気ままに

大船での気ままな生活日誌

カルガモ日誌(11)梅雨入り&梅雨の晴れ間

2016-06-05 22:35:37 | Weblog

こんばんわ。今日は、関東地方では午前中に梅雨入り宣言がありました。たしかに雨がしとしと日曜日だったのですが、午後3時半過ぎに、急に、晴れ間が現れ、一日で”梅雨入り&梅雨の晴れ間”があった、貴重な(?)日でした。

さて、昨日一日、ぼくの前に姿を見せなかったカルガモ家族でしたが、今日は梅雨入り宣言直後の午前中と梅雨の晴れ間の午後と、二度、出会えました。で、二日振りのカルガモ日誌です。

梅雨入り宣言があった直後。午前11時頃、小雨の中を出掛ける途中。砂押川でカルガモ家族を発見!

まず、お母さん!

だいぶ離れたところに子鴨四羽!

さらに離れたところに子鴨、二羽!

子鴨、六羽、確認!これでよし、と立ち去ろうとしたが、これだけでは、疑い深い人には、OKを出してもらえないのではと思った(笑)。なんとか、一画面にカルガモ家族をおさめた写真と撮らねばと、それから、10分ほどねばったのだった(汗)。そのとき歴史は動いた!子鴨は動いた!その、一瞬を逃さない。パチリ!いかがですか、母鴨と六羽の子鴨。

満足して、今日の目的地、衣笠の横須賀菖蒲園に向かう。花菖蒲と紫陽花が見事でした。詳細は明朝ということで、ここでは、ちょっとだけよ。

横須賀菖蒲園では雨も上がり、十分、楽しめることができたが、帰る頃には、また雨。途中、逗子図書館に寄り道をして、横尾忠則の”座禅は心の安楽死/ぼくの座禅修行記”を読んでいた。読み切れなかったので、借りて、外に出ると、なんと空は晴れてきている。梅雨入り宣言したその日に、梅雨の晴れ間。おかしくて、おかしくて、笑いがとまらなかった、というのはウソで、少しだけ笑っただけです。

そして、大船駅からの帰り道、また、カルガモ家族に遭遇。だいぶ上流にまできていて、子鴨が大きくなってきているので、いよいよ、明日は、あの段差(ぼくだけが分かる)を越えるのではと期待している。

川沿いの紫陽花がますますきれいになってきた。

では、おやすみなさい。よい夢を!

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志高き日本人の物語

2016-06-05 10:39:28 | Weblog

おはようございます。雨がしとしと、紫陽花見物には絶好の日和となりました(笑)。さて、今朝の話題は円覚寺夏期講座のこと。

”志高き日本人の物語”という演題名に惹かれて、三日目も参加した。演者は白駒妃登美さん。昭和39年生まれ、51歳、管長さんと同い年です、と第一声。大手航空会社の客室乗務員として7年間働いたが、大病をして挫折。命と向き合う中で、”今を受け入れ、最善をつくし、平然と生きる”、と覚悟を決める。そのとたん、病状が奇跡的に回復し、これからの人生は、子供頃から好きだった歴史本や伝記を土台にした仕事をしようと決心する。”出前歴史講座”を開講したが、大人気となり、中学校を中心に年間の講演回数は、何と150回を越えるという。今回の生徒はだいぶ老けていて、先生はやりにくかったと思いますが(笑)、とても感動的ないい講演でしたよ。

今回の講演の、”志高き日本人の物語”の主人公はいったい誰だろうと楽しみにしていたが、”破傷風菌の毒素を発見し・・・”と初めの言葉で、えっ!と、身を乗り出した。やっぱり北里柴三郎だった。北里については、ぼくも少年時代から関心をもち、伝記も読んでいる。数年前のドイツ旅行記に関連して、ブログ記事にもしている。

北里は明治政府の要請で、ドイツのコッホ博士の元に留学し、前述の破傷風の毒素を発見、さらに毒素をうすめて注射すると免疫現象が起こることも見付けた。この実験結果をもとに、同僚のベーリングと共同研究し、連名で”動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について”の論文発表した。この研究が、第一回ノーベル生理医学賞になったのだが、本来ならば、共同受賞か北里単独受賞のはずだが、ベーリングの単独受賞となった。

しかし、”志高き日本人”としての北里は、その後の行動に面目躍如たるものがある。いよいよ帰国となるのだが、これだけの業績をあげた学者だから、ドイツのみならず欧州の大学、研究所が放っておくはずがない。何とケンブリッジ大学が研究所長のポストと多額な研究費を用意して招いたという。しかし、北里は見向きもしなかった。自分が多額な国費を使って海外留学したのは、帰国してから、黎明期の日本の医学に役に立つためだ、食い逃げするわけにはいかない。そして、帰国するのだが、日本で研究を進めるのには困難を極めた。母校の東大医学部と対立し、途方にくれていたとき、手を差し伸べてくれたのが福沢諭吉だった。多額の費用を援助し、私立伝染病研究所をつくってくれた。その後、国立に移管され、志賀潔ら優秀な研究者が育った。さらに、これが東大付設にされるとき、ここを飛び出し北里研究所を創設した。その後、福沢諭吉の恩義を一生忘れず、彼が創設した慶応大学に医学部ができたときに、無給で医学部長を務めたという。

もうひとつは、”志高き庶民たちの物語”。1890年のエルトゥールル号遭難事件最近、映画にもなったので知名度は高くなったかもしれない。紀伊大島・樫野の村民たちが、台風の中を総出で救助に当たり、自分たちの乏しい食料さえ差し出す。医師の田村元貞らは負傷者の手当てに奔走する。これで、69名のトルコ人の命が助かった。このことはトルコの教科書にも載っていて、トルコでは知らぬ人はいない。そのことが、時を隔てて、トルコ航空による、テヘラン邦人救出劇につながった。危険なフライトだったが、パイロット全員が自分にやらせてくれと、手を上げたという。

最近は”志”なぞ関係ないという人をよく見かけるが、多くの日本人には、この精神は脈々と受け継がれていると思う。


(円覚寺↑)


(東慶寺↑)

では、みなさん、今日も一日お元気で!

コメント (2)
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