みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

てづくり切干大根、簡単です/沢庵用に干し大根も作成中。

2008-12-22 14:40:55 | おいしいもの/食について
12月に入ったので、大根を収穫しました。
大根と白菜で漬物をつくってみたいという、まどくんの要望にこたえて、
わたしが、いちおう指南役です。

沢庵漬けや白菜漬けは、むかし、有機農業を専業にしていたころ、
大量にたるに漬けて、消費者に注文で届けていました。

   
今年は、沢山の種類の大根を作っています。
左から、方領大根、冬どり大蔵大根、耐病総太り大根、各10本ずつ。
  
 
聖護院大根や桜島大根はまだ畑です。


軽トラで庭に運び、すぐに水で洗います。

方領大根は愛知県の特産で今では作る人も少ない希少種ですが、
毛のない葉が柔らかくておいしくて、根は煮物や切干用にします。

冬どり大蔵大根、耐病総太り大根は、沢庵用に干し大根に。

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干し大根は、力持ちのひとたちに任せて、
わたしは、方領大根で切干づくり。

前から欲しかった、岐阜県特産の貝印(関市)のワイドピーラー
奮発して買ったので、千切り歯の試し切りもかねています。

 

方領大根は甘みが強く、先細りなので、千切りにもぴっ足し。
  
太い大根が滑ってしまって、試し切りは「指」でしました(イタッ)。
そのあと軍手をはめて、20分ほどで大根2本の見事な千切りのできあがり。

真っ白でつやつやしてて、思わず一掴み食べてしまいました。

部屋が暖かいので、一晩扇風機の風で乾かすことにして、
 
外に出して干して、丸一日たったら、こんな感じ。
 
(注意) 湿り気のあるうちにひっくり返さないと、
ざるにくっついて取れなくなります。

乾燥してカサが減って細かくなるので、シーツをしいて一箇所に集め、
 
ざるに布を敷いてさらに天日にさらして干します。


あいた笊(ざる)には、大根の細い部分を薄切りにして切干に。

沢庵用に富有柿の皮も干してます。 

   
晴天続きの日に二日干し、夜は部屋に取り込んで、
 
切り干し大根の出来上がりです。

この切り干し大根、関西では千切大根と呼ばれているそうだ。

切り干し大根は「畑のいりこ」といわれる、なんと、カルシウムは牛乳の約4倍、
食品中で一番高いくらいで、骨粗しょう症予防には最適(笑)。

切り干し大根
切り干し大根の栄養素(食材100g当たり)
・食物繊維が6.6g
・カルシウムが94mg
・ビタミンB1が0.04mg
・ビタミンB2が0.04mg
・鉄が9.5mg
切り干し大根の健康効果
切り干し大根は、大根を細く切り、天日で干して乾燥させた食材である。太陽の光を浴びることで、糖化されて甘味がさらに増し、栄養価も増加する。
骨や歯を丈夫にするカルシウムは15倍、悪性貧血を予防する作用がある鉄分は32倍、代謝を促進するビタミンB1・B2は10倍と、同量の大根と比べた場合、栄養価は非常に高い。
また切り干し大根には、食物繊維が豊富に含まれている。食物繊維は、コレステロールを体外に排出し動脈硬化を予防する作用や、便秘を改善し大腸ガンを予防する作用、美肌にも効果的に働く成分である。さらに食物繊維は食後、胃や腸の中で水分を吸収し膨らみ、少量でも満腹感が得られるため、ダイエットにも効果的だ。
他にも切り干し大根には、二日酔いで弱った肝臓や胃腸を回復し食欲を増進させる作用や、保温作用により冷え性を予防する働きがあるといわれている。
栄養効果の高い切り干し大根を、日常の食生活に積極的に取り入れることをおすすめしたい。
 


青首大根と大蔵大根は沢庵漬けにするために、2週間ほど軒下で干します。


少ししなびたので、陽がよくあたるようにずらして干しました。


冬の陽を浴び沢庵になるのをまつ大根。


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コメント (1)
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故筑紫哲也さん、お別れ会/筑紫哲也の緩急自在「歴史は繰り返さない?」

