どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

桐箪笥の中の着物

2015年10月26日 | 日記
朝食を終えたら 基本的には8時から作業開始と決めている

仕事をしていた時は7時過ぎに家を出ていたのだから これでも十分ゆったりとした時間を送っている

今日は 桐箪笥の整理

そう入らないように見えて いざ出してみると着物の山

私は三歳の七五三で着物を着せられてこんな気色悪いものは嫌だということで大泣きし その隣では姉が 何故妹だけが綺麗なおべべを着せてもらえるのかと大泣きし 親も大変だったと思うが これほど違う姉妹だったというわけ

当然のごとく姉は成人式で着物を着たけれど 私は絶対に着ないし要らないと言った

家の整理にあたって姉に相談したら 私の成人式の着物もあるはずだからそれを送って欲しいと言われたのだが どれがそれなのかよくわからない

これかなと思うようなものも含めて ほとんど全部 両親のものも含めて送ることにした

さすがは桐の箪笥で 最低でも10年は開かずの扉だったはずなのに何も損傷が無いようだった

送料をけちろうとして大き目の段ボールを用意したら重くなり 僅かの事で腰を痛めたらあほらしと気がつき 分けて送ることにした

賢明な選択だったと思う~  


私は着物が決して嫌いなわけではない

友禅の類はあまり好みではないけれど 織りと染色 季節にあわせたもの 帯やもろもろとの組み合わせが決まっている人を見るととても「いかしてる」と思う

それが嫌味でなく しっくりと着こなしている姿は見とれてしまうほどだ

ただし 一年に一度くらいだろうか そう思う人に出会うのは


親の着物姿は かすかに覚えている

昭和30年代前半くらいまでは 当たり前だったのだろうと思う

お正月に着ていたような気がするし 和装の人の姿をその頃は多く見た記憶もある

でもそれは僅かな記憶で もう遠いものになってしまった

この帯がどれほどのものか 普段用なのか その刺繍に価値があるものか 私にはまったくわからない

だからすべてを姉の選択に任せることにした

古着その他で 少しでもお金にしてもらえればそれもよし ゴミになっても私は全く構わない

姉はこの楽しい整理に加われないのだから 出来る限りの事をして姉にも 良くも悪くも この素敵な時間を少しでも共有して欲しいと思っている


(本心を言えば すっごく大変なんだから~ 母だって人生で初めての大きな手術なんかしたら そろそろ整理をしておこうかって思ってもいいよね

私ならそうするけど・・・ だれがする してくれると思ってたんじゃって言いたくもなるけど 神経質なくせにのんびりやだったんだよね・・・

そこが母の素敵なところ だから私は笑ってやってるよ~) 
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きっかり1時間オーバー

2015年10月25日 | 日記
昨夜は北風が強かった

きっと木枯らし一号だろうなと思ったら やはりそう発表された

昨年よりも三日早いそうだ

秋が深まり そろそろ初冬という言葉が似合う季節へと移っていくことを示すしるしだ


今日も北風が吹きつける中 植木屋さんは頑張って庭の木を伐ってくれている

二人とはいえ二時間半で終えると事務担当者が電話で言った時 10本ほどありますしそれで終わるとは思えませんが と伝えた

実際に木の育ち具合を見ているのは私で これでも素人ながらもいくらかは庭木も伐り また 前の植木職人の仕事もずっと見てきている

彼の時は独りということもあったが 一日では終わらなかった

それでも相手は大丈夫です と言うので まあ それなら別にかまいませんが と答えた

案の定その時間が過ぎても まだ作業中である


私は植木職人にも そのあとネットで探した職人を手配してくれるとこらかの人にも 毎回幾らかのチップを出している

仕事とはいえ決して楽では無く また腕の振るいどころも無いような庭木を綺麗にしてもらえるのだからとの気持ちからである

報酬は当然としても 労働者というのは幾ばくかであっても こうした収入は嬉しいものだとも思う

それを用意しながら待った


予定よりも1時間ほどオーバーになるに違いないと思った

時間制ではなく樹木の大きさだけで値段が決まるので 私としては損は無いが そのつもりでやってきた職人はだまされたような気持ちになるだろうか

今日のこれからの予定に影響が無ければよいと思いながらはさみの音が終わるのを待っていたら ようやく剪定は終わったけれどどうだろうかと声がかかった

さっぱりした

日差しがさんさんと入るようになった

頼まれなかった木も少し伐っておきましたと

量が多くて大変だったでしょう というと 本数が増えたことを聞いていなかったもので と彼

冬を迎える準備がひとつ終わった

私の読み通り きっかり1時間オーバーだった
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金柑 アゲハ サフォン

2015年10月24日 | 日記
予定通りに庭に出て軽く掃除

のつもりが 気が付けば2時間半

家の整理の時に出てきた子供の頃の庭の写真を見て 今ほど雑木も無かったことに気が付き そんな庭に戻したくなってついついやってしまった

その頃に金柑の木なんて無かったと思うのに いつからかなのか記憶に無いそれは 今では立派に成長してしまい その実を食べた鳥のおかげだろうか 数本の細い木が別の場所にも生えている

