライパン型容器などもある。

第2章 ミノス文明(BC3000-BC1100) クレタ島

クレタ島に花開いた、伝説のミノス王の名前をとってミノス文明(クレタ文明)。BC2000年紀初頭にザクロス宮殿などが建設された。そして、聖なるモチーフである牡牛や双斧を表した祭具や、海のモチーフで装飾された土器や装身具などいろいろ展示されている。そして、噴火で埋もれたテラ(サントリーニ)島アクロティリ遺跡で出土した色鮮やかなフレスコ画。本展の目玉の一つである、”漁夫のフレスコ画”↓(前17世紀)もここで出土した。たくさんの魚を両手にぶら下げる若者。単なる漁師ではなく、神に豊漁を感謝するために捧げものを持ってきた少年ではないかのこと。

牛頭型リュトン(BC1450)↓ クレタ島ザクロス宮殿「神殿宝庫」出土。黒い緑泥石を浮彫りや毛彫りで彫っている。まるで現代の作品みたい。

第3章 ミュケナイ文明(BC1600-BC1100年)

ギリシャ本土に生まれたミュケナイ(ミケーネ)文明は、次第に勢力を増し、BC1450年頃にはクレタ島に及ぶ。ミノス文明の影響を受けつつも、クレタの宮殿とは異なり、敵から防御のための堅固な城壁をもつ。権力者は勇敢な戦士であることを誇りに思い、死後は武具や黄金の装身具で飾られて埋葬されたという。

戦士の象牙浮彫り(BC1350-1250)↓ テロス島出土 猪の兜をかぶり、8の字の盾を持った戦士が浮彫りされている。ギリシャ最古の文学であるホメロスの『イリアス』(紀元前8世紀)は、ミュケナイ時代から何百年も語り継がれてきたトロイア戦争を詩文にして詠ったものだが、そこでは英雄オデュッセウスが猪の牙の兜をかぶり、まさにこの浮彫りのような姿で登場する(本展サイトより)。

円形飾り板(BC16世紀) ↓ ミュケナイ、円形墓域A(第3号墓)出土/径5.5~6.8cm。王家の墓で、数々の黄金製品が発見された。ホメロスの『イリアス』に詠われた「黄金のミュケナイ」を彷彿とさせる。

さて、ここら辺りで休憩を。(つづく)

では、今日も一日、古代ギリシャ人のように、お元気でおすごしください。

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カルガモ日誌(26)6月26日(風呂、露天風呂の日)

2016-06-26 22:10:41 | Weblog

こんばんわ。

カルガモ日誌も今日で、第26報。ちょうど、6月26日。26・6・26と数字の並びもよろしいようで。おまけに語呂合わせも”フロロテンブロ(風呂、露天風呂)”となるようで。

カルガモの仕事場は川の上。のんびりするのは、みどりの小島。彼らにとっては、ここが露天風呂。

働くばかりが能でない。遊んでいるばかりいるのも困りますが。

今日もよく遊びました。横須賀の衣笠山で山百合を見たし、こんな可愛いオブジェも見たし。


忠犬タマ公の碑も見たし。忠犬ハチ公は秋田の生まれですが、こちらは新潟の生まれです。

では、おやすみなさい。げろげろ。

いい夢を!

槿花一朝の夢

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衣笠山公園 山百合咲く、紅筋山百合も!

2016-06-26 18:50:16 | Weblog

今日は天気もいいし、どこか山百合でも咲いていそうなところにでも行ってみようと外に出た。ふと、横須賀の衣笠山公園が頭に浮かぶ。たしか、去年も行ったはずと、ブログ記事を調べてみると、6月20日に訪ねている。ちょうど見頃で、たくさんの花をつけた山百合の写真がいっぱい載せてあった。今日は26日、もう見頃は過ぎているかもしれないが、とにかく、行ってみようと。衣笠駅でとんこつラーメンを食べて、衣笠山へ。

