みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

『希望について』(立岩真也著)/中日新聞「読書」書評&ハーブの花たち

2006-07-24 12:33:40 | ほん/新聞/ニュース
まずは
一期一会のクリックを

午前1時から11時半まで、gooのシステムメンテナンスで、
アクセスできませんでした
知ってたのですが、ウッカリ忘れていました。
gooスタッフブログより(7/14)
どこが改善されたのかまだよくわからないけど・・・・
とりあえず快調に、goo再開。

オレガノ(花薄荷・シソ科)
庭に咲くピンクの小花はオレガノ。
トマトとの相性が抜群のハーブ。


  

「水なしトマトシチュー」には入れなかったので、
昨日作った水なし「トマトカレー」に入れてみた。
使った野菜は、めちゃ甘ミニトマトとウリと極太キュウリ。
  
5辛のジャワカレースパイシーブレンドを入れたので、
めちゃウマ辛のトマトカレーになった。

オレガノの隣には、ミントの花も咲いている。
  
↑ピンクとしろ↓
  

るなさんちで見つけたマンリョウの花。
さっそく探したら、わが家にも咲いていた。
  
苔玉ころころ「紅と白の」7/21

ここから先は、本のお話です。

昨日の中日新聞「読書」欄に、
『希望について』(立岩真也著/青土社/2006)
の書評が載っていたので紹介します。
立岩真也さんの本はだいたい持っているし、
『希望について』は出てすぐに買って読んだ。



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中日新聞「読書」書評 (2006/7/23)
『希望について 』立岩真也著(青土社・2310円)
閉塞を解きほぐす思考法

 本書は、独特の思考スタイルによって現代社会の閉塞(へいそく)を解きほぐす糸口を求めている。現代社会では、例えば少子高齢化と言う「問題」や市場自由主義という「原理」が語られる。ときに粗大なこれらのスローガンを、正面から批判するのは簡単ではない。歪んだ 形であれ、それらが指し示す何かがあることは否定できない。地域社会や小さなサークルといった「現場」の営みを拾い出すことで、間接的に粗大さを撃つ試みも重ねられてきたが、それだけでは行き止まりになる。現場はそれほど明るい場所ではないからだ。
 ではどうするか。「近代社会の構成の本体、内部の方に向かって」いき「それをどうしようか直載(ちょくせつ)に考えていくという、社会主義の本道」を著者は選択する。自由主義も楽観主義も生命倫理も、「私のもの」と「私のことは私が決定する」こととの同一視の上に成り立っているが、どこからどこまでが私(のもの)かは 自明ではない。私的所有権と自己決定権との間には、複数の箇所い裂け目やずれが走っているのではないか。
 それらを見極めようとして、思考は横へと延び広がっていく。経験と理論を往還するというのとは違う、不思議と透明な文体によって、所有や労働をめぐる理論的考察が繰り広げられるが、一般性の平面に飛翔(ひしょう)する手前で、障害者の作業場といった具体的局域 へと差し戻される。手っ取り早い処方箋(せん)を提案するためではない。所有/労働の公正な配分を希求するために、具体の裂け目において、何を考えるべきかを考えなくてはならない。
 社会の一面的把握に依拠して粗大な「べき」が語られ、それをやめることができない。「べき」を語ることをやめ、局所の具体性の前で留まるという選択もまた、しばし別種の「べき」に陥る。唯一の途かどうかは分からないし、他にあってもいい。だが本書は、私たちを捕らえているこのジレンマに対峙 (たいじ)する一つの必然的な思考の道筋を指し示している。
〈評者〉遠藤知己(日本女子大学助教授・社会学)
たていわしんや
1960年生まれ。立命館大学教授、社会学。
著書に『私的所有権』『自由の平等』など。
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難解ではなくて、けっこう読みやすい本ですが、
読みながら深く考えさせられるほんです。
そういう意味では、すいすいと読める本ではありませんが、
たちどまりたちどまり、気がつくと思考を巡らしているわたし。
書評にあるように、立岩真也さんの著書には、
そんな素敵な本がおおいのです。


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コメント (4)
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