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まずは、一期一会のクリックを
玄関先でお花を写していたら、ちょうど届いた毎日新聞夕刊。
どれどれと開いたら、2面一杯の特大で「夕刊とっておき』特集ワイド。
一気に読んでしまった「とっておき」の東さんの記事だ。
昨日から読んだなかで、いちばんいい。
みどりイチオシの記事、紹介しますね。
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特集ワイド:東さん、宮崎知事選圧勝 県民の不満、そのまんま代弁
◇「しがらみなし」から政治を変える
その瞬間、タレントの顔から政治家の顔に変わった。21日投開票された宮崎県知事選で圧勝したそのまんま東さん(49)。社会人入学した早稲田大学で地方自治を学び、27年間の芸能生活にピリオドを打っての故郷での挑戦。23日、本名の東国原英夫(ひがしこくばるひでお)知事として初登庁した。東さんの、そのまんまの言葉を追った。【大槻英二】
東さん、宮崎知事選圧勝
◇地道に遊説、1日1300人と握手
「自分で軽自動車でも運転してもいいんじゃないかと思うけど、だめですかね」
当選から一夜明けた22日朝、宮崎市内の事務所で報道陣に囲まれた東さんは早速、公用車廃止の方針を示すなど、そのまんまカラーを打ち出し始めた。
当選を大きく報じた朝刊の記事を老眼鏡越しに追いながら、「(当選した)実感はまだないです。このまんま粛々と業務に入っていくんじゃないかと思います」。トレードマークの広い額は真っ黒に日焼けし、選挙戦でみせた笑顔は影を潜め、重い責任をかみしめるように、いささか緊張した面持ちだ。
* * *
宮崎といえば、暖かな気候と県木フェニックスに代表される南国情緒で、1960年代には新婚旅行先として人気を呼んだ。しかし、今ではその地位も沖縄やハワイに奪われ、今はプロ野球のキャンプ地として話題にのぼるぐらいだ。
地鶏に牛にアサヒガニと、うまいもんはいっぱいある。焼酎も鹿児島と並ぶ本場。しかし、旧国名「日向」の名前通り、暖かな風土が生んだおおらかな県民性からか、宣伝下手で、その魅力は広く知られていない。さらに最近は、談合事件に加えて降ってわいた鳥インフルエンザ騒動まで起こり、全国最大の養鶏県は風評被害に苦しんでいる。そんな中、抜群の知名度を生かして「宮崎のセールスマンになる」と知事選を進めてきたのが東さんだった。
* * *
県南西部の都城市出身。高校を卒業後、上京するまで故郷で過ごした。ビートたけしさん率いる「たけし軍団」のリーダーとして芸能界で活躍したが、98年、16歳の少女が働いていた風俗店に出入りしたことで警察から事情聴取を受け、謹慎生活を経験。その間、早大入学を思い立ち、地方自治に目覚め、故郷への思いを強くした。04年にその過程をつづった著書「芸人学生」には、こんなふうに書いている。
<これは動物としての本能かもしれない。サケが生まれた川に戻ってくるように、僕の中にも帰巣本能があるのだろう。故郷のきれいな空気を吸い、故郷の自然と一体化したいという思いがしだいに強くなった>
街頭演説でも、こう訴えた。
「私が東京に行って31年、宮崎は元気がないじゃないですか。東京では、宮崎県は決して有名じゃない。宮城県と間違われるぐらい。宮崎県には人情がある、食べ物もうまい。そういう明るいことを言おうと思ったら、なんですか、今回の官製談合は--」
* * *
「お笑い芸人が知事になったら、宮崎の恥」。当初は地元でも冷ややかな反応が多かった。ところが、選挙戦が始まり、軽妙な話術と財政改革や観光振興などを掲げた約80項目のマニフェストが浸透するに従い、「話が分かりやすい」「結構、勉強している」と好意的に受け止めるムードが広がった。本人も手ごたえの変化をこう振り返る。
