こんばんわ。
今日の”おやすみなさい記事”は、残念ながらカルガモ日誌ではありません。熱海の温泉からの投稿ですので、先日の展覧会のミニ感想文とさせていただきまする。
八幡さまの境内を散歩しているとき、国宝館で”常盤山文庫名品展2016/国宝の墨跡”をやっているのに気付いた。ほほぉ、あの墨跡なら、もう一度、見てみたいと思った。エピソード付のもので、ひとつは亡くなる日に書いたというもの。まず、それから紹介しよう。
”清拙正澄墨蹟 遺偈”。中国からの渡来僧、清拙正澄が京都建仁寺禅居庵において生を終える直前に残した(遺偈)墨痕である。花押と日付の十七は書体が乱れ、墨色も二重になっており、最後の力を振り絞って筆をふるった様子が伝わってくる。享年六十六歳であった。鎌倉の建長寺に務めたこともある。臨終に間に合わなかった弟子が号泣していると、棺を開け、中で法を授けたというエピソードも、残っており、”棺割の墨跡”とも言われている。
国宝 清拙正澄墨蹟 遺偈(ゆいげ)
もうひとつは、”馮子振墨蹟 易元吉画巻跋”というもの。馮子振は湖南省出身の元時代の文人で、海粟道人(かいぞくどうじん)と号した。俗人でありながらその書が古来”墨蹟”として扱われているのは、中峰明本や古林清茂ら禅僧との交友が深かったことや、その堂々たる書体によるものと考えられている。この墨蹟は北宋時代に活躍した画家易元吉が描いた”草虫図”に賦された跋文であるが、画の部分は失われてしまっている。
国宝 馮子振墨蹟 易元吉画巻跋
この墨跡にはこんなエピソードが残っている。並んで展示されている千利休の添状がそれである。馮子振墨蹟の持ち主の羽庵に宛てた手紙。茶掛けにしたいのだが、横に長すぎるので、文字の途中で切ってしまいたいがどうだろうかと相談を受けたが、切らないで、そのまま飾るがよかろう、という内容。こうして、横長の掛け軸の隣りに、添え状が飾られると、何ともいえず、微笑ましく、両者が響きあっているような雰囲気が好ましい。
千利休添状
エピソードがあると、とっつきにくい墨跡も何となく親しみが湧き、いつまでも覚えているものですね。人でもそうですね。
では、おやすみなさい。げろげろ
いい夢を!
(国宝館の庭園で咲き始めた山百合)