昨夜、そのまんま東さんこと、東国原英夫さんが、
官製談合で前知事が逮捕された、出直し選挙で宮崎県知事に当選した。
開票からほどなくしての当選確実の速報を見たわたしは、
「東国原さんおめでとう、やったね」と心のなかでエールを送った。
わたしは、彼が宮崎県知事選に立候補表明したと知ったときから、
彼に当選して、知事として働いて欲しいと思っていた。
政党や組織の支援を一切受けずに手作り選挙を展開している姿を見て、
東さんが、きっと当選するだろうと信じていた。
元タレントでスキャンダルもある彼をわたしがなぜ支持するのか、
意外に思われる方もおおいかもしれない。
わたしは、そのまんま東さん、いえ、
タレントではない「東国原英夫さん」とは個人的な縁がある。
わたしが『市民派議員になるための本』を出した翌年の5月、
「そのまんま東」さんを名乗る方からメールが届いた。
いたずらメールかと思ったけれど、開けて読んだらご本人で驚いた。
そのころ彼は早稲田大学の文学部で学んでいて、
卒論のテーマを「地方自治」にしたいと勉強しているけれど、
「この領域(実際のフィールド・ワークの視座)の学習書がないので、
わたしの本が大変役立った」という趣旨がていねいに書かれていた。
わたしにはそのころ、100人以上の読者から本の反響が届いていたが、
意外だったのは(単にわたしの偏見だったのだけど)彼の第一印象は、
TVなどで知っている、スキャンダルまみれのタレントとしての
「そのまんま東」さんの印象とはほど遠く、読者の中でもピカイチ。
真面目で礼儀正しくて、とても好感の持てるものだった。
メールには、著者のわたしに対するパーソナルな質問が書かれていた。
わたしも、彼がなぜ地方自治を学びたいのか関心があり、
わたしが質問に答える代わりに、彼にもわたしからの質問に答えてもらう
ということで、直截電話をかけていただいて、そっちょくに意見交換した。
テレビで話す軽妙な語り口とはまったく違っていて、
言葉を選んで話される口調から緊張している様子が伝わってきて、
誠実で真摯な「地方自治」への想いが伝わってきた。
その日のHP「そのまんま日記」には、本とわたしのことが紹介されていて、
「知らない女性に自分から電話をかけたのは初めて」と書かれていた(笑)。
きっと、それが彼の「そのまんま」だったのだろう。
それから時々、自治体財政や情報公開の質問があったりしてメールのやり取りをした。
11月の「市民派議員アクションフォーラム」への参加は、
申し込みはされたものの、仕事の調整がつかずに実現しなかった。
その後、彼は早稲田大学政経学部で専門的に地方自治をまなび、
わたしは彼がいつか郷里にかえって政治家として働きたいと
いう夢を果たすと思い、『む・しの音通信』をお送りしていた。
選挙でかれは、「そのまんま東」としてではなく、
きっと、わたしが知っている「東国原英夫」さんとして、
有権者にダイレクトにメッセージを届ける「市民型選挙」を真剣に実践し、
26万人を超える宮崎県の有権者が一票を投じたのだと思う。
17日間の知事選で、ネガティブキャンペーンも展開されるなか、
「トップの汚職」というマイナスからのスタートでの大量得票は、
すくなくとも、まぐれや浮動票では得られない。
宮崎県の有権者の受信能力を甘く見てはいけない。
フィールドに身をさらしての演説中心の17日間は、
たんなるポーズで乗り切れるものではない。
政策や思いを伝える「地味選」は、「そのまんま」彼の政治姿勢だ。
わたしは、かれのHPをお気に入りにいれ、
彼の思いや「マニフェスト」や新聞報道は読んだけど、
彼の政策や考えを深く知っているわけではないし、
わたしが聞きたい環境政策やジャンダーの視点は未知数である。
わたしは、宮崎県の有権者ではないけれど、
わたしもまた、「ふるさとにいる年老いた両親や弱い立場のひと、
地方で見捨てられている人たちのくらしをよくするために働きたい。
そのために『地方自治を学びたい』」と言った、
かれの言葉はほんものだ、と信じているひとりである。
東国原英夫さん、当選おめでとうございます!
「選挙が知事をつくる」という言葉どおりを実践されて、
政党や組織の支援を受けずに、あなたが手作りの草の根選挙で、
宮崎県知事に当選されて清々しい思いです。
とはいえ、本番はこれから。
当選はゴールではなくスタートです。
知事になれば、いろんな困難が待ち受けていると思います。
また、知事は強大な権力と権限を持っています。
そのおおきな力を、だれのために、何のために使うのかを
いつまでも忘れないでほしい。
選挙で約束した政策を実現するために、
任期満了の日まで、無党派・県民派知事として、
おごらず、あせらず、あきらめず、全力投球で、
県民のために、県民とともに『しがらみのない政治』を実践し
宮崎県を変えていかれることを祈っています。
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『市民派議員になるための本』
(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)
3‐3 だれでもできる市民型選挙
「だれでもできる」というのは、「タダの市民なら」という意味です。そうじゃない人が、カタチだけ市民型選挙のマネをしようとしてもうまくいきません。それはなぜでしょう?
市民型選挙のいちばんの特徴は、選挙をになう市民と候補者が、いまある権力構造、利益誘導型の政治の恩恵にあずかったことのない人たちだということです。そこからぬけおちた人、谷間にこぼれおとされた人、そして自分の意思でぬけた人も含みます。
現在の政治は、行政と議会が強い権力と権限を持ち、政党や地域ボスや土建屋が、カネとモノをまわしあっています。市民型選挙は、そこからまったくはずれた市民が候補者になり、おなじ立場の多くの市民にメッセージを伝える選挙です。そういう人なら「だれでもできる」選挙です。
「わたし」のいままでの思いを「あなた」に伝えれば、市民から市民へと思いは確実に伝わっていきます。わたしのくやしい思いや、毎日のくらしで疑問に感じていることが、そのまま政策になっていきます。
「わたし」がいままで思っていたことを、言葉で表現すると、権力構造のなかにいる人たちは、「なにをバカなことを言ってるんだろう」と思うようですが、市民は共感してくれます。
市民から市民へ、コトバにのせた思いのリレーが市民型選挙です。
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