山百合は咲いていた。でも、やっぱり見頃は少し過ぎていて、去年の半分くらいの感じだった。今年は何でも花が早いしね。それでも、合わせれば何十株の山百合をみられたのだから、この夏、最高の、山百合見物となった。

十分、山百合見物を楽しんで、そろそろ、帰ろうかと、山道を下り始めた。そのとき、ふと見上げ先に、な、なんと、あれは、紅筋山百合では!昨年も紅筋山百合が咲いているという、うわさを聞いていたが、見つけることができなかったものだ。

急斜面の上にあるので、近づくことはできなかったが、ズームアップして写真だけは撮っておいた。

大船フラワーセンターに紅筋山百合があるが、幻の山百合といわれ、めったに出現しないものと言われている。多少、紅色が薄いようだが”紅筋”であることは間違いない。たった一株の一つだけの花だった。

近くでみたいと、上の道に廻ったが、急斜面で近寄れなかった。後ろ姿だけをみた。ちらりと、みせてくれ紅、色っぽかったですね(笑)。

すばらしい一日でした。これも、あそびのかみさまのおかげ!ありがとうございます!

山道を登りながら、斜面の山百合を観察するノダ。

頂上からは海がみえる。

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いよぉ日本一!夏の富士と100米競走のケンブリッジ飛鳥

2016-06-26 09:24:33 | Weblog

おはようございます。今朝は久し振りに夏の富士山をみることができました。ほとんど雪は消えていました。それでも、いよぉ日本一!

日本一といえば、リオ五輪代表を決める昨晩の日本陸上。注目は、陸上の花、100メートル競走。桐生祥秀、山県亮太、ケンブリッジ飛鳥の三強の争い。日本人初の9秒台にも期待がかかる。

スタート。左から桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥、山県亮太。


三選手力走

ゴール

ケンブリッジ飛鳥が、山県を接戦で制し、日本一!期待の桐生は途中で足のけいれんを起こし、3位に。すごい三強。いずれも、リオ五輪に内定(飛鳥、桐生)か濃厚(山県)。リオ五輪では誰かが、決勝に残り、9秒台で走り、記憶に残る選手になってほしい。400メートルリレーはメダルの可能性もあるのでは!

女子100メートルは、福島千里が圧勝!五輪決定!

オリンピックの原点は、BC8世紀のギリシャのオリンピアの競技大会(古代オリンピック)。1000年以上つづいた。競技者は競馬と戦車競走以外、すべての競技は全裸で行われたという。たくましい身体と技を神さまにおみせするというお祭りだった。はじめは190メートル走だけだったが、クラッシク時代には18種目、5日間となった。(昨日の古代ギリシャ展より)

さあ、リオ五輪が近づいてきたぞ。そわそわ。その前に稀勢の里の初優勝、横綱昇進だ!

では、みなさん、今日も一日、元気に走り抜けましょう!明日は明日の風が吹く!

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カルガモ日誌(25)トーハク三昧の日に

2016-06-25 23:26:09 | Weblog

こんばんわ。

一昨日、トーハクに行ったばかりなのに、今日もまた、行ってしまった。それも半日、入りびたりの”トーハク三昧”。家内が、ここではじまった”古代ギリシャ展”の記念講演会の申し込みをしていて、それが今日だったのだ。”合格通知”の葉書は二名までOKというわけで、ぼくも一緒に来たというわけ。その講演会が一時間半ほど、その前後に、特別展と常設展と。

では、本題のカルガモ家族の動向。往きも帰り道でも出会いました。昨日、果敢に”めおと坂(川の段差)”に挑戦していた姿を見ていただけに、今日は残念。”その坂を越えたなら、幸せが待っている”はずの上流で出会いたかった。いつもの、なだらかな下流で、のんべんだらりとしていたのだ。でも、元気な姿をみて、一安心。もしかしたら、ぼくの見ていないときに、めおと坂を越えて、”そんなことばを 信じて 越えた七坂 四十路坂(?)”だったかもしれないし。

