まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

思い出の西鉄

2006年02月15日 | 廊下から
職場に復帰する準備のために、一回の乗務分が座ることが出来るか試す為に、久々に1・3号線を1往復づつ廻ってきました。運転士になってもう15年、久しぶりに運転士なりたての頃を思い出しました。

運転士になりたての頃、他社の路面電車も見てみたくなり、職場の先輩に誘われて、初めて西鉄北九州市内線を訪れました。併用軌道と専用軌道の運転速度のギャップに驚き、丁寧なノッチの進め方にはただ感心するばかりで、見て感じてよかった部分を、自分の運転にも取り入れてみようと思ったものでした。



上の写真は、91年10月に砂津で撮影した574号です。この当時は500型はこの車両だけが稼動していたと記憶します。伝家の宝刀を持って砂津車庫の見学を申し出たところ、北九州線の教習所の所長さんが直々に案内していただき、貴重な資料も拝見する事が出来たのも、良い思いでです。
何故か、つぶれたような印象の500型がお気に入りでした。



上の写真は小倉駅前、下は到津遊園前での撮影で、92年8月の撮影です。
小倉駅前電停の写真は、モノレールの駅へ向かう歩道橋(通路?)からの撮影です。昨年同じ電車道を通ると、この歩道橋も無く街の雰囲気も変りました。
北九州線では、案内放送が運転士の肉声で、運賃表示器や整理券器の切替操作も全て運転士の手動でした。電停を発車する時、「ドアが閉まります。ゲージ4.5 左安全…」の発声も、広電に慣れた当時の私には、とても新鮮に見えました。


この写真は、92年8月に九州一周路面電車の旅を行った時に、黒崎駅前で撮影したものです。昨年夏に門タケさまとお会いした時に、13年ぶりに黒崎駅前に行きましたが、大きく変貌した姿にはただ驚きました。現在はバスーミナルの入口辺りでしょうか? 駅前歩道橋の下面に、電車架線のブラケットと保護板の跡を見つけ、嬉しさと寂しさがこみ上げてきました。
実は、この直後に筑豊2000型が砂津工場入場の為に市内線を走行しました。この様子はビデオで撮影しています。

あまり縁が無かった西鉄北九州市内線ですが、一番心に残る路面電車です

駄作シリーズ 1

2006年02月13日 | 工作室から
過去の作品から、数少ない機関車モノを…
私は、客車と気動車専門と思われがちですが、実は機関車も作ったことがあります。今回はアマミヤEF60一次車キットから改造した、EF61-200番台を紹介します。これ以前にEF67-100番台を3両作ったので、その経験を参考にして、本物よろしく正面の改造を行い、デッキ部分は真鍮板や真鍮線から完全自作した作品です。動力装置にはMPギアーを用いて自走も可能です。

実物も、EF59とEF67の陰に隠れた地味な機関車ですが、ウチの車両区でも、とっても地味な存在です。




KATO 24系

2006年02月11日 | 工作室から
思い出の出雲号を模型で再現しようと、先頃発売されたKATO製24系25型寝台車を購入しました。相変わらずのきれいな仕上がりで、外観は特に加工する場所はありませんでしたが、室内のシートが別パーツとなっているのに仕切りまでもが青色成形色だったので、少し頑張って塗り分けをしてみました。



まずは、車体を分解します。車内は3個の部品で構成されています。今回は青色のシート部分の仕切り板を手持ちのクリーム色を筆塗りで塗装してみました。塗装箇所は仕切板部分のシートより上、上段寝台下面と縁の部分です。縁の部分は最初は銀色に塗装しましたが、車体を被せてみると全く目立たなくなったので、クリーム1色に統一しました。



上の写真はオハネフ25で、上が塗装前で下が塗装後です。この写真では判りませんが、昇降ハシゴはたたんだ状態の設定にしたので、中心を残しカットしました。せっかくの表現だったのですが、いつも見ていたのが終点間近だったので、あえてその姿にしました。当然、全て出したままの状態や、片方だけの状態を一部で表現し、メリハリをつけています。




判りにくいのですが、上が塗装前で下が塗装後です。このチラリズムが美しいですね(笑) 本当はシートカバーも白色デカールで表現をしようと思ったのですが、今後の宿題としました… 多分やらんな…(by 天の声)

他の車両では、オロネ25の乗務員室の寝台側の仕切りが、赤色成形色なんでクリーム色に塗装しました。また、オシの車内の写真を見ると室内の仕切り板が木目調になっています、100番台も同様だったのでしょうか? そうだとすると、仕切りを薄茶色にしたら美しいでしょうね。
その他の加工は、全ての車番インレタをTomix14系用のインレタに交換しました。これはKATOのインレタの表現力がいまいちなので、24系の発売予告と同時に購入しておいたものです。このインレタは表現が美しいのですが所詮は14系用、数字は全て1字づつの拾い出しです。毎晩、口から点滴をしながら少しづつ進めています(笑)

さて、いつになったらクラブの例会で走らせられるのでしょうか…?

昔の写真から…

2006年02月09日 | 廊下から


あれは忘れもしない、10数年前のいつだったか…(忘れとるやんかっ!)

佐久間レールパークがオープンするとのことで、オープン初日に行った時の写真です。この時の目的は、流電クモハ52と輸入電機と客車の見学でした。
マロネ40を始めとした多くの客車は車内の立ち入りが可能で、マロネ40の車内では昔の面影が残っており、ブルジョアな旅を想像し一人でニヤニヤしておりました。



上側が元解放寝台、下側が個室寝台側で、いずれも上段寝台は撤去してあり下段部分が畳敷きになっております。改造されているとはいえ、内装の仕上げ方に美しさが残っていると思うのは私だけでしょうか。マロネに関しては、たったこれだけの撮影で隣のオヤ10に関しては車内の写真すら撮っておりません。今思えば勿体無い事をしてしまったと後悔しております。

最近は旬な鉄ネタが無いので、地震が起きたら真っ先に落ちてくる場所にある、みかん箱の中の未整理写真をボチボチと発表してゆきます。