「最初はテレビでみる芸人という反応でした。それが中盤から『宮崎を変えてください』という期待の声に変わった。終盤に向けては『宮崎は変わらんといかん』という思いを共有しながらも、サイレントマジョリティー(もの言わぬ多数派)だった人たちが、だんだんものを言うようになってきたと実感しました」
* * *
宮崎県政の歴史をひもとくと、政争好きの保守的な風土のため、選挙の時はもちろん、普段から公共工事や補助金を巡る事件や中傷が絶えない。3代前の黒木博知事は79年に6期目当選後まもなく受託収賄容疑で逮捕されて辞職(88年に無罪確定)。続く松形祐堯県政は6期24年の長期に及び、03年に登場したのが今回の官製談合事件で辞職した安藤忠恕前知事である。それを受けての出直し選も官僚出身候補による保守分裂の混戦となり、県民には県政への不信が最高潮に達していた。
「宮崎を変えるには、選挙のやり方から変えないかんとです」。東さんは地元の言葉で、県民に訴えた。「どの党にも組織や団体にも支援を受けない、しがらみのない選挙をしなければ、県政は変わらん。これが政治学の基本です。知事は行政マンと政治家の両方の要素を持っとらんといかん。残念ながら歴代の知事は行政マンだけだった。それがこの10年20年、宮崎が遅れた理由です。政党や団体、組織の一部の威張っている人間が県政を私物化して、我が物顔で暴利をむさぼってきた。新幹線はおろか、高速もまだ満足に通っちょらん。このままでは陸の孤島になります」
演説を聴いた人たちは「何十年来、積もってきた私たちの不満を代弁してくれた」(66歳の会社経営者)▽「しがらみのなさに期待したい」(59歳の元スナックママ)▽「どの候補よりも熱意を感じた」(70歳の主婦)と口々に語った。有名人の応援に頼らない地道な選挙も好感を呼んだ。
* * *
選挙期間中は県内をくまなく遊説して回り、一人ひとりと握手することにこだわった。1日に握手した人数は1300人。右の手のひらがすり切れて血がにじめば、左手を差し出して17日間を乗り切った。
「地方自治の基本は、住民の全員参加だと思う。参加してもらうためには、こちらから声掛けしなきゃいけない。(選挙期間に)全県民114万人の皆さんに会えなかったのは、非常に心残り。せっかく家から出てこられたのに、目的地に急ぐあまり、選挙カーから降りて握手できなかった時は、本当に後ろ髪を引かれる思いでした」
そんな県民の純粋な声援を受けて、「自分が浄化された。カタルシスを得たような感じがした」という。自らの過去と宮崎県の再生をこんなふうに重ねてみせる。
「私は確かに不祥事を犯しましたが、それを反省し立ち直るプロセスこそが一番大切だと思う。宮崎県も信頼を回復して立ち直っていかなきゃいけない。真価が問われるのは、これからです」
* * *
早大で東さんに地方自治を教えた当時の客員教授、竹内謙さん(66)=前鎌倉市長=は「彼は熱心で、リポートには情報公開、市民参加、首長の洞察力が大切と書いた。選挙で支持されたのはマニフェストを説く行脚を一人でやったこと。利益団体や芸能界を頼らなかった姿勢を忘れなければ、県民の理解は続くと思う」とエールを送る。
「『しがらみなし』から政治を変える」。統一地方選、参院選をはじめ、選挙イヤーとなる07年。東さんが宮崎から投じた一石とその言葉は、他の選挙の行方にも影響を与える大きなうねりとなるかもしれない。
(2007.1.23毎日新聞・夕刊とっておき)
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ご祝儀相場の新聞各紙(笑)。
出血大サービスのおまけだぁ!
