ふと思い出したように、島原鉄道の気動車が懐かしい…
数年前に島原外港~加津佐間が廃線となり、国鉄型気動車キハ20も一緒に消え去って行きましたが、アタシにとってはキハ20よりも、キハ26やキハ55が消えたときの方が寂しかったですね。そして今でも、彼女たちと初めて出会った時の感動は忘れられません…
キハ26やキハ55に会いたくて、島鉄へ3度訪れましたが、特に印象に残っているのが平成8年5月11日の、この編成でした。
キハ5505+キハ5506 南島原
高宮今日子さまと共に、前日から島原入りしており、翌朝の通勤列車(確か3連運用だったような…)を狙ったのですが、この日は日曜日とあって2連での運行でした…が、やって来たのは、北目線で予備車的存在だったこの2両でした!
上り諫早行をビデヲカメラで撮影し、折返しの下り列車とその後の入庫を南島原駅で待ち構えておりました。
整備中のキハ5505
同じくキハ5506
車庫事務所で撮影の許可を頂き、到着後の検査風景を眺めておりましたが、2両編成で4台のエンジンの点検は時間が多くかかっていたようです。
製造銘板 キハ5505
台車 同上
キハ5505は、三原生れでエアサス台車を履いていた車両でした。一方のキハ5506はコイルバネ台車で、ヘッドライトが2灯式で印象が異なる車両でした。
切離し作業中…
こうして、並んだ姿を改めて見ると、この頃の島鉄は『面白かったなぁ…』と思ってしまいます。
これを書き終わった後、久々に島鉄のキットを眺めてみようかな…
数年前に島原外港~加津佐間が廃線となり、国鉄型気動車キハ20も一緒に消え去って行きましたが、アタシにとってはキハ20よりも、キハ26やキハ55が消えたときの方が寂しかったですね。そして今でも、彼女たちと初めて出会った時の感動は忘れられません…
キハ26やキハ55に会いたくて、島鉄へ3度訪れましたが、特に印象に残っているのが平成8年5月11日の、この編成でした。
キハ5505+キハ5506 南島原
高宮今日子さまと共に、前日から島原入りしており、翌朝の通勤列車(確か3連運用だったような…)を狙ったのですが、この日は日曜日とあって2連での運行でした…が、やって来たのは、北目線で予備車的存在だったこの2両でした!
上り諫早行をビデヲカメラで撮影し、折返しの下り列車とその後の入庫を南島原駅で待ち構えておりました。
整備中のキハ5505
同じくキハ5506
車庫事務所で撮影の許可を頂き、到着後の検査風景を眺めておりましたが、2両編成で4台のエンジンの点検は時間が多くかかっていたようです。
製造銘板 キハ5505
台車 同上
キハ5505は、三原生れでエアサス台車を履いていた車両でした。一方のキハ5506はコイルバネ台車で、ヘッドライトが2灯式で印象が異なる車両でした。
切離し作業中…
こうして、並んだ姿を改めて見ると、この頃の島鉄は『面白かったなぁ…』と思ってしまいます。
これを書き終わった後、久々に島鉄のキットを眺めてみようかな…
写真では塗装変更された後のようですが見たときはほぼ国鉄のキハ55と同等(ヒゲが付いているのが違っているくらい)だったのにクーラーの乗っていない屋根で簡単に違いがわかりました。(キハ26にはクーラーが載っていてそれはそれでまた違和感が・・・)
ただ、残念なことに国鉄主体で追っかけていたので「島原鉄道」自体に本腰入れていなかったためほとんど写真がないということ。よく思い返せば急行以外にも長崎へも普通列車で乗り入れていたんで遭遇のチャンスはそこそこあったんですけどねぇ、若い頃は思慮が浅かったということですか・・・
お礼をいただき恐縮しております(汗)
島原鉄道といえば、やはり国鉄乗り入れ用のキハ20、26、55が有名ですよね。特に26は冷房化され、急行列車の先頭を切って走る姿が印象的ですね。
昭和50年前後のジャーナル誌で、島鉄の乗入れ気動車は国鉄ATSを、加津佐方か諫早方のどちらか片方だけ設置してあると読んだ記憶があり、唯一両側に設置していたのが5506と記憶します。
その向きで、長崎行、佐世保行、博多行と運用を分けていたのでしょうね。
『いなげな』キハ26の画像もありますが、アップしましょうか?
今から25年ほど前に訪れた南島原の庫が懐かしいです。ちょうどキハ55は検査中で、エンジンも下ろされていて、ぐるぐるに巻かれたおニューのガスケットを整備士さんが鉛筆を使って冶具を頼りに罫書いて、ハサミ(笑)で切り抜いていました。(結構適当!)こんな手作りガスケットでDMH17が動いていたんですね!凄い。
油っぽい地面も、木造の建物も良い雰囲気な庫でした。懐かしい。
普賢岳の影響で寸断された北線・南線がようやく繋がった時でしたね
キハ2600の発乗車の時、トイレ入って
「…何だ?この雑居ビルの居酒屋にあるトイレ?」
面食らったのを覚えていますw
島原の55系は最後に5502が最後で動態保存的意味合いで残ってると聞いていましたが
結構あっさりと廃車されちゃいましたね
最近のハイテク車両と違って、昔の車両は結構アバウトなパーツで動く物なんですよね(笑)
今日、久しぶりにこの時撮影した動画を見ましたが、余りの懐かしさに涙が出そうになりました…
>ツカちゃん
私が初めて訪れたのは、普賢岳噴火直後で大土石流災害の前でした。この時は新車も入ってなくて国鉄型天国でした。
キハ26の便所は異様なまでの狭さでしたが、思えばキハ11の便所と同じ作りだったですね。で、私もココで用を足しましたよ(笑)
キハ5502は動態保存というより、工事や救援用だったD3703の代わりと聞いた事があります。結局、動車と入れ替わって廃車になったようです。
そういえば、便所画像はこのブログの最初の方にありますのでご覧になってください!
非電化私鉄は大好きですが、戦前型が好きな私としてはここは車両が新しすぎました・・・(爆)
島鉄といえば、元中国鉄道のバケット付き気動車ですね。
アレは好ましいスタイルでしたが、アタシ的にはその成れの果てが…(謎)
そうですね。南海のキハを忘れてはいけませんでしたね。
で、キハ5551(両運でしたっけ?)にトイレがあったのは初めて知りました!
そういえば、南海のキハを作ろうとした方が…(以下黙)
鉄道ピクトリアル第429号(1984-3・<特集>キハ55系気動車)P.53に、「両運転台のキハ5551形は,片運転台のキハ5501形と座席定員を同一にするため(中略)トイレは設置されず」という記述がありますよ。形式図も載っていて、トイレは見当たりません。
南海のキハ55、片運+両運の2両セットで鉄コレで出ないかなあ。