模型で『だいせん』の話をしたので、今度は実物写真を。題して『懐かしの列車シリーズ』… ♪ドンドンドン パフパフパフ…
時は西暦1992年4月4日、『TAP山陰路観光キャンペーン』が展開され、出雲市まで“夢空間”がやって来るとの事だったので、有給休暇をとり実家に帰省し2日間ほど始発列車で出雲市まで通いました。当然、親は呆れていましたが…(笑)
さて始発列車で、出雲市に到着するとすぐに『だいせん』が到着し、留置線に引上げたばかりの『だいせん』号をゆっくり撮影する事が出来ました。しか~し、絶好のポジションに停車しているにも拘らず、形式写真を撮影していない私…おバカですねぇ(息)
この日の『だいせん』は、その筋の方々が多く乗っており一目見ただけで『夢空間』狙いだと判ったものでした。
実際この日は、臨時列車や臨時増結が多く見られました。

『だいせん』到着。この時、12系は3000番台に変更済み

引上げ後。この後本務機は『出雲』の附属編成を引き上げて、その日の上り『出雲』の牽引機となった。

急行用14系は3段寝台。後に特急に復活するとは思いも寄らなかった。
いつか撮ろうと思いつつ、結局時間だけが過ぎてゆき、次に『だいせん』を撮影したのは最末期の気動車の時代… 本当に不真面目な客車マニアやなぁ…(涙)
時は西暦1992年4月4日、『TAP山陰路観光キャンペーン』が展開され、出雲市まで“夢空間”がやって来るとの事だったので、有給休暇をとり実家に帰省し2日間ほど始発列車で出雲市まで通いました。当然、親は呆れていましたが…(笑)
さて始発列車で、出雲市に到着するとすぐに『だいせん』が到着し、留置線に引上げたばかりの『だいせん』号をゆっくり撮影する事が出来ました。しか~し、絶好のポジションに停車しているにも拘らず、形式写真を撮影していない私…おバカですねぇ(息)
この日の『だいせん』は、その筋の方々が多く乗っており一目見ただけで『夢空間』狙いだと判ったものでした。
実際この日は、臨時列車や臨時増結が多く見られました。

『だいせん』到着。この時、12系は3000番台に変更済み

引上げ後。この後本務機は『出雲』の附属編成を引き上げて、その日の上り『出雲』の牽引機となった。

急行用14系は3段寝台。後に特急に復活するとは思いも寄らなかった。
いつか撮ろうと思いつつ、結局時間だけが過ぎてゆき、次に『だいせん』を撮影したのは最末期の気動車の時代… 本当に不真面目な客車マニアやなぁ…(涙)