作業着で“そのまんま流”初登庁(デイリースポーツ)
報酬カットや公用車廃止 そのまんま東氏(中国新聞)
作業着で“そのまんま流” 何度もおじぎし初登庁(東京新聞)
東国原・宮崎知事が作業服姿で県庁初登庁(読売新聞)
今日からは、東国原英夫・宮崎県知事。
どの新聞の東さんも、さわやかな笑顔である。
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どれどれと開いたら、2面一杯の特大で「夕刊とっておき』特集ワイド。
一気に読んでしまった「とっておき」の東さんの記事だ。
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特集ワイド:東さん、宮崎知事選圧勝 県民の不満、そのまんま代弁
◇「しがらみなし」から政治を変える
その瞬間、タレントの顔から政治家の顔に変わった。21日投開票された宮崎県知事選で圧勝したそのまんま東さん(49)。社会人入学した早稲田大学で地方自治を学び、27年間の芸能生活にピリオドを打っての故郷での挑戦。23日、本名の東国原英夫(ひがしこくばるひでお)知事として初登庁した。東さんの、そのまんまの言葉を追った。【大槻英二】
東さん、宮崎知事選圧勝
◇地道に遊説、1日1300人と握手
「自分で軽自動車でも運転してもいいんじゃないかと思うけど、だめですかね」
当選から一夜明けた22日朝、宮崎市内の事務所で報道陣に囲まれた東さんは早速、公用車廃止の方針を示すなど、そのまんまカラーを打ち出し始めた。
当選を大きく報じた朝刊の記事を老眼鏡越しに追いながら、「(当選した)実感はまだないです。このまんま粛々と業務に入っていくんじゃないかと思います」。トレードマークの広い額は真っ黒に日焼けし、選挙戦でみせた笑顔は影を潜め、重い責任をかみしめるように、いささか緊張した面持ちだ。
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宮崎といえば、暖かな気候と県木フェニックスに代表される南国情緒で、1960年代には新婚旅行先として人気を呼んだ。しかし、今ではその地位も沖縄やハワイに奪われ、今はプロ野球のキャンプ地として話題にのぼるぐらいだ。
地鶏に牛にアサヒガニと、うまいもんはいっぱいある。焼酎も鹿児島と並ぶ本場。しかし、旧国名「日向」の名前通り、暖かな風土が生んだおおらかな県民性からか、宣伝下手で、その魅力は広く知られていない。さらに最近は、談合事件に加えて降ってわいた鳥インフルエンザ騒動まで起こり、全国最大の養鶏県は風評被害に苦しんでいる。そんな中、抜群の知名度を生かして「宮崎のセールスマンになる」と知事選を進めてきたのが東さんだった。
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県南西部の都城市出身。高校を卒業後、上京するまで故郷で過ごした。ビートたけしさん率いる「たけし軍団」のリーダーとして芸能界で活躍したが、98年、16歳の少女が働いていた風俗店に出入りしたことで警察から事情聴取を受け、謹慎生活を経験。その間、早大入学を思い立ち、地方自治に目覚め、故郷への思いを強くした。04年にその過程をつづった著書「芸人学生」には、こんなふうに書いている。
<これは動物としての本能かもしれない。サケが生まれた川に戻ってくるように、僕の中にも帰巣本能があるのだろう。故郷のきれいな空気を吸い、故郷の自然と一体化したいという思いがしだいに強くなった>
街頭演説でも、こう訴えた。
「私が東京に行って31年、宮崎は元気がないじゃないですか。東京では、宮崎県は決して有名じゃない。宮城県と間違われるぐらい。宮崎県には人情がある、食べ物もうまい。そういう明るいことを言おうと思ったら、なんですか、今回の官製談合は--」
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「お笑い芸人が知事になったら、宮崎の恥」。当初は地元でも冷ややかな反応が多かった。ところが、選挙戦が始まり、軽妙な話術と財政改革や観光振興などを掲げた約80項目のマニフェストが浸透するに従い、「話が分かりやすい」「結構、勉強している」と好意的に受け止めるムードが広がった。本人も手ごたえの変化をこう振り返る。
