まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

ワフ29500

2008年04月09日 | 廊下から
先日のツーリングで出会ったワフ29500の廃車体、その筋の方には結構有名なシロモノのようです。しかし、私にとっては初対面なので、公道上からしっかりと観察してきました。


まずはお尻から…

第一印象は『ド派手に塗ってあるなぁ』でしたが、近付いて見ると錆止めを塗ってあるだけでした。ただ表記類は塗り潰さず残されています。何か意図があったのでしょうか…?


デッキ側

デッキ側に回ると、扉が開いており車内がチラリと見えます。ここから見る限り原型を留めているようですが…


旧様式の常備駅表記

緩急車としては旧様式になる、常備駅表記が残っています。これから『札鉄局 岩見沢駅常備』と読み取れます。因みにこの車両番号は…

ワフ29677 仙コタ(小牛田常備)
全検…56年5月 盛岡工
交検…60年3月 篠ノ井区

何か妙だな~?


銘板も…

床下を覗き込むと、床下機器が全て残っていました。配管までもが手に取るように判り、拘りモデラーにとっては貴重な資料ですね。ただ、床板は朽ちて殆ど無くなっていました…

私は久しぶりに緩急車の完品(?)を見て、ちょっと興奮してしまいました。

9 コメント

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Unknown (長カル)
2008-04-13 09:18:03
 貨車を倉庫に用いている例は、群馬周辺でもよく見かけます。ただ、メンテナンスをしっかりしないと使い物にならない例も多いように思われます。過日、高崎市内で京王井の頭線電車の中間車両を置いている自動車工場を見つけました。きれいに使っておられるようでした。小生も土地と輸送資金があれば、余剰になっている24系寝台を一両欲しいですね。今年は夏か秋に、SLホテルの生き残りである岩手県の小岩井牧場の20系に泊まりたいと願望しているところです。
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Unknown (かっぱ)
2008-04-13 20:59:19
まろねふさま、こんがんは。
本日、SLやまぐち号を撮影にいったところ、沿線で廃バス発見。同行していた知人が早速、バスと言えば?某氏!!にメールしたところ、この方もご存知無かったようです。(驚)
このバスも倉庫に使われていましたが、バスの上にトタン屋根が作ってあり、古さの割には窓も割れていなくて状態は良かったと思います。
>長カル様
貨車同様、バスもあちこちで余生を送っていますね・・・ちなみに本日の撮影への道中、20系の車体・・・がありました。知人の話では食堂として利用されていたとのことですが、今日見たところ、半分に切断されており、本当に廃車体状態でした・・・。(寂)
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Unknown (まろねふ)
2008-04-13 21:20:58
>長カルさま
倉庫に転用した鉄道車両は、本当にメンテナンスをきちんとしないと、使い物にならなくなるようです。
このワフも、床は抜け落ちていますが、車体の状態は悪くないと思います。59-2大合理化で失職した緩急車でしょうから、それから数えると四半世紀…よくぞ、残ってました。

>かっぱさま
貨車と並び、バスの再利用もよく見かけますね。バスと言えば…の某氏も、初耳の情報には平静を保ちつつも『焼いといて…』と言われたでしょうね(笑) ねっ、シンコーさま? …あっ、言っちゃった(爆)
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Unknown (セノハチ)
2008-04-14 14:57:02
>まろねふさま
その筋の方には有名・・・そうなんですか、初めて知りました。まあ私はその筋ではないので。
ちなみに東福山駅南側の駐車場にあるヨ29500のだるまさんはまだ健在ですよ。
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Unknown (まろねふ)
2008-04-14 23:03:26
>セノハチさま
東福山駅の廃車体は、新幹線から見えるやつですよね? 
緩急車…今の若い人には判らない車両でしょうね…
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Unknown (セノハチ)
2008-04-15 19:12:57
>まろねふさま
>>東福山の廃車体は・・・
はい、そうです。足回りはありませんが、表記は残ってますよ。

そういえばこのあいだ、うちの職場の若い衆が『ヨ8000が走っているの初めて見ましたよ!!』と言って興奮してました、ワムフ100やコンテナ色のヨ5000をリアルタイムで見た私は化石扱いでした。
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Unknown (まろねふ)
2008-04-15 20:59:28
>セノハチさま
はぁ~ もうそんな時代なんですね…緩急車は当たり前だったのにね(遠い目)
ワムフ100も緑色ヨ5000も見た覚えがありますが、小学校に上がる前のお話です。私も化石でしょうか?
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Unknown (呉生まれ)
2008-04-16 19:15:09
まろねふ様

呉生まれです。
緩急車といえば、今は亡き、周防大島・東和町の車群を思い出します。
嫁さんの実家に行く道沿いにありましたので、簡単に調べたことがあります。ワフ29500×14両、ヨ3500×1両、ヨ5000×4両、ヨ5800×1両、ヨ6000×2両、ヨ8000×3両、の合計25両が、車輪・ブレーキ配管完備の状態で道端の草むらに「放置プレイ」されておりました。
内部も現役時代の装備・塗装がほぼ残っており、ほとんど荒らされていませんでした。

所属表記を確認できたものでは、「門」が多かったと記憶しております。話によるとバンガローに改造してキャンプ村のようなものを作る予定だったとのことですが、途中で辞めになってしまったようです。車から降りて見ていると「欲しいのならいつでもあげるよ」といわれたこともありましたが、ある日のこと、鉄バサミで裁断されているの見かけました。

草ぼうぼうの廃車体でもいざ壊されるのを見るのは、悲しいものでした。

長々とすみません。
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Unknown (まろねふ)
2008-04-16 20:08:49
>呉生まれさま
大島の緩急車、私も“ごっぱぁさま”に連れられて見に行った記憶があります。懐かしいですね…

草むらに放置状態で、一部の車両には改装された車両もいました。誰か住んでいたのか布団がひいてあった車両もいました。希少車もあったようで、解体されたのは残念ですが朽ち果てるのも忍びなかったので、解体された方が良かったと今更ながら思っております。

そういえば、どこかに写真があった筈…
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