2008-12-22 00:00:00 | 市民運動/市民自治/政治
11月になくなった筑紫哲也さんの「お別れ会」が
東京であったという記事を新聞各紙で読んだ。

故筑紫哲也さん:ヒデが草なぎが福田前首相が お別れの会 

 肺がんのため11月7日に亡くなったジャーナリストの(享年73)のお別れの会が19日、東京・赤坂のグランドプリンスホテル赤坂で行われ、一般の参列者も含め2584人が故人をしのんだ。TBSの報道番組「NEWS23」で共演した草野満代さん(41)、SMAPの草なぎ剛(34)、サッカー元日本代表MF中田英寿氏(31)、福田康夫元首相(72)ら各界の著名人が最後の別れを告げた。
 参列者は筑紫さんの遺影が飾られた祭壇に白いカーネーションをささげ、思い思いに手を合わせた。喪服姿の草野さんは「最後にお会いしたのが6月末。とても元気でいつものように音楽、お芝居などいろいろな話をしていました。こんな短期間で亡くなるとは想像していなかった。本当に残念です」とあらためて悲しみを口にした。
 草野さんは、筑紫さんがメーンキャスターの「NEWS23」で97年10月から06年9月までサブキャスター。気心の知れたパートナーに筑紫さんが最後に渡したプレゼントが「阿吽(あうん)」と書いた色紙。「(阿吽と書いた意図は)何でしょうね…。照れ屋でシャイで言葉じゃなくて…。(色紙を)見るたびに9年間ご一緒できて本当に幸せだったと思います」。阿吽の呼吸だったことへの感謝を伝えたかったのかもしれず、草野さんは目を潤ませた。
 03年6月に筑紫さんが進行役を務めたTBSの報道特集スペシャルで、韓国の盧武鉉大統領(当時)にインタビューをした草なぎは「筑紫さんが“韓国との懸け橋になって頑張って”とアドバイスをくれて背中を押してくれた。筑紫さんの凄く大きな器を伝えていきたい」としのんだ。
 「対談などでお世話になりました」という中田氏は「筑紫さんの人を引きつけるリズムのある話し方が好きだった。そのリズムが印象に残っている」と振り返った。福田元首相は「アニキのような人で日常のいろいろな話をしました。酒が強くてね…」。偉大なジャーナリストの旅立ちに、参列者の列は途切れることがなかった。(スポニチ)
毎日新聞 2008年12月20日
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映像で足跡回顧 筑紫さんと別れ 都内 
2008年12月19日 中日新聞夕刊

 十一月七日に七十三歳で死去したジャーナリスト筑紫哲也さんのお別れの会が十九日、東京都千代田区のグランドプリンスホテル赤坂で開かれ、作家の瀬戸内寂聴さんや指揮者の小沢征爾さん、SMAPの草なぎ剛さんら交友のあった文化人や芸能人が多数参列、故人をしのんだ。
 弔辞の読み上げなどは行わず、献花のみの形式。会場には生前の写真が掲げられたほか、メーンキャスターを務めていた「筑紫哲也NEWS23」(TBS系)の論評コーナー「多事争論」の映像や番組のテーマソングが流され、参列者は筑紫さんの足跡を振り返った。
 草なぎさんは「特別番組で韓国の大統領と対談したとき、筑紫さんが背中を押してくれた。人間として大きな方だった」とコメント。瀬戸内さんは「ふだんは難しい話はしないのに『このまま行くと日本は駄目だよ。一緒に頑張ろうね』と言われたのがわたしへの遺言になった。とてもいいお友達だった。寂しい」と話した。(中日新聞 2008.12.19)



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わたしは、「NEWS23」の「多事争論」を楽しみに見ていたので、
筑紫さんが肺がんになって、テレビに出られなくなり、
寂しい思いをしていた。

亡くなった、と知ったときは悲しかったけれど、
記事を書こうと思いながら、なぜか書けずにいた。

今朝、朝日新聞のアスパラクラブから「アスパラ通信」が届き、
筑紫さんの連載「緩急自在」が紹介されていた。

わたしがアスパラクラブに参加したのは昨年だけど、
その前から続いていた「緩急自在」をはじめから全部読み直した。

読みながら、涙が止まらなかった。

今年5月21日の、最後の「緩急自在」を紹介して、
筑紫哲也さんのご冥福を祈りたい。

【朝日新聞アスパラ通信】
 ■筑紫哲也さんが語りたかったこと--------
筑紫哲也さんのお別れの会が19日、東京で開かれました。
アスパラクラブでの連載「緩急自在」は5月を最後に中断していました。
「歴史は繰り返さず、人間は変わるものだ――と信じたい」。
最後の一文は、こう結ばれていました
 

 
筑紫哲也の緩急自在
歴史は繰り返さない?