往き。

六羽の子鴨と母鴨

もう親子の区別ができなくなるほど成長した。

上野公園でお昼。いつもは麺類だが、家内と行くときは印象のいい韻松亭でご馳走。これで2000円。

近くの上野大仏にこんにちわ。

トーハクでこんにちわ。

常設展でこんにちわ。

大観 雲中富士

菩薩立像

帰り

では、おやすみなさい。げろげろ。

いい夢を。

神鹿(竹内久一)トーハクにて。

(三島大社の神鹿)

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ほほえみの御仏/二つの半跏思惟像

2016-06-25 09:02:03 | Weblog

おはようございます。ご機嫌いかがですか。ちょっとという方は、まず、ほほえみの御仏のお顔をごらんになって機嫌を直してください(笑)。

日韓の国宝・半跏思惟像が並んで展示されるというので、楽しみにしていた。開幕早々、行ってきました。展示室に入る前に、ビデオ室でまず予備知識。

半跏思惟像はインドのガンダーラが発祥で、中国、朝鮮そして日本に渡来してきたとのこと。552年に我国に仏教が伝来してきたが、そのとき、半跏思惟像も送られ、安曇野の松川村観松院蔵の銅製・弥勒菩薩半跏思惟像もそのひとつだという。七世紀のはじめ、日本でも仏像の制作がはじまり、日本独自のものになっていく。今回展示の中宮寺の半跏思惟像もその一つで、飛鳥時代(7世紀)の作。一方の、韓国国立中央博物館蔵の韓国国宝78号半跏思惟像は、三国時代・6世紀の作。ぼくの好きな京都広隆寺の弥勒菩薩も半跏思惟像だが、これは中宮寺よりあとの作で、より和風になっている。できれば、こちらにもおいでいただきたかった。

さて、特別展示室に入ってみよう。まだオープンして数日後、平日ということもあり混み合っていない。ふたつの仏像は向かい合って座っている。韓国の仏像さんの方が小柄である。まず、中宮寺の方から。

くすのき材の寄木造で像高132.0cm。当初は彩色され、肌色に近い色だったらしい。また別製の装身具もつけておられたというから華やかだったであろう。聖徳太子の母上に似せているという説もある。

お寺と違って、ここでは、後姿までみられるのがうれしい。みな、一回りして観る。少しずつ、印象がちがう。

そして、韓国の半跏思惟像。

こちらは銅製ながら83cmの大作。中宮寺と同様、右足を左足の上に組んで坐具に坐り、右手の中指を頬に添え、口元に微笑を浮かべる。顔と手が相対的に大きい。

こちらも、ぐっると廻ると、印象が男っぽくみえたり、女らしくみえたり、面白い。

とにかく、静かに二体のステキな仏像さんを拝観できたのは良かった。きっと、今日からは、大行列になるのでは。わくわく(汗)。

。。。。。

法隆寺宝物館でも飛鳥時代作の半跏菩薩像をいくつも拝観できますよ。

法隆寺宝物館設計は、ニューヨークのMOMAも設計した谷口吉生というので、建物も撮ってみました(笑)。本館前の池と雨が混ざって、いい感じになっていました。

直線がうつくしい内部。

では、みなさん、今日も一日、思い悩んで、お元気で!


 

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カルガモ日誌(24)妙本寺の凌霄花が咲き始めた日

2016-06-24 22:10:33 | Weblog

こんばんわ。

今日はカルガモ家族にとっては節目の日だったかもしれない。いつも家族に出会うのは、砂押川の桜並木が切れて、駅に近い橋の辺りだったのに、今日はなんと、まだ桜並木の上流で見かけたのだ。そして、そのすぐ先に、段差があり、鯉でさえ、なかなか越えられない壁になっているのだ。都はるみの夫婦坂に♪この坂を越えたなら幸せが待っている♪とあるが、まさに、そんな坂なのである。去年もそうだったし、一昨年も、この坂を越えたあと、数日で親離れをしたのだった。

おっ!めおと坂(黄色の矢印)に子鴨(緑色の矢印)が近づいているぞ!

どんどん近づく!三羽の子鴨。

がんばれ!六羽勢揃いで挑戦の態勢!