そのうちの1本を根本からばっさりと伐った


他の木の剪定した枝と一緒に それらをゴミ袋に入るほどの長さに切ってから袋に詰めているときに うっかり金柑のトゲで指先をやっちまった

ガーデニング用の手袋をしていても 軽く通してしまうほどのトゲである

以前にも何度かあるのだが 今日は少し深かったようで 一日その傷跡がうずきっぱなし

それにしても あれは身(あるいは実?)を守るためのトゲなのだろうか

トゲの無いものもあるらしく 私はそっちの方が良かったなぁ

食することもなく(そもそも食することが可能な種かどうかもわからない)また一切の肥料もあげたことがなく 観賞用のつもりさえ無いのに 毎年よく実をつけてくれる

むしろ アゲハの幼虫のためとも思えてくるほどだ

今日もクロアゲハかカラスアゲハか区別はつかなかったが 一匹飛んできて枝にとまった

あまりにも真っ黒で大きな飛ぶ物体が怖くて 一瞬たじろいだためにちゃんと見なかったのだが 黒い中にも青というか紺色の光も感じられる 庭ではあまり見かけた記憶の無い蝶だった

それでも わりかし綺麗になっている庭を親が見にきてくれたような気がして けっこういけてるでしょ と自慢することは忘れなかった


買い出しをして 食事の支度をしたら 今日はもうこれでお仕舞とする

カルロス・ルイス・サフォンの『天国の囚人』を読み始める

『風の影』から始まる「忘れられた本の墓場」をめぐる4部作のうちの3冊目ということになるが いつもまさに物語 小説の面白さはこれだと感じさせてくれる作品である

半分ほど読み進んだら眠くなったので 今日はもうここまで
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昔マセガキのダルダルの日

2015年10月23日 | 日記
今日のような曇りがちの日に家事や家の整理は似合わないと勝手に決め込んで 今日は読書も含めたダルダルの日と決める

友人が貸してくれた数冊の本があるので 朝食が済んでから布団にもぐりこんで読み始めた

『偽りの楽園』(トム・ロブ・スミス著 上・下巻)

彼の作品には『チャイルド44』に始まる3部作があり それはさまに一気読みだった

この作品は映画化され 今年日本でも上映されたはずだ(あるいはしている?)


本を読んでいたら 私の持っているマンションの売却についての電話があった

慌ててはいけない

私はそんなものを持ってはいない

数年前から こうした電話が時折来るようになった

退職してからはこれが二本目になるから 今までにももっと頻繁にかかってきていたのかもしれない

私の名前を確認したうえで本当に所有していないのかと尋ねる会社もあれば 今日のように「おっしゃっているお話の意味がわかりませんが」と言うとすぐに引き下がるところもあるので 所有者が同姓同名であり その連絡先がわからずにあらゆる名簿から探しているのかと想像しているが 気持ちの悪い電話でもある


本は 前回の三部作に比べると スリリングではあったが面白みには欠けていた

ただ 家族のそれぞれが持つ秘密 どんな家族も他人との組み合わせでそれは生まれ 理解と信頼だけで成り立つ危ういものであり その愛情と自身のエゴの中でうごめく心情は理解できた


次に私は ギャオで見ることのできる映画「美女と野獣」を見た

感動映画は数々あるけれど 子供の頃からずっと好きな三大映画は「めぐり遭い」と「麗しのサブリナ」と「カサブランカ」

加えて「俺たちは天使じゃない」もほぼ同格に入れたい(何度見たことか)

子供の頃からハンフリー・ボガートは大好きで 名前を知るよりも早く彼の顔を覚えたくらいだった

ケーリー・グラントやジェームズ・スチュアートほどのハンサムでは無かったし 彼らもいかしてるとは思ったのが 私は少し屈折しているような彼の役柄にすっかり惚れた

完全に小学生の頃だから けっこうマセガキだったと思う

私がファザコンなのは認めるし 当時は勿論 今もって若い俳優や作家などに目もくれないのはそのせいだと思っている


「美女と野獣」のことはジャン・コクトーの存在を知ってからのことになるから 青春時代といえようか

彼は祖父ほどの年代の人であり 祖父の存在を知らない私は もしかしたらグランパ・コンプレックスもあるのかとも思ってしまう

私があげた三大映画はいささかオセンチで二流かもしれないが すっかり刷り込まれてしまったものだからどうしようもない

「めぐり遭い」では ハンサムな独身男性が船で知り合った女性と一緒に その途中で下船して彼の祖母に会いに行く場面があるのだが 感動的なラストシーンもさることながら 私はこの老婦人と彼女との出会いが一番好きだった

グランマ・コンプレックスもあるのか?(どんだけ コンプレックスの塊なんじゃ?)


