こんばんわ。
今朝も円覚寺夏期講座に出掛けた。席がとれないほどには混んでいないことが分かったので、二日目は昨日より30分遅く出た。そのせいか、午前8時頃なのに、カルガモ一家に出会うことができなかった。さらに、帰宅時、午後3時半頃、注意深く、川面を見ながら歩いたつもりなのだが、みつからない。家に着いて、家内に話したら、さっき、ジム帰りに見たわよ、という。そんなに時間はたっていないし、おかしいと、一息入れてから、また捜しに行ってみた。今度は、歩道からは、なかなか気づかない手前の岸壁側に目を注ぎながら歩いた。すると、橋の向こうの岸壁側にいるではないか!子鴨が一、二、三、・・・六羽!これで、今夜もカルガモ日誌を書けるゾ、と喜び勇んで、カメラのシャッターを押したのだった。
日増しに成長する子鴨を見守る母鴨。
さて、今日の夏期講座は、横田管長の”無門関”の解説につづいて、千村晃先生の”薬に頼らないうつの直し方と人の心”と光明寺の柴田哲彦法主の”生死一大事”。一日目とはちょっと肌合いの違うテーマだったが、なかなか面白かった。うつ病の治療に当たっては、ただ投薬するというのではなく、本人の生活環境や社会、他者(家族、職場など)との関連をみるようにするという。そして、患者さんには主体的に治療に取り組んでもらい、治療を成長のための手段と考えてもらう、ということだった。
柴田法主は、噺家のような口調で、話も面白かった。生と死ということについて、さまざまな古典からの言葉を紹介する。論語の孔子さまも問われて、未だ生を知らず、まして死を知るわけがない、と。凡人も、いつまでも生きている気の顔ばかり(古川柳)。いつも三月花の頃 お前十八私は二十 使って減らない金百両 死んでも命のあるように(元禄時代の俗謡から)。生はいつまでもあるものはない、突然、死はやってくる。生を大切に、と後段につづく。
会場の円覚寺方丈
休憩時間 この池にカワセミが来ていた。
では、おやすみなさい。