あと一息だ!がんばれ!

おっ!一羽が、めおと坂を乗り越えた!

すると、今日はここまでよ、と、お母さんの声。みな、すーーと戻ってきた。

よく、やった。明日は、六羽そろって、この坂を越えて!その先に、もうひとつ高い段差があるのだが、これは羽根を使わなければ無理。もうあと少し。ぼくの、今年のカルガモ日誌も終盤に近づいたようだ。

今日は、午後から建築学公開講座で法隆寺と東大寺の話を聞く。午前中は妙本寺の山門前の凌霄花の開花状況の観察に行った。もう咲き始めていましたよ。

石段を登ると、山門が現れる。

山門の向こうの凌霄花が咲き始めていた。

火のごとや 夏は木高く 咲きのぼる のうぜんかづら ありと思はむ (北原白秋)

今日は人間界も火のごとや、の日でしたね。七坂超えられるかな?

では、おやすみなさい。げろげろ。

いい夢を!


(本覚寺の蓮)

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和田英作展/日本近代洋画の巨匠

2016-06-24 10:49:03 | Weblog

こんにちわ。

最近、日本近代洋画の巨匠と呼ばれる画家の回顧展をたてつづけにみている。五姓田義松(1855-1915)、原田直次郎(1863-1899)、黒田清輝(1866-1924)、そして、今回の和田英作(1874-1959)である。

三島市の佐野美術館は、2012年の”小村雪岱/江戸の残り香”以来、久し振りの訪問だった。今回は三島梅花藻が主で、この展覧会は従であったが(笑)、なかなか面白い展覧会であった。回顧展であるから、和田英作という人物のバイオグラフィーも垣間見ることができたし。

和田は鹿児島(垂水市)の生まれだが、幼少期に家族が上京し、麻布に住んだ。明治学院に入り、上杉熊松に洋画の基礎を学ぶ。退学してからは原田直次郎の鍾美館に入る。1893年、黒田清輝がフランスから帰国し、彼がもちかえった”外光派”に衝撃を受け、病床の原田の許しを得て、1894年、黒田の天真道場へ移る。

1896年、白馬会創設に関わり、東京美校に洋画科が開設されると、黒田が教授、和田は、藤島武二、岡田三郎助らと共に助教授に就任。しかし、その後、辞職し、美校へ生徒として入学するのである。いきなり4年に編入(笑)、卒業制作として、”渡頭の夕暮”を描く。教科書にも出ている名作。

農作業を終え、多摩川の矢口の渡しで、帰りの船を待つ場面。川面が夕陽に染まっている。のちに、”夕暮れと朝焼けを極めた画家”とも称される。ついでながら、和田は、”富士薔薇太郎”と呼ばれるほど、富士山と薔薇をよく描いた。展覧会でも、薔薇コーナー、富士山コーナーも。

さて、話を戻そう。1879年にヨーロッパ留学の機会を与えられ、フランスへ3年、黒田の薦めでコランに師事。第1章(洋画家として歩み始める)では、前述の名作のほか、黒田風のマダム・シッテル像(知らないぞ(笑)。下宿先の夫人がモデルです)などが並ぶ。ミレーの落穂ひろいの摸写も。やっぱり、夕暮れが好きみたい。

第二章(白馬会、文展で活躍)では、1908年作”おうな”(東近美蔵)、くものおこない(衣通姫)、福沢諭吉先生の肖像(一万円札と同じ顔。同じ写真を元に描いたとのこと)。

おうな 千葉県稲毛に取材。干潮時の夕陽と老婆。一日のおわりと人生のたそがれ。

第3章(洋画界の指導者へ)。1921年には日仏交換展の代表使節としてパリに渡る。二度目の渡欧の経験から、帰国後、20,30年代は日本の古代にも目を向けるようになった。”野遊”や”近江石山寺紫式部”など。美校の校長(1936)、帝室技芸員など要職を務める。