相当愛情に関しては学んでいたはずなのに 完璧なものをめざし 同時にそれはそう容易いことでも無いと悟り 作り上げる過程よりも作らないという楽な選択を選んだのだと自分を分析する

間違えることを恥と思い 自らを許せなかったのは 持って生まれた性格のゆえ

それは私の多くの欠点のひとつでもあるが そう生まれついてしまったのだからどうしようもない

ダルダルの一日は けっこう気持ち良かった


明後日は植木屋さんが来る予定なので 明日は庭を掃除

買い出しもして 何か美味しい物も作ろう

私のカレンダーは 退職前よりも華やかになっている

ダルダルの日を書き込んではいないが 天気ほかもろもろと相談しながら過ごすこんな日も けっこう悪くないものだ
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古い手紙からの贈り物

2015年10月22日 | 日記
初めての粗大ごみ体験

今はもう車の無い家の駐車場のところに 朝 シールを貼った4枚の布団をシートの上に置いた

捨てる物とはわかっていても 直に置くのはためらわれたのだ

あっという間の出来事で 簡単に終わった


今日はいよいよ桐の箪笥を開けてみた

すっかり使わなくなっていた母の小ぶりのバッグが一番上の引き出しにあったので(それなら捨てておいて~) 捨てようと思い中を見たら 祖母からの手紙が何通か入っていた

父の弟のことで厄介ごとが舞い込んだりした頃なのだろうか 詳細はわからないが まだ若かった娘を心配しての母親としての祖母の手紙があった

まだ電話がどの家にもあるような時代では無かったとはいえ 父方の祖母はそういう事は一切しない人だった

楽しいことが大好きで 財布がザルのような人で さっぱりとしたじゃじゃ馬タイプの女性だったが 両極端のような二人の祖母のどちらも大好きで 違うタイプの人であってもそれぞれに魅力があるものだということを 私は二人から学んだように思う


私たちが祖母に宛てて手紙を送ったのは 祖母が病気で倒れた頃だろうか 

後々そんなことがあったと聞いたことは覚えているが 当時の私の記憶には無く 孫の手紙に対する返事らしい文面からそのように察した

私が祖母の顔を描いて送ったらしく「とてもうまくかけていました。おばあちゃんはふうとうから出て、やれやれと大息をしましたよ。そしてごはんをたくさん食べました。おかしなことを書くおばあちゃんだね。」とあり こんなにもユニークで夢のある事を書いてくれる祖母だったのかと感動した

消印からして私が6歳になったばかりの頃だろうか 

同封されていた姉宛ての手紙には「お見舞いにきていただいてとてもうれしかった・・」とあるから 姉は行ったのか それとも私の中でかすかに残っているあの時の記憶が そのお見舞いだったのか 

「けれど帰ってしまったら一寸さびしい気がしました。」(なんて素直で可愛いことを)

当時の母が読んでくれたかとは思うが 幼い子供の手に託すことはしなかったのだろう

私は6歳の子供にもどって 今日初めて読んだ


母宛ての手紙には 「親ゆずりでしかたがありませんが、なるべく気持ちをゆるやかに持ちなおすように日々心がけてください。子供をおころうと思ってもそこで一寸考えて落ち着くようにしてください。母のたのみです。」とあった

ほうら みなさい 母親はちゃんと見ているものですよ~~だ

そのあと祖母は 自分もあとへは戻れず後悔しているけれど 自分と違ってあなたはたった二人の子供なのだからと言いつつ 今と昔は違うからなかなか難しいことですね とも書いている

母は優しかったが 怒ると本当に怖かった

虐待のようなものこそ無かったけれど 若干ヒステリックというか まあとにかく躾けには厳しくて 子供が男の子だったらどうなったかと思うほどだった

祖母の目から見ても母のまだ幼い子に対する言いようは 子供の芽を摘むようにも見えたのかもしれない

色々な家庭の孫を見ている祖母には とりわけうちの母は子供に厳しいと見えたことは確かだと思う 

娘や婿 孫への感謝の言葉あり 親としての娘への忠告もあり みんなの健康を気遣う気持ちもありと 親はありがたいと本当に思うよねっ お母さん!


そのバッグには 6歳離れた母の妹からの手紙もあった

結婚したばかりのことで この叔母が嫁ぐまでは祖母と暮らしていたのだが 要件を書いた最後にその時が懐かしいと書いてあった

その後 長男がダウン症で生まれ 嫁ぎ先の家の人々はみな冷たかったと退職の報告を電話で伝えた時に初めて話してくれたが 家庭の雰囲気が違うことで寂しく思ったこともあったのだと思う

かなり前に書いたのだが 自分の生き方について考えた時のこと 私は彼のことも思い出していた

私が 力の限り 能力の限りは尽くす 力の出し惜しみや計算はしないで生きていくと覚悟したのは 彼から学んだことでもあった


この手紙の数年後には我が家にも電話が入り また祖母も一年に数回我が家に泊まりにきてくれるほど元気になり もう手紙を書くことも無くなってしまったと思われる

古い手紙からあれこれと思い出してみれば 多くのものを今ふたたび貰ったようで ほんわか幸せ気分になり また真っ当な人間を目指していかなあかんなとちょっと背筋を伸ばす思いもする

話好きで いただく手紙もいつも長い叔母からは 「遊びに来て。大人になった(すっかりだ)○子と話がしたい。」と言われて 退職後のことが落ち着いたらと返事をしたが こうした手紙や古い写真を持ってそのうち遊びに行こうと考えている
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