「最初はテレビでみる芸人という反応でした。それが中盤から『宮崎を変えてください』という期待の声に変わった。終盤に向けては『宮崎は変わらんといかん』という思いを共有しながらも、サイレントマジョリティー(もの言わぬ多数派)だった人たちが、だんだんものを言うようになってきたと実感しました」
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宮崎県政の歴史をひもとくと、政争好きの保守的な風土のため、選挙の時はもちろん、普段から公共工事や補助金を巡る事件や中傷が絶えない。3代前の黒木博知事は79年に6期目当選後まもなく受託収賄容疑で逮捕されて辞職(88年に無罪確定)。続く松形祐堯県政は6期24年の長期に及び、03年に登場したのが今回の官製談合事件で辞職した安藤忠恕前知事である。それを受けての出直し選も官僚出身候補による保守分裂の混戦となり、県民には県政への不信が最高潮に達していた。
「宮崎を変えるには、選挙のやり方から変えないかんとです」。東さんは地元の言葉で、県民に訴えた。「どの党にも組織や団体にも支援を受けない、しがらみのない選挙をしなければ、県政は変わらん。これが政治学の基本です。知事は行政マンと政治家の両方の要素を持っとらんといかん。残念ながら歴代の知事は行政マンだけだった。それがこの10年20年、宮崎が遅れた理由です。政党や団体、組織の一部の威張っている人間が県政を私物化して、我が物顔で暴利をむさぼってきた。新幹線はおろか、高速もまだ満足に通っちょらん。このままでは陸の孤島になります」
演説を聴いた人たちは「何十年来、積もってきた私たちの不満を代弁してくれた」(66歳の会社経営者)▽「しがらみのなさに期待したい」(59歳の元スナックママ)▽「どの候補よりも熱意を感じた」(70歳の主婦)と口々に語った。有名人の応援に頼らない地道な選挙も好感を呼んだ。
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選挙期間中は県内をくまなく遊説して回り、一人ひとりと握手することにこだわった。1日に握手した人数は1300人。右の手のひらがすり切れて血がにじめば、左手を差し出して17日間を乗り切った。
「地方自治の基本は、住民の全員参加だと思う。参加してもらうためには、こちらから声掛けしなきゃいけない。(選挙期間に)全県民114万人の皆さんに会えなかったのは、非常に心残り。せっかく家から出てこられたのに、目的地に急ぐあまり、選挙カーから降りて握手できなかった時は、本当に後ろ髪を引かれる思いでした」
そんな県民の純粋な声援を受けて、「自分が浄化された。カタルシスを得たような感じがした」という。自らの過去と宮崎県の再生をこんなふうに重ねてみせる。
「私は確かに不祥事を犯しましたが、それを反省し立ち直るプロセスこそが一番大切だと思う。宮崎県も信頼を回復して立ち直っていかなきゃいけない。真価が問われるのは、これからです」
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早大で東さんに地方自治を教えた当時の客員教授、竹内謙さん(66)=前鎌倉市長=は「彼は熱心で、リポートには情報公開、市民参加、首長の洞察力が大切と書いた。選挙で支持されたのはマニフェストを説く行脚を一人でやったこと。利益団体や芸能界を頼らなかった姿勢を忘れなければ、県民の理解は続くと思う」とエールを送る。
「『しがらみなし』から政治を変える」。統一地方選、参院選をはじめ、選挙イヤーとなる07年。東さんが宮崎から投じた一石とその言葉は、他の選挙の行方にも影響を与える大きなうねりとなるかもしれない。
(2007.1.23毎日新聞・夕刊とっておき)
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報酬カットや公用車廃止 そのまんま東氏(中国新聞)
作業着で“そのまんま流” 何度もおじぎし初登庁(東京新聞)
東国原・宮崎知事が作業服姿で県庁初登庁(読売新聞)
今日からは、東国原英夫・宮崎県知事。
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