気ままに

大船での気ままな生活日誌

円覚寺夏期講座三日目はムシの日

2016-06-04 22:50:56 | Weblog

こんばんわ。

いつも、カルガモ日誌を兼ねて、その日の出来事を綴るのだが、今日は朝夕ともカルガモ家族に出逢うことができなかった。しかたなく、今晩のおやすみなさい記事はカルガモ抜きの味気ないものになってしまう。とは言っても、円覚寺夏期講座三日目では味わい深い講義を三つも聞いたし、そのあと、今日は家内も一緒だったので、最高の見頃となった東慶寺のイワタバコと花菖蒲を見に連れて行った。さらに、そのあと、数字のごろ合わせが好きなぼくが、6月4日がムシの日であることに気付き、そうだ、たしか、養老孟司さんが昨年、建長寺境内に建てた虫塚の前でムシの日に虫供養をするはずだということをハタと思い出した。

そこで、東慶寺のあとは一人で建長寺に向かった。境内の虫塚のほかに、実は、そこへ行く途中の石垣のイワタバコも見たかったこともある。東慶寺には及ばないものの、なかなかの群生なのだ。

建長寺に入って、山門、法堂を過ぎて、芝増上寺のお江さんの霊廟の門を移したというきらびやかな唐門のある仏殿で、いきなり、”虫供養会”の看板を目にした。おおっ!これで、間違いないと喜び勇んだ。でも、仏殿内を見物したが、大広間では座禅会が開催されているのみで、虫供養らしいものはみつからなかった。

庭園をみてから外に出た。そこからイワタバコが群生する石垣はすぐ近くである。ちょうど東慶寺のと同じくらいの見頃となっていて、大満足した。

ちょうど、そのときである。養老孟司さんを囲んだ一団が通りかかったのである。おおっ!どうも、虫塚から帰ってきたようなのだ。正面から写真を撮るのは失礼になるので、後姿だけを撮った。それにしても、なんというめぐり合わせ。あそびの神様ありがとう。奇跡をまた起こしていただいた!

白髪の方が養老孟司さん。

ただ石垣のイワタバコには一瞥もしないで通り過ぎて行った。どうも植物には関心がないらしい(笑)。

そして、ぼくは虫塚に向かった。もう、誰もいないと思ったが、関係者らしい人が一人だけいた。

虫塚については、一年前に記事にしているので、関心のある方はお読みください。あの、新国立の、隅研吾さんの設計なんですよ!

ここまで、書いて、急に眠くなってしまったので、これで終わりといたしまする。夏期講座については明朝、紹介します。では、おやすみなさい。



(これらは東慶寺のイワタバコです)

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古きよき抒情を求めて 鏑木清方

2016-06-04 21:36:56 | Weblog

東慶寺から亀が谷切通しを抜けて海蔵寺へと廻って、鎌倉駅方面へ向かう。寿福寺辺りで左に折れ、踏切りを渡り、小町通り方面へ。そして、鏑木清方記念美術館に入る。この散歩コースが好き。清方の旧宅がそのまま美術館になっているので、散歩のついでに、親戚の叔父さんを訪ねるみたいな感じといったらよいだろうか。つい、入ってしまうノダ。

初夏の展覧会は、珊々会(さんさんかい)出品作品を中心にした”古きよき抒情を求めて”というテーマ。珊々会というのは、島屋美術部が主催した展覧会で、昭和9年から昭和22年にかけて11回開かれた。

おじゃまします。門から玄関までは紫陽花が咲く小道。

まず、出迎えてくれたのが、お嬢さん二人。というか、右側の方は、もうすこし大人の雰囲気でしょうか。”明治時世粧”(川村美術館所蔵)。

美人図(足利本銘仙ポスター原画) 足利市立美術館蔵

澗水有声 佐野市立吉澤記念美術館寄託

清方美人4人の出迎えを受けて感激していると、さらに、近松門左衛門さんまで国姓爺合戦の原稿を携えて、奥から出迎えて下さる。巣林子 東京国立近代美術館蔵

そして当館所蔵のお馴染みの作品も。朝夕安居 夏の昼

そして、築地川(折帖)、道成寺、ゆかた、夏の柳井戸、清流、あじさい等。

ゆったりとした、ひとときを過ごさせていただきました。

次回は、久し振りに”朝涼”が登場。楽しみ。

そうそう、この散歩コースは、このあと、鎌倉駅前の花の寺、おんめさま(大巧寺)に寄るのも定番。

八重ドクダミが真っ盛り!


ちしまひょうたんぼくも瓢箪の実に!

なかなか、いい散歩道でしょ。

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光明寺あたり

2016-06-04 05:31:11 | Weblog

おはようございます。

昨日の円覚寺の夏期講座の講演者の、お一人が材木座の光明寺の柴田法主だった。講義のはじめに、明日(6月4日)、光明寺で鎌倉アカデミアの70周年記念祭があるという話をされていた。で、講座の終わったあと、光明寺を訪ねてみた。

鎌倉アカデミアについては、本ブログでも何度か紹介しているが、戦後間もない、1946年5月、産業、演劇、文学、映画の四学科で開校された”大学”である。その校舎が光明寺だった。講師陣は当時鎌倉周辺に住んでいた哲学者の三枝博音(学長)、作家の高見順、詩人の吉野秀雄、考古学者の三上次男ら錚々たるメンバーが務めた。しかし、開校当初から資金不足が続き、50年9月に廃校となった。”自由大学”とか”寺子屋大学”とも称され、既成概念にとらわれない教育方針は多くの人材を輩出した。いずみたく、前田武彦、山口瞳らが巣立った。今回、第一期生だった俳優の加藤茂雄さん(90)が中心に記念祭を開くということだ。

光明寺には”お十夜”で何度か訪ねている。大きなお寺で、浄土宗の大本山の一つである。総本山は京都の知恩院。

大殿 現存する木造の古建築では鎌倉一の大堂で、本尊阿弥陀三尊ほか諸仏を祀っている。かつては開山上人像を安置して祖師堂と称していた。仏堂でなく祖師堂を本堂とする伽藍形式は、知恩院をはじめとする京都の浄土宗本山の通例とのこと。百本柱のお堂としても有名で国指定の重要文化財である。(ホームページより)

大殿(本堂)には一般参拝者も上がれ、廊下を巡り、二つの庭園も鑑賞できる。

三尊五祖の石庭 三尊とは、極楽浄土の阿弥陀仏とその脇士たる観音・勢至の二大菩薩を表す。五祖は浄土教を説法流布された釈尊(印度)善導(中国)法然・鎮西・記主(日本)の浄土宗五大祖師を示す。この三尊五祖が、庭園の中に石で表現されている。皐月はもう終わっていた。

記主庭園 蓮池が有名で、七月には観蓮会が開かれる。渡り廊下の向こうが開山堂。

開山堂

鎌倉アカデミアの碑はこの前にある。「ここに鎌倉アカデミアありき」の碑文。

記念祭では、当時の写真などの展示のほか、講演、トーク、座談会や、卒業生が設立した「人形劇団ひとみ座」の公演もあるとのこと。準備が進められていた。

山門を出ると、すぐそこが材木座の海岸。

材木座海岸につづいて、由比ヶ浜。

由比ヶ浜の先が稲村が崎。V字型の切通しがよく分かる。

左を向けば逗子マリーナのマンション群。川端康成を思い出す。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!たまにはウインドサーフィンなんかいかがですか(笑)。

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