気ままに

大船での気ままな生活日誌

カルガモ日誌(11)夏期講座二日目

2016-06-03 22:14:28 | Weblog

こんばんわ。

今朝も円覚寺夏期講座に出掛けた。席がとれないほどには混んでいないことが分かったので、二日目は昨日より30分遅く出た。そのせいか、午前8時頃なのに、カルガモ一家に出会うことができなかった。さらに、帰宅時、午後3時半頃、注意深く、川面を見ながら歩いたつもりなのだが、みつからない。家に着いて、家内に話したら、さっき、ジム帰りに見たわよ、という。そんなに時間はたっていないし、おかしいと、一息入れてから、また捜しに行ってみた。今度は、歩道からは、なかなか気づかない手前の岸壁側に目を注ぎながら歩いた。すると、橋の向こうの岸壁側にいるではないか!子鴨が一、二、三、・・・六羽!これで、今夜もカルガモ日誌を書けるゾ、と喜び勇んで、カメラのシャッターを押したのだった。

日増しに成長する子鴨を見守る母鴨。

さて、今日の夏期講座は、横田管長の”無門関”の解説につづいて、千村晃先生の”薬に頼らないうつの直し方と人の心”と光明寺の柴田哲彦法主の”生死一大事”。一日目とはちょっと肌合いの違うテーマだったが、なかなか面白かった。うつ病の治療に当たっては、ただ投薬するというのではなく、本人の生活環境や社会、他者(家族、職場など)との関連をみるようにするという。そして、患者さんには主体的に治療に取り組んでもらい、治療を成長のための手段と考えてもらう、ということだった。

柴田法主は、噺家のような口調で、話も面白かった。生と死ということについて、さまざまな古典からの言葉を紹介する。論語の孔子さまも問われて、未だ生を知らず、まして死を知るわけがない、と。凡人も、いつまでも生きている気の顔ばかり(古川柳)。いつも三月花の頃 お前十八私は二十 使って減らない金百両 死んでも命のあるように(元禄時代の俗謡から)。生はいつまでもあるものはない、突然、死はやってくる。生を大切に、と後段につづく。

会場の円覚寺方丈

休憩時間 この池にカワセミが来ていた。

では、おやすみなさい。


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海蔵寺 白花菖蒲と松葉菊

2016-06-03 17:32:26 | Weblog

東慶寺のあと、亀が谷切通しを経て海蔵寺へ向かった。お目当ては、本堂横に並ぶ、白花菖蒲とピンクの松葉菊。何年か前、サライの表紙を飾った。さて、どうだったか。OKです、どちらもちょうど見頃になりました!

本堂側から。

いつもなら、この列の手前に、京鹿子が咲いているのだが、今年は、ない!いくつもの小さな苗が一生懸命、育っているところ。嵐にでもやられたかな。

苔岩のイワタバコは、いつものように、花を咲かせてくれた。

白の松葉菊も、皐月も、鐘楼の下で、いつものように咲いてくれていた。

くれない もゆる、見事な紅!

海蔵寺、花めぐりのトリは、やっぱりこの方。再登場していただきましょう。

。。。。。
ここは、道端の石までしゃれている。
 

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東慶寺 イワタバコとイワガラミ 見頃

2016-06-03 07:16:22 | Weblog

おはようございます。今日もおでかけ日和ですね。

円覚寺の夏期講座のあと、東慶寺へ向かった。もちろん、お目当ては6月1日からはじまった本堂裏の岩壁のイワガラミ。午後は1時から2時までしか公開していない。そして、数日前も観察しているがイワタバコ。もう、見頃になっているはず。前日に訪れた長谷寺のイワタバコはもう見頃過ぎになっていたので、早いとこ見ておかねばと思っていた。

2016年6月2日

イワガラミ 

入口です。

一本の主幹(矢印)から岩を這い上がるように枝が縦横に伸び、からみ、岩壁一面に花を咲かせる。




隣りの家屋まで伸びる。

このほかに、いつでもみられるイワガラミをみつけた。宝蔵横のヤマボウシの奥の岩壁。ちょっとみづらいけどね。

イワタバコ

いつもの岩壁

すっかり見頃になっていた。

 

覚山尼の墓付近

花菖蒲も見頃になりました。

イワタバコ、イワガラミ、花菖蒲、いずれも最高の見頃を迎えた東慶寺です。

では、みなさん、今日も一日イワタバコのように(?)お元気で!ぼくは、今日も講座へ。

 

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