みどりの一期一会

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「念ずれば花ひらく」坂村真民(しんみん)さんの詩

2006-12-15 09:26:12 | ほん/新聞/ニュース
  

昨日の夕刊で詩人の坂村真民さんが11日になくなったと知りました。
しんみんさんの詩のことを書こうと思っていたら、
今朝の中日春秋(中日新聞コラム)にしんみんさんのことが載っていました。

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中日春秋 2006.12.15
 昨日、訃(ふ)報に接した。仏の道に根ざした多くの作品を長年紡ぎ続けた詩人の坂村(さかむら)真民(しんみん)さん。九十七歳だった▼この詩を思い出す人も多いだろう。「念ずれば花ひらく」。<苦しいとき/母がいつも口にしていた/このことばを/わたしもいつのころからか/となえるようになった/そうしてそのたび/わたしの花がふしぎと/ひとつひとつ/ひらいていった>▼熊本県出身で三重県の神宮皇学館(現皇学館大学)を卒業し、愛媛県で教員を務めた。軍隊に召集されて死を覚悟し、眼病で休職したり内臓疾患で死線をさまよったりしたことも。いくたの試練から「念ずれば花ひらく」のありがたさが分かるようになったという(『念ずれば花ひらく』)▼母は三十六歳で夫を亡くし、苦労して五人の子を育てた。貧しくとも貧乏くさいことは言わず、人らしく生きることを欲した。そんな母の「念ずれば」の願いを詩の骨髄として励んだそうだ。居を「タンポポ堂」と名づけたのは、「念ずれば」の真言をタンポポの種のように飛ばして、幸せの花を咲かせてもらいたいからと▼風に吹かれたタンポポの種のように、その詩は多くの人の心に舞い降りた。詩碑が各地に建立され、教科書でも紹介された。<尊いのは/頭でなく/手でなく/足の裏である/一生人に知られず/一生きたない処(ところ)と接し/黙々として/その努めを果(はた)してゆく>。「尊いのは足の裏である」も、今の世が忘れたような貴さをうたう▼真民さんが残した詩と母の心。厳しい冬でも優しく強く咲く花を見る思いがして、励まされる。
(2006.12.15中日新聞)
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坂村真民の世界

「しんみんさん」より

念ずれば花ひらく

念ずれば
花ひらく

苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった

そうして
そのたび
わたしの花が
ふしぎと
ひとつ
ひとつ
ひらいていった


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タンポポのように

わたしはタンポポの根のように
強くなりたいと思いました
タンポポは
踏みにじられても
食いちぎられても
泣きごとや弱音や
ぐちは言いません
却ってぐんぐん根を
大地におろしてゆくのです

わたしはタンポポのように
明るく生きたいと思いました
太陽の光をいっぱい吸い取って
道べに咲いている
この野草の花をじっと見ていると
どんな辛いことがあっても
どんな苦しいことがあっても
リンリンとした勇気が
体のなかに満ち溢れてくるのです

わたしはタンポポの種のように
どんな遠い処へも飛んでいって
その花言葉のように
幸せをまき散らしたいのです
この花の心をわたしの願いとして
一筋に生きてゆきたいのです



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花には
散ったあとの
悲しみはない
ただ一途に咲いた
喜びだけが残るのだ 



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小さいころから野の花が好きだったわたしは、
花をうたうしんみんさんの

やさしい詩が好きでした。




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コメント (3)
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