気ままに

大船での気ままな生活日誌

カルガモ日誌(24)妙本寺の凌霄花が咲き始めた日

2016-06-24 22:10:33 | Weblog

こんばんわ。

今日はカルガモ家族にとっては節目の日だったかもしれない。いつも家族に出会うのは、砂押川の桜並木が切れて、駅に近い橋の辺りだったのに、今日はなんと、まだ桜並木の上流で見かけたのだ。そして、そのすぐ先に、段差があり、鯉でさえ、なかなか越えられない壁になっているのだ。都はるみの夫婦坂に♪この坂を越えたなら幸せが待っている♪とあるが、まさに、そんな坂なのである。去年もそうだったし、一昨年も、この坂を越えたあと、数日で親離れをしたのだった。

おっ!めおと坂(黄色の矢印)に子鴨(緑色の矢印)が近づいているぞ!

どんどん近づく!三羽の子鴨。

がんばれ!六羽勢揃いで挑戦の態勢!

あと一息だ!がんばれ!

おっ!一羽が、めおと坂を乗り越えた!

すると、今日はここまでよ、と、お母さんの声。みな、すーーと戻ってきた。

よく、やった。明日は、六羽そろって、この坂を越えて!その先に、もうひとつ高い段差があるのだが、これは羽根を使わなければ無理。もうあと少し。ぼくの、今年のカルガモ日誌も終盤に近づいたようだ。

今日は、午後から建築学公開講座で法隆寺と東大寺の話を聞く。午前中は妙本寺の山門前の凌霄花の開花状況の観察に行った。もう咲き始めていましたよ。

石段を登ると、山門が現れる。

山門の向こうの凌霄花が咲き始めていた。

火のごとや 夏は木高く 咲きのぼる のうぜんかづら ありと思はむ (北原白秋)

今日は人間界も火のごとや、の日でしたね。七坂超えられるかな?

では、おやすみなさい。げろげろ。

いい夢を!


(本覚寺の蓮)

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和田英作展/日本近代洋画の巨匠

2016-06-24 10:49:03 | Weblog

こんにちわ。

最近、日本近代洋画の巨匠と呼ばれる画家の回顧展をたてつづけにみている。五姓田義松(1855-1915)、原田直次郎(1863-1899)、黒田清輝(1866-1924)、そして、今回の和田英作(1874-1959)である。

三島市の佐野美術館は、2012年の”小村雪岱/江戸の残り香”以来、久し振りの訪問だった。今回は三島梅花藻が主で、この展覧会は従であったが(笑)、なかなか面白い展覧会であった。回顧展であるから、和田英作という人物のバイオグラフィーも垣間見ることができたし。

和田は鹿児島(垂水市)の生まれだが、幼少期に家族が上京し、麻布に住んだ。明治学院に入り、上杉熊松に洋画の基礎を学ぶ。退学してからは原田直次郎の鍾美館に入る。1893年、黒田清輝がフランスから帰国し、彼がもちかえった”外光派”に衝撃を受け、病床の原田の許しを得て、1894年、黒田の天真道場へ移る。

1896年、白馬会創設に関わり、東京美校に洋画科が開設されると、黒田が教授、和田は、藤島武二、岡田三郎助らと共に助教授に就任。しかし、その後、辞職し、美校へ生徒として入学するのである。いきなり4年に編入(笑)、卒業制作として、”渡頭の夕暮”を描く。教科書にも出ている名作。

農作業を終え、多摩川の矢口の渡しで、帰りの船を待つ場面。川面が夕陽に染まっている。のちに、”夕暮れと朝焼けを極めた画家”とも称される。ついでながら、和田は、”富士薔薇太郎”と呼ばれるほど、富士山と薔薇をよく描いた。展覧会でも、薔薇コーナー、富士山コーナーも。

さて、話を戻そう。1879年にヨーロッパ留学の機会を与えられ、フランスへ3年、黒田の薦めでコランに師事。第1章(洋画家として歩み始める)では、前述の名作のほか、黒田風のマダム・シッテル像(知らないぞ(笑)。下宿先の夫人がモデルです)などが並ぶ。ミレーの落穂ひろいの摸写も。やっぱり、夕暮れが好きみたい。

第二章(白馬会、文展で活躍)では、1908年作”おうな”(東近美蔵)、くものおこない(衣通姫)、福沢諭吉先生の肖像(一万円札と同じ顔。同じ写真を元に描いたとのこと)。

おうな 千葉県稲毛に取材。干潮時の夕陽と老婆。一日のおわりと人生のたそがれ。

第3章(洋画界の指導者へ)。1921年には日仏交換展の代表使節としてパリに渡る。二度目の渡欧の経験から、帰国後、20,30年代は日本の古代にも目を向けるようになった。”野遊”や”近江石山寺紫式部”など。美校の校長(1936)、帝室技芸員など要職を務める。

野遊 奈良時代の貴婦人が、藤の花を愛でながら音楽を奏でようかという場面。うっとり。

第4章(東京を離れ、愛知・知立、そして静岡・清水へ) 戦争が激しくなり、愛知県知立に疎開。逢妻風景、小堤西池のかきつばた、夏雲、などの風景画を描く。1951年、清水に移り、富士山を描きつづけ、1959年に亡くなる。

夏雲

三保富士(1953)

ちらしの絵は赤い燐寸。真夏の日射しを受け、眩いばかりの青春の輝き。モデルは帝大生時代の澁澤秀雄。和田は美校の水泳部長で一緒に海水浴に行ったときの思い出。マッチの炎は一瞬だが、良い思い出は永久に残る、と書いている。

とても、楽しい展覧会でした。さて、次回はいつになるかな。

庭園散策も楽しい。



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塩辛トンボと麦わらトンボの仲良しさん

2016-06-24 08:33:40 | Weblog

おはようございます。

今朝は、三島の楽寿園でみた塩辛トンボと麦藁トンボの仲良しさんの写真をお届けします。

塩辛トンボ(雄)と麦藁トンボ(雌)のつがいは、はじめ空中飛行していましたが、突如、動物コーナーの柵に着陸。そこで、しばらく休憩(?)。ゆっくり、見物することができました。こんな写真を撮ったのははじめてかも。記念すべき一枚(笑)。

この様子を屋根の上からじっくり覗き見をしていたのがこの子。

ケープハイラックスという、イワタヌキの仲間。アフリカの草原の岩場に群れをつくり生活しているとのこと。

動物園には仲良しさんがいっぱい。

ミニブタ

マーラ

ポニー

アルパカ

のどかな楽寿園だった。

ここは、小松宮彰仁親王の別邸だったところ。小松宮親王銅像は上野公園にある。その前に”小松乙女”桜の原木が。ちょうど、昨日、ここを通りかかったので写真を撮っておきました。

では、みなさん、今日も一日、仲良く、お元気で!

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