野遊 奈良時代の貴婦人が、藤の花を愛でながら音楽を奏でようかという場面。うっとり。

第4章(東京を離れ、愛知・知立、そして静岡・清水へ) 戦争が激しくなり、愛知県知立に疎開。逢妻風景、小堤西池のかきつばた、夏雲、などの風景画を描く。1951年、清水に移り、富士山を描きつづけ、1959年に亡くなる。

夏雲

三保富士(1953)

ちらしの絵は赤い燐寸。真夏の日射しを受け、眩いばかりの青春の輝き。モデルは帝大生時代の澁澤秀雄。和田は美校の水泳部長で一緒に海水浴に行ったときの思い出。マッチの炎は一瞬だが、良い思い出は永久に残る、と書いている。

とても、楽しい展覧会でした。さて、次回はいつになるかな。

庭園散策も楽しい。



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塩辛トンボと麦わらトンボの仲良しさん

2016-06-24 08:33:40 | Weblog

おはようございます。

今朝は、三島の楽寿園でみた塩辛トンボと麦藁トンボの仲良しさんの写真をお届けします。

塩辛トンボ(雄)と麦藁トンボ(雌)のつがいは、はじめ空中飛行していましたが、突如、動物コーナーの柵に着陸。そこで、しばらく休憩(?)。ゆっくり、見物することができました。こんな写真を撮ったのははじめてかも。記念すべき一枚(笑)。

この様子を屋根の上からじっくり覗き見をしていたのがこの子。

ケープハイラックスという、イワタヌキの仲間。アフリカの草原の岩場に群れをつくり生活しているとのこと。

動物園には仲良しさんがいっぱい。

ミニブタ

マーラ

ポニー

アルパカ

のどかな楽寿園だった。

ここは、小松宮彰仁親王の別邸だったところ。小松宮親王銅像は上野公園にある。その前に”小松乙女”桜の原木が。ちょうど、昨日、ここを通りかかったので写真を撮っておきました。

では、みなさん、今日も一日、仲良く、お元気で!

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カルガモ日誌(23)上野不忍池の初蓮見の日

2016-06-23 22:11:17 | Weblog

こんばんわ。

カルガモ日誌第23報をお届けします。雨の中、勤め人と同じ時間帯であそびに出勤(汗)。午前8時頃、川面を観察しながら駅へ向かう。ぼくと違って、カルガモ家族は、雨の日くらいはのんびりと過ごしたいのか、仕事場には出てきていなかった。

その後、ぼくが、上野で一仕事(ぼくの仕事とは、一般人のいう遊びでがんす)終えて、午前中の雨がうそのように晴れあがった、午後6時頃、ここで、仕事中(鴨の仕事とは餌を探し、食べること)のカルガモ家族に出会ったのだ。

今日はパンを投げ入れるおじ(い)さんもいなければ、おばさんもいない。一所懸命、嘴で川の藻をつっいていた。ほんとに、この一週間、子鴨の身体が一気に大きくなり、人間でいえば、高校生。それも、選挙権をもらえる18歳に近づいた感じ。ちょうど、今日から、川の畔の参議院選挙掲示板にポスターが貼られていた。

この日、ぼくは上野の不忍池で蓮の花が咲いているのを今年初めて見た!いってみれば、不忍池・初蓮見の日。でも、ほんのわずか。あの広い不忍池で、ぼくが見つけたのが、三つか四つ。ほんとの初花かも。うれしい日だった。

この蓮見の前はこれとこれ。いよいよはじまった東洋と西洋の美術展。どちらも、とても良かったですよ。さて、その展覧会とはなんでしょうか。明日以降に報告します。ヒントの写真をごらんください。

東博 この二人↓は法隆寺宝物館に住んでいますが、展覧会の二人は中宮寺と韓国に住んでいます。

都美 リサとガスパールが住んでいるパリの近代美術館です。 

そうそう、そのあと、よせばいいのに、鈴本で寄席も(汗)。途中で、火災警報器がなったりして(誤作動だったが)、ああ、おもしろかった。

では、おやすみなさい。げろげろ。

いい夢を。

(三島・楽寿園にて)


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