 思わず目を疑った。
 これは再現フィルムか。
 ロシアの首都モスクワの赤の広場。
 盛大な軍事パレードの映像。まるで、この国がソ連と呼ばれていた時代のようだ。
 それがロシア政府の狙いだったという。
 大国としての甦りを、軍事力を誇示するパレードで示したかったのだ。

 別の日、レバノンの首都ベイルートが一触即発、内戦突入の危機にあるとニュースは伝えていた。
 これも既視感(デジャヴュ)のあるニュースだ。
 ベイルートはかつて「中東のパリ」と呼ばれた美しい都だったが、私が出かけたころ(1980年代)は内戦が続き、「地球上でもっとも多くの銃弾が撃ち込まれた町」と化していた。
 これ以上、戦闘を続けてどうするのか。
 歴史は繰り返すのか。繰り返さないのか。
 それこそいろんな論議が繰り返されてきた。全く同じことがまた起きることはあり得ないかもしれない。が、歴史を作っていくのが人間だとしたら、その人間のやることに変わりがなければ同じようなことを繰り返しても不思議ではない。
 サイクロンで甚大な被害が出ているミャンマーの軍事政権が、国際的な救援を事実上拒否している。自国民があんなに苦しんでいるのに救いの手を拒むのは奇異に映るが、その一方で私はそう驚かない。
 政権のありよう次第では、そういうこともありうる。
 それを実際に見聞したのは、1970年代初めにニカラグアという中米の国を大地震が襲った時である。
 アメリカの息のかかった中南米の政権を、「バナナ共和国」と呼ぶことがあるが、その国もそのひとつで、おまけに独裁的な軍事政権だった。
 やっとの思いで現地に入ってみると、首都のマナグアは壊滅状態だったが、ほとんど救援・復興活動が行われていない。政権はともかく、アメリカが急派した海兵隊は何をしているのだろうと探したら、独裁者の官邸を守る形で配置についていた。
 政権にとっても、その保護者にとっても、自分たちの体制を守ることが最優先なのだ。住民を救済することよりも、地震に乗じて住民の反乱が起きることをもっともおそれたのである(ずっと後になってこの危惧は現実となり、この独裁者は国を追われた)。

 人間は変わるか――と私は疑問を投げたが、もともと人間とひとくくりにできるほど人間はひと通りではない。
 4年毎に、私は人間は少なくとも二通りあるのではないかという思いに襲われる。
 オリンピックを無邪気に楽しめる人たちとそうでない人たちの二通りである。
 世界中で圧倒的に前者が多数派のようで、私のような少数派は居心地の悪い思いを4年毎に味わう。「そんな硬いことを言わないで、純粋にスポーツとして楽しめばいいんだから」という圧力は毎度、相当なものである。
 ところが、なまじの政治的行事とは比べようもないほど政治的意味を持ってしまうのがオリンピックなのだ。聖火リレーへの抗議・妨害活動だけが政治的なのではなく、オリンピックそのものが政治的なのだ。
 そういうことのすべてが始まったのが、1936年のナチス・ヒットラー主導のベルリンオリンピックからだというのが定説である。
 ドイツの国威発揚という点で見事な成功をおさめたことはよく知られ、東京オリンピックの成功もこの延長線上で語られることが多い。しかし、それだけではない。
 ナチス・ドイツの「凶悪性」への世界的な警戒心がそこでいったん緩み、なかでもユダヤ民族への差別・弾圧政策が隠蔽されてしまった。
 北京オリンピックによって、チベット民族など少数民族に同じようなことが起きることはない。歴史は繰り返さず、人間は変わるものだ――と信じたい。
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筑紫哲也(ちくし・てつや)
1935年6月、大分県生まれ。早稲田大政経学部卒業後、朝日新聞社入社。政治部記者から沖縄特派員として沖縄返還交渉を現地で取材。71年ワシントン特派員となり、ウォーターゲート事件を取材。『朝日ジャーナル』編集長、編集委員などを経て、89年から東京放送(TBS)のニュースキャスターに。近著に「スローライフ―緩急自在のすすめ」(岩波新書)など。NPO「スローライフ・ジャパン」理事。
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筑紫哲也さんは、08年11月7日、肺がんのためお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りします。
(朝日新聞アスパラクラブ 2008